11 俺たちが追うのは

 二度に渡る、門前払い。

 だがリンは昨夜と異なり、ここで何の役にも立たない罵り文句を吐くことはしなかった。

 断られる可能性は十二分にあると判っていた。頼りなさそうなあの町憲兵が本当に年嵩の町憲兵を押し切れたら奇跡的だと思っていたくらいだ。だがはできた。わざわざやってきた意味はある。

「何だ、その、文句のありそうな顔は」

「文句じゃない。こういうのは、疑わしい目つきと言うんだ」

「私の手持ちの品がきちんと働くことは、昨夜に説明をしただろう。あんたはトルーディ並みに頭が固いか、ヴァンタン」

「酷い比較対照をもってくるなあ」

 ヴァンタンは顔をしかめて、リンの手にあるものを見つめた。

 小さな香炉だ。あまり価値のありそうな感じはしない、飾り気のない陶製の焼き物である。

 そこから、わずかに白い煙が立ち上っていた。二十ファインといかない内にそれは空中に消えているが、リンに言わせれば、見えなくなっているだけで同じように細く続いているのだとか。

 煙は、四散するものだ。

 糸のように細さを保ちはしない。

 普通は。

「時間は、少しかかる。クレスが冷静に賢く立ち回ってくれればいいが」

 詰め所の脇の角で、リンは見えない煙の先を見守るようにした。

「難しいんじゃないのか」

 これは少年を馬鹿にした台詞ではない。話から想像するに、その現象に対して「冷静に賢く立ち回る」のは、たいていの人間には難しいと思う。

「伝言ができればましなんだがな。〈煙出しの香炉〉はそれほど高性能じゃない。道筋を作ることしかできないんだ」

「判らないよ」

「判らないのか?」

「いや、だから、判るが、判らないんだ」

 ヴァンタンは唸った。

「君を疑うつもりはないが、本当にそんな無茶なことが――」

「おかしいと思えば、やっぱり、お前か」

 覚えのある低い声が角を曲がってきて、ヴァンタンは天を仰ぐ。リンはさっと香炉を隠した。

「やあ、おはようさん、トルーディ旦那」

 青年は次には笑みを浮かべて敬礼の真似事などしてみたが、トルーディの機嫌がよくなるはずもなかった。

「余所もんのガキの世話まで焼いて、いつもいつもご苦労なこった。だが生憎、今回はお前の負けだな、ヴァンタン」

「俺たちの勝ち負けじゃないと思うがね」

「そりゃそうだ。俺だって競い合ってるつもりはない。いままでは俺の負け、今回はお前の負け、だが勝ったのはお前でも俺でもない」

 トルーディは言い、ヴァンタンはじっと町憲兵を見た。

「――真実こそが勝者、というところかな」

「そんな臭い台詞を吐けるお前さんが羨ましいよ」

 町憲兵は不味いものを食べたようなしかめ面をした。「羨ましい」は皮肉のようだが、もしかしたらどこかに本音も混じるものか。

「とにかく、あのガキがやったってことは確定だ。すごすごと引き下がってでも――ああ、朝だな。やけ酒にも向かない。また、公演でも見てきたらどうだ」

「何だって?」

 突然の言葉に、ヴァンタンは顔をしかめた。トルーディも似たような顔をする。

「例の魔術野郎だよ。このガキの一件とは関わらんと思うが、お前は見たんだろう? 女を刺したと、言うじゃないか」

「ありゃ、そういう演目だよ」

「だが、死んだのはその女だ。ただの偶然で片づけられるか?」

「偶然だ」

 口を挟んだのはリンだった。トルーディの片眉が上がる。

「お前は一座と一緒にきたらしいな。つまりお仲間か。それでかばうのか」

「は、調べても仕方のないようなことばかり、きちんと調べ上げているんだな。だが私はたまたま、便乗しただけだに過ぎない」

 それからリンは、何とも挑戦的な口調になった。

「熱意はあっても空回り。しかもその自覚がないときたもんだ。正義の裁き手が、聞いて呆れる」

「おいおい、リン。わざわざ喧嘩を売るなよ。この旦那は、おっかないんだぞ」

「町憲兵にやる気があるのは実にいいことだ。だが、的外れな矢ばかり射られちゃこっちは困る。クレスは無実。座長も、まあ、昨夜の件に関しては無実。だが〈石頭は決して溶けず、割るしかない〉と言う通り。あんたと平行線の議論をする気はない。かと言って、あんたの頭をかち割るつもりもない。行こう、ヴァンタン」

「そんな過激な言い方をしなくても、〈神官アスファ若娘セリの議論〉で済む話だと思うがなあ」

 リンが言ったのは、議論の挙げ句に片方が片方の頭をたたき割って勝利宣言をするという後味の悪い昔語りからできた言い方で、ヴァンタンが言ったのは、立ち位置が異なれば話は永遠に平行線であることの例えによく用いる、不穏でない言葉だ。

