第二十六話 陣中

 クラッサのホレス侵攻を阻止するべく、征四郎等はホレス側に傭兵として参戦。

 紆余曲折を経て、如何にか戦場で戦う事になった。

 傭兵を二百名ばかり指揮する事が許された征四郎は、嘗て中隊を率いていたように彼等を率いて戦っていた。

 その必死の抵抗が、聖騎士を呼び寄せているとは露知らずに。



 平野部に点在する丘を、つまり高所を制しているホレス側は優位に事を進めていると言えたが、それは敵が損害を被るのを嫌っているからだ。

 もし、一転して強硬策に出られれば敵に多大な損害を与えようとも、何れは丘を攻め取られ陣も潰されるだろう。

 本来ならば、敵の猛攻が始まっていてもおかしくないのだが、クラッサの西方兵団も、侵攻軍の大部分を占めるカムラの兵団も動きが悪い。

 なまじ、難関と呼ばれていたホレスの国境を然したる苦労も無く抜いてしまった事が今の状況を形造ってしまった。


 情勢は侵攻側の勝ちに大分偏っている。

 誰が勝ちつつある戦で決死の作戦なぞ行う物か。

 そんな感情が侵攻側に蔓延ってしまっていたのだ。

 未だに勝敗は決して居なかったと言うのに、である。

 一方のホレスの兵士にしてみれば、後が無いのだ。

 抵抗の必死さが違う。

 そして、然程期待していなかった傭兵部隊の幾つかが正規軍顔負けの戦いぶりを示し、その中の一つがクラッサ騎兵の壊滅に寄与したと知れば、自ずと士気も上がり、傭兵相手であっても一体感が生まれてくる。

 例え生まれは違えども、同じ敵を相手に共に命を賭けて戦えば連帯感は生まれてくるものだ。


 逆を言えば、クラッサとカムラの間には連帯感は生まれていなかった。

 カムラにしてみれば、王が突然敵に降り、その敵の為に仲間だった筈の隣国を攻めたのだ。

 飲み込み難い感情が如何しても生まれる。

 それに……クラッサ側の野望の為にカムラの兵士が死んでいく状況に釈然としないのも道理だった。

 クラッサ側にしてみれば、カムラは簡単にこちらに寝返ったのだから、兵数に劣る西方兵団にもいつ牙を剥くかもわかった物ではない。

 胸襟を開いて指揮官同士が話し合いでもしていれば、また違った展開も見えただろう。

 だが、双方の指揮官は傑物には程遠く、保身が優先された結果、連帯も何もない兵数だけが多い烏合の衆になりかけていた。


 それでも、戦とは兵数で行う物だ。

 この時点では、ホレスの勝利はない物と思われていた。

 ホレス側もそれは心得ていて、何とか今の戦場で持ちこたえて、第三国の介入を待つ以外には道はないと考えていた。


 だが、結果として第三国を巻き込む必要が無くなった。

 クラッサの第一次ホレス侵攻は、失敗に終わった。

 失敗の原因にはカムラの兵士達がその軍の殆どであったことが大きく起因している。

 カムラ王の、クラッサに対する急な恭順も、同じく。

 何せホレス側には、カムラの王女と王子が揃っていたのだから。

 つまり、ロズワグンとグラルグスが。


 だが、彼等の存在は今はまだこの陣中を出ていない、一歩たりとも出てはいなかった。

 ロズワグンとグラルグスの姉弟は言うなれば戦争の大詰めを担う役割が与えられている。

 それはカムラの兵の説得、撤退を示唆するだけにはとどまらない。

 現カムラの王に不満持つ者を吸収し、カムラを二分する勢力の頭目となる事を期待されているのだ。

 これは、マイワスの作戦を受ける代わりにハーナンが求めた条件であった。

 その様な立場になってしまえば、ロズワグンとグラルグスはジーカに赴く事など出来ないだろう。

 だが、それが王族に生まれし者の宿命でもある。

 王族の責任は果たさねばならないと言い募ったハーナンの意図が何処にあるのかは分からない。

 分らないが、否定できるだけの正論はロズワグンもグラルグスも持ち合わせてはいなかった。


 ロズワグンとグラルグスが居る陣中は、左方の陣である。

 与えられた天幕の中、苛立たしげに動き回るグラルグスの顔には隠しようもない怒りが満ちている。

 その天幕の入り口より入ってきた人影は、深く息を吐き出してグラルグスに一瞥も与えず敷物が敷かれた地面にそのまま横たわった。


「状況はどうなりましたか、姉上?」


「セイシロウの率いた兵が上手くクラッサ騎兵を弓兵の射線に引きずり込んだそうだ。騎兵部隊の隊長の首を上げて武功としたともな。――あの男は、争い事を行うために生まれた様な奴だな」


