第27話 氷解
「マコ……!」
彼が、こちらに駆け寄ってくる。いまにも崩れそうな表情で。
ボクは、何て言えば?
頭の中がごちゃごちゃして、その場に立ち尽くすしかなかった。
答えを出す前に……逞しい腕に包み込まれた。
……バル様の腕の中は──あたたかい。
「救けにきてくれて……ありがとう、ございます」
ほんのりと汗の香りがした。
なんか……このにおい、ちょっとすきかも──じゃなくて……。
耳元で、バル様が囁く。
「ここを目指して走ってくる間、俺は──恐ろしかった。もし、オマエにもう会えなかったらと思うと……!」
彼が喋って口を動かすたび、振動で身体がムズムズした。
男の人にこんなに強く抱きしめられるなんて……でも、いやな感じはしない。むしろ、安心する。
「ボクは……バル様にお礼を言わずにいなくなったりなんか、しませんよ」
手のひらで触れた彼の背中は、その大きさに似合わず丸く縮こまっていて──なんだか、可愛らしいとさえ思った。
「わかっている──オマエは、そういうヤツだ」
ボクを包む腕が、いっそうつよくなった。
「あの……? バル様、くるしいです」
彼の肩越しに、リリニアさんがこちらを見ながらニヤニヤしているのが見えて──少し恥ずかしくなってきた。
「俺は、オマエがどこかへ行くのが怖いんだ。ククク……この体勢のまま王国まで行くとしようかなァ〜」
「ええっ……! もう──わかりました、ボクに考えがあります」
ボクは腕を突っ張って、彼の抱擁を剥がした。
「人差し指を出してください、バル様」
いつかのロゼッタさんのように、ボクは彼の前に指を立てた。
嬉しそうな、泣き出しそうな表情で、バル様が笑った。
「マコ。その魔法は……信頼している者同士でないと、うまくいかないんだぞ?」
「……試してみますか?」
「クハハ──」
繋いだ二人の指が、ほのかに輝く。
「オマエは本当にカワイイなァ」
「あはは、久しぶりに聞きましたね、それ」
──これは、"絆の魔法"だ。
どこに居ても、彼はきっとボクのことを助けに来てくれるのだろう。
ボクも……もし彼が困っていたら、助けになりたい。
「……は〜ん、おアツイことですねぇ」
横からミナミが茶化すように声をかけてきた。
「なんだ……いたのか、小娘。クックック」
バル様とミナミの後ろで、リリニアさんも嬉しそうな表情をしているのを見たのは──きっとボクだけだろう。
ボクたちの会話が終わるのを待ちかねていたのか、ベリオが目を輝かせながら興奮を隠せない様子で駆け寄ってきた。
「お……おじさん、カッコイイーー!! なにものなのっ!?」
「んん? なんだァ、このガキは?」
「おれはベリオっていうんだ! ひとよんで、
バル様は、小さな男の子を怪訝そうに見た。どうやらこの二人は初対面みたいだ。
「うっ……、ベリオ。……
それを見たリリニアさんは、急に具合が悪くなったかのように
「……か、
「おじさん、おれに炎の魔法おしえてくれよ! おれ、おじさんみたいになりたいー!」
「あががが……ベリオ、ベリオ──待て待て。そのおじさんはな、えー……その、わるいおじさんなんだ。だからこっちに来なさい」
「……。どうした、リリニア。えらく取り乱しているようだなァ……?」
バル様は、弱点を見つけたとばかりに得意然とした顔になった。
一方のリリニアさんは、くらくらと頭を抱えながら青ざめている。
「ぐあッ、見るな──バルフラム、こっちを見るな! アタシの目を見るな!」
「おじさん、わるいの? アウトローなの? カッコイイー!」
「……そうかそうか。よし、ベリオとやら、この
「ほっっ!! ほんとォーー!!?」
ニヤニヤとしているバル様と、天にも登る勢いで歓喜するベリオの二人は、並んでみると親子のようにも見える。
「だァッ──もう! バルフラム……ッ!」
「ククク……リリニア。オマエ、そんな顔もできるんだな? しばらく見ないうちに変わったもんだなァ。え?」
ここぞとばかりに彼女に仕返しをするバル様は、心底楽しそうだ。
さっきは迫真の表情で睨み合っていたのに……この二人特有の、奇妙な信頼関係があるのかもしれない。
「……バルフラム、後で話がある。だから……。はぁ……。ベリオと遊んでやって……くれるか」
「……? あァ、構わんが……」
ボクの勘違いかもしれないけど……、リリニアさんの声はほんの少しだけ、涙声だったように聞こえた。
* * * * * * *
ロゼッタさんとコニーは
バル様は、それまで宮殿のすぐ外でベリオの相手をするそうだ。
彼女たちがここに到着したら、ボクたちは乗り物で来た道を戻って、今度こそ北の王国へ向けて出発する。
ボクはリリニアさんに声をかけられ、ミナミと共にもう一度客間に招かれた。
「ふぅ……まいったねェ、ホント」
「リリニアさん……、聞いてもいいですか?」
「だめだ」
「まだ何も言ってないんですが……」
バル様とベリオがなんとなく似ていることについて聞こうと思ったけど──彼女は、それについてボクたちに話す気がなさそうだ。