「待て」

 と、トルーディが呼びとめたのはリンではなく、ヴァンタンだった。娘の方はもとより、呼びとめられたとしても完全なる無視を決め込んだだろう。

「あのお嬢ちゃんがどう考えてるのか知らんが、お前から見てどうだ。座長は、怪しいか」

「ううん」

 ヴァンタンは唸って、額の辺りをかいた。リンがすたすたと離れていくのを見、少し迷ったが、そのまま留まった。

「正直なところ、気にはかかる。あんたが俺にそれを調べさせたいのなら」

 青年は掌を上にして片手を差し出した。

「俺はクレスが欲しい」

「阿呆」

 町憲兵はその手を横からばしんとはたいた。

「犯罪者予備軍を調べさせるのに犯罪者を渡せるか」

「俺はあんたの手下じゃないんだぜ。動かしたければ報酬を用意しろよ。もちろん、金なんかじゃない」

 もらえるならもらいたいが、というような思いはとりあえず口にしないで、ヴァンタンは続けた。

「追うものは同じだろ、旦那」

 青年は、まるで宣誓をするかのように、はたかれた右手の指をまっすぐに揃えて軽く上げた。

「俺たちが追うのは、『真実』」

「臭いと言ってるだろうが」

「俺は別に、臭わんがね」

 ヴァンタンは手を下ろすと、くんくんと空気を嗅ぐようにしてみせた。トルーディは唇を歪める。

「そうは思えんな。たまには風呂ウォルスにでも入ってこい」

「……えっと」

 何を言われたのだろうと青年は首をかしげた。

「旦那のそれは、もしかして冗談? それとも皮肉のつもり? どっちにしろ、巧くないよ。旦那に軽口なんて似合わないし」

 思わずそんなことを言えば、トルーディは彼をぎろりと睨んだ。首をすくめてヴァンタンは謝罪の仕草をする。

「とにかく、ガキに関しちゃ、証拠は挙がりすぎてる。お前がいくら頑張っても無駄だ、ヴァンタン。ただ、俺にも気になる点はある」

「どの辺りに」

 慎重に、ヴァンタンは問うた。

「注進。それから、密告」

「だよな」

 青年はうなずいた。

「どちらも古典的な手段で、投げ文だった。誰が投げたのかは判らないが、おそらく、小遣いを掴まされたその辺のガキだろう」

 それを追うことには意味がない、と町憲兵は言った。

「なら、その投げ文の主が殺しの真犯人だ、とは思わないのか?」

「ずいぶんとお前とガキに都合のいい考え方だな」

 トルーディは鼻で笑った。ヴァンタンにしてみれば歴然なのだが、立場の違うトルーディからはそうは見えないようだった。

「同じ手法だ。筆跡も似て見える。同じ人間が書いたと思っていいだろう。内容を思えば街の平和を願う善良なる一市民だが」

「善良なる一市民のひとりとしちゃ、異論ありだね。告げたいことがあるなら、俺みたいにきちんと正面から訪れて、話をすりゃいいんだ」

「お前に賛同するなんざ気に入らんが、仕方がない」

 それについては同意する、とトルーディは嫌そうな顔をしながら言った。ラウセアが聞いていれば「話しづらい事情があるのかもしれません」とでも言葉を挟んだかもしれないが。

「手紙の主の目的は、俺たち町憲兵の目を自分から逸らすことだろう」

「だから、それが殺しの真犯人」

「短絡的だ」

「……旦那に言われたくないね」

「何だと」

 トルーディが腹を立てそうだったので、ヴァンタンは素早く謝罪の仕草をした。

「真犯人じゃなきゃ、旦那は何だと思うんだ」

「気にかかる、もうひとつの件。それは、幻惑草なんてネタをガキが言い出したことだ」

 町憲兵はそう続けた。

「ありゃダタクのところのガキだから、知識にゃあるだろうが、こればっかりは妄言だと放置できん。それらを繋げて考えてみれば、投げ文の主が幻惑草でひと儲けを企んでるという画が浮かんでくる。これは……放置できん」

 苦々しく繰り返すトルーディを見て、ヴァンタンは少し笑った。

「――俺は、だからあんたが好きだよ、旦那」

「ぞっとせんな」

 トルーディはやはり、不味いものを食べたような顔をした。

「その調子で、もう少しクレスの言うことを信じてやってくれ。報酬はそれでいいことにする」

「馬鹿を言うな。現状をひっくり返せるほどの力を持つ他の証拠でも持ってくるならともかく、そんな戯けた取り引きには応じんね」

「前言撤回」

 ヴァンタンは肩をすくめた。

「やっぱりあんたは、腹立たしい人だ」

「そう言われた方が気分はずっといい」

 町憲兵はひらひらと手を振った。

「ほら、お嬢ちゃんが行っちまったぞ。追いかけるなら早くしたらどうだ」

「彼女は独立独歩。今回に関しちゃ、俺より手強いよ、旦那」

「無茶な真似は、させるなよ」

「へえ、意外。心配するのか」

「馬鹿を言うな」

 トルーディはまた言った。

「突っ走った挙げ句、ガキの脱獄なんぞ計画されたら、かなわん」

「はっ」

 ヴァンタンは思わず笑った。

「鋭いね。彼女は実は、それを計画してるんだ」

「阿呆」

 そんな計画があるのなら、ヴァンタンがわざわざ言うはずもない。当然、トルーディはそう考えただろう。性質たちの悪い冗談だと、町憲兵は相手にしなかった。

「行け。もう、この件では俺の前に顔を見せるな」

「たぶん、お望み通りにはいかないと思うがね。まあ、いまは退散しよう」

 言ってからヴァンタンは苦笑した。

「だいたい、いまは俺が旦那のところに出向いた訳じゃない。あんたが勝手に」

「うるさい。お前が絡んでる予感がしたんだ。嫌な予感てのは当たるもんだな」

「クレスを断罪することに関してその予感は働かないのかい」

「しつこい奴だな。いつもながら、呆れる」

「ついでに、いつもの連敗も思い出してもらえると、助かる」

「いい加減にしろ」

 町憲兵はじろりと男を睨む。

「ガキが聞いたかもしれないことと、ガキがやったに違いないことは別だ。とっとと行け」

「はいはい」

 クレスがトルーディに何をどう話したのかは、知らない。

 だが、すぐに当人から聞けるだろう――と、青年は娘を追った。

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