「羨ましい話ですな」


 付き合いは短いが、頼もしい仲間であった男の活躍を聞き、グラルグスは口元に漸く笑みを浮かべた。

 彼と戦うためにジーカに向かっていたと言うのに、今はそれすら叶わぬかも知れない状況に、再び苛立たしさが湧き起る。


 一方のロズワグンも非常に参っていた。

 隣国と言う事もあり、マイワスやハーナンと会話を交わした事はあった。

 年も近い事もあり、幼い頃にハーナンと遊んだ記憶もある。

 だが、今はハーナンと言う男が非常に煩わしい。

 同じ陣中に居る事もあり、事ある毎に彼女を呼び出して話をするのだ。

 その彼の視線には己に対する好意が透けて見え、辟易する。

 それだけならまだしも、ハーナンの取り巻きの女騎士が、露骨に敵意をぶつけてくるのも腹立たしい。

 女の身で騎士になれたと言うのに、些細な事で嫉妬を他者にぶつけるなと怒鳴りつけたい気分でいっぱいだ。

 カムラでは、決してなれない女の騎士に。


 ロズワグンは幼き頃より、騎士に憧れに似た気持ちを抱いていた。

 いや、ただの騎士ではない。

 軍を指揮する立場に強い憧憬を抱いていた。

 彼女には到底なれる立場でも無かったが、強く、強く渇望していたのだ。

 それが何故かは分からない。

 カムラと言う男社会の国では、そんな渇望を抱く娘は奇異なだけだったが、父はこっそりと兵法書などを彼女に貸し出したりしてくれた。

 自身に死霊術と言う忌避される傾向にある魔術の才がある事を知った時、彼女は密かに喜んだ。

 死人を操り、指揮できる立場になったのだと。

 だが、カムラにおいてはそれすら制限された。

 死人操りの王女など、体面が悪いと言うのである。


 だが、他国を見れば如何であろうか?

 多くの女術師が活躍しているし、覇権国家クラッサの王は女王だ。

 女の身で騎士になった者も他国にはそれなりに多く、兵権を与えられた者だっている。

 自分とは雲泥の差だとロズワグンは思う。

 ならばいっその事、国を飛び出して……と思わぬでも無かったが、病弱な父を残して飛び出す事は憚られた。

 そんな自分を見て育ってきたせいか、弟の武への執着は凄まじい。

 それがクラッサの目に留まってしまい、聖騎士とされる結果に繋がったのならば、弟は自分の被害者とも言える。

 苛立たしげに天幕内をうろつく弟を、横たわりながら眺めていたロズワグンは、不意に上体を起こす。


 同じくして、グラルグスもまた、ある一点を見つめてぴたりと止まった。


「気付きましたか、姉上」


「……ああ。セイシロウに会った時に相対した奴の気配だ。だが、だが、これほどのものだったか?」


「レドルファ。若造と侮っていたが、この気配は……」


 今、聖騎士に見つかるのは不味いと言う算段は以下に苛ついていようとも出来る。

 しかしながら、依然垣間見た時より遥かに恐ろしげな気配を、隠す事なく放ち敵陣を闊歩しているであろう姿をグラルグスは見たくなった。

 それに、レドルファの放つ気配に隠れる様に存在する今一つの気配も気がかりだ。

 居ても立っても居られなくなったグラルグスは、本能のままに天幕を出る。

 

 途端、聖騎士であるその身を苛むのは呪い。

 激しく痛む頭に耐え切れず、片膝をついたが、それでも気配を探すグラルグスは、望みの相手を見つけた。

 レドルファと仮面を付けない魔人衆の姿を。

 丁度、ハーナンの傍に仕える上級騎士達が四方から打ち掛かる所だった。


 白刃が陽光を浴びて煌めき、グラルグスが苦痛に堪えながらも目を眇めた所で全てが終わった。

 黄衣の女が外套を靡かせ鞘へカタナを仕舞うのと、レドルファが剣を振るい鞘へと仕舞うのがほぼ同時だった。

 そして、四人の上級騎士の腕や首がそれぞれ吹き飛ぶのも。


(……あれは、誰だ? レドルファとはそれ程の使い手であったか?)