「リリニアさん、あのオジサンと付き合ってたんです?」
「……おぞましい話をするんじゃないよ、まったく。アイツとは何もないって言っただろう──この話は
空気を読まないミナミに対して、リリニアさんはピシャリと返した。
「はい、失礼しましたぁ~」
ミナミは
「さて、マコ……もしかすると、もしかするかもしれないねェ、お前」
リリニアさんは、椅子に座りながら物憂げに口を開いた。
「と、いいますと……」
「アイツ、お前のことを取り戻すために本気だったよ。あんな真剣勝負をしたのは、本当に久しぶりだ」
彼女は、先ほどの
「……さっき、バル様に勝負の前に言ってた条件って、ウソだったんです?」
「ハハ、悪い悪い……。そもそもは昨日、”ふさわしいかどうか見てやる”って言っただろ? アタシはね、アイツがまた相手の事を考えずに身勝手に
「そっちの意味だったんですか……。てっきり、ボクにバル様の
夜の街で彼女の魔力を帯びた暗闇に襲われた時の恐怖は、今でも思い出すと寒気がする。
「はぁ、アタシにアイツの嫁を品定めしてやる義理なんてないよ……。──だが、マコ……お前は、イヤじゃないんだろう?」
「う~ん……そうですね……」
思えば、ボクはバル様から求婚されて以来ずっとその答えを保留している。一切その気がないなら、断るという選択肢もあるはずなのに。
「ちょっとマコぉ、チョロマコ! よく考えな?」
ミナミは憤慨して、後ろからボクの
「考え、てるよ……。でも……わからないんだ、ボクは……どうしたらいいのか」
「本当に? かわいいって言われて嬉しくなっちゃってるだけじゃないの? あいつと夫婦になった後の事まで、想像してるの?」
「えっ……そ、それは……」
一瞬、バル様といっしょの布団で眠るところを想像をしてしまった。──おなかがひっくり返るような感じがした。
「あぁもう──そんなのわたしがいくらだって言ってやるから考えなおせよぉ~! かわいいかわいい、マコちゃんよぅ!」
「アハハ、まぁ今すぐ答えを出す必要なんてないだろう、ゆっくり悩めばいいさ」
「はぁ。マコ~。あんなヤツの嫁に行くくらいならわたしの嫁になれよなぁ?」
「なに言ってるんだよミナミ……嫁だなんて、ボク……う~ん……」
嫁とか
ミナミの言う通り、ただ居心地が良いと感じているだけなんだろうか。
彼がさっき駆け寄ってきたときの表情を思い出すと──ボクの中で、何かが二つに裂けていくような気がする。
「この先、もしバルフラムに愛想が尽きることがあれば、いつでもアタシの所に来たらいいさ、マコ。
海色の瞳が光り、ボクを
「えぇっ……!?」
「ほほ~う、マコがそんな風に……? わたし興味深いですよぉ、リリニアさん」
「まぁ、決めるのはマコだからねェ。おっと、そうだ。お前に渡すものがあるんだ」
彼女は思い出したように──ボクの顔が真っ赤になっていることなんてどこ吹く風という様子で、見覚えのある小さな赤い箱を取り出した。
「あれっ、それは……」
「”
「
「ああ、やらん」
「えっ」
「貸すだけだ、マコ。これをしばらくお前に貸してやる」
「か、貸す──ですか」
「ああ。これはな、
リリニアさんは、うやうやしく赤い箱をボクの手の上に乗せた。
「そんな貴重なモノを……絶対失くさないようにします」
「もし失くしたら……身体で払ってもらおうかねェ?」
「えッ!」
「……冗談だよ? ただし、条件だ。北の王国に行ったら、”
リリニアさんは、念を押すようにビシッと指さした。
「手に入る、でしょうか……」
「もし手に入ったらそれをアタシにくれれば、お前に貸すそれはそのままくれてやるよ」
「ほんとですか──! ありがとうございます……」
「まぁとにかく、つけてみな。ほれ」
箱の中には、ルビー色にうっすら光る、三角形のヘアピンが入っていた。
「あ、かわいい」
ミナミが覗き込みながら呟いた。
「これ──どうやってつけるんです?」
「おやおや、マコちゃんたら知らないのぉ? 女の子なんだからこのくらい知ってなきゃだめだよ~?」
ミナミはボクの肩に
「だって、しょうがないじゃんか……」
「へへへ、いいんだよ。わたしがつけてあげる」
「あっ……」
彼女はヒョイとヘアピンをつまむと、ボクの前髪をまとめて挟んだ。
「うはあ……」
ミナミがため息を漏らした。
「な、なに」
「かわいいよ、マコ」
「──うう」
ミナミとまともに目線を合わせるのは、いつぶりだろう──昨日のことが、遠い昔のように思えた。
「ハハ、似合ってるじゃないか」
リリニアさんが、魔法で空中に氷の鏡を作り出してくれた。
鏡の中に映った少女は、ヘアピンで
ああっ──! 顔が、本当に熱い。
ボクは、自分の顔から火が出て鏡が溶けてしまえばいいのにと思った。
けれど……。ボクの中の
ホントウは──この鏡を、もっと眺めていたいんだ。
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