 己の胸中に沸き起こる驚愕と共に、姉が寝かしつけていた今一つの魂が目を覚ます。

 杉渓スギタニと呼ばれた男の魂が。

 するとグラルグスの脳裏に、見た事も無い戦場が浮かび上がった。



 銃声は絶え間なく鳴り響く。

 空より振るのは雨ではなく砲弾。

 地面を苦労して掘り起こして築いた濠も簡単に形を変えていく。

 だが、それは敵方も似た様な物だった。

 一瞬の静寂が不意に訪れると、聞き知った男の声が響く。


「桜花長銃中隊、突撃!」


 叫び駆け出すその後ろ姿は、服装こそ魔人衆のそれによく似ていたが、征四郎の姿に間違いはなかった。

 その背を追い求める様に征四郎に視界はついて行く。

 的を見つけたかの様に再び響き渡る絶え間ない銃声。

 それが不意に途切れるのと、前方の敵陣が吹き飛ぶのが同時だった。

 砲弾がさく裂したのだろう。

 征四郎はそれに怯まず、敵の作った濠に乗り込み、腰のカタナで数名を切り飛ばすと敵から声が響く。


「ネームド、ソードデーモン!!」


「桜付きか! 距離を開けろ、奴に白兵を挑むな!」


 広いとは言えぬ濠の中を背を向けて逃げる敵兵の一団に、征四郎は無慈悲に手投げ弾を投げつけた。

 それが終わる頃には、仲間の突撃が続き敵の濠を食い破る。

 突破の立役者である征四郎は、しかし、厳しい顔で吹き飛ばした数名に向けて片手を立てて小さく呟いていた。

 ナムアミダブツと。


(これは……)


(異界の騎士よ、神土中隊長に挑む騎士よ……お前は、銃と砲が支配する戦場で、まだ剣を握っていられるか? 俺は出来なかった。中隊長のようには……)


 誰もが出来る事ではない。

 剣に対する異常な執着と、己の命に対する一種の諦めが無ければ。

 征四郎の強さとは、すなわちある一点において異常である事だった。

 あの異様なまでの修練も、全ては執着がなせる業。


(レドルファは、あの戦場を知り、鍛えなおしたのか? ならば、俺とてセイシロウに挑もうと言うのだ。今のままでは駄目だ、今のままでは……)


 視界に映るハーナン、彼を慮り逃がそうとする負傷した騎士達。

 姉に憎悪に近い視線を向けていた女騎士も腕が飛び、息も絶え絶えながら逃げる様に訴えているようだった。


(呪いを超えろ)


 杉渓の声が響く。


「呪いを超える」


 グラルグスの口から声が漏れた。


 ハーナンに対峙するレドルファは、不意にグラルグスの方を見やる。

 そこに居るのは知れていた。

 故にハーナンを狩ってから、連れ戻そうと思っていたが……。


「奴め、あの男がいた戦場の光景を垣間見たな……」


 あの戦場で剣を振るい続けた異常者の姿を垣間見たのだとレドルファは悟った。

 自身もそうだったからだ。

 武に対する執着の違いを見せ付けられた彼は、変わった。

 ならば、グラルグスも変わってしまう。

 その前にハーナンを殺し、グラルグスを連れ戻さねばならない。


 レドルファがそう意を決するのと、相対しながら脇を見たレドルファにハーナンが剣を振るったのは同時だった。

 しかし、ハーナンの剣はレドルファには当たらず、彼が無造作に払い除ける様な動きで弧を描かせた拳の一撃に断ち折られた。


 ハーナンの絶命の危機、だが、天は彼を見放さなかった。

 二百名程の傭兵部隊が左方の陣に戻って来たのだ。

 征四郎が率いている、あの部隊が。


【第二十七話に続く】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る