第6話 自助グループに依存する人

 8月…理由は定かではないが、例年ケースの動きが落ち着く。まるで我々に夏休みの取得を奨励してくれているかのように…。課員たちからのSOSも少なく、私は事務作業に没頭していた。年明けに予定されている「生活保護法施行事務監査」の下準備である。


 さまざまな数字を精査していく中で、「移送費」の支給額が突出しているケースがあることに気付いた。「移送費」とは、例えば通院やデイサービス、自助グループに通うための交通費であったり、熱心に求職活動している人の活動交通費であったり、親族に不幸があって帰省する人の交通費であったり、転居する人の引越代であったり、生活扶助では対応しきれない経費を外出しする費目である。ケースからの申請が前提になるが、個々の要件さえ満たせば比較的容易に支給可能である。


 「移送費突出ケース」は、岩本主査が担当している、青木勉さんという52歳の単身男性である。岩本主査に少し時間を作ってもらい、事情を聞くことにした。


 青木さんはアルコール依存症の男性で、昨年の9月から保護を受給している。九重病院でのアルコール治療プログラムを終え、その後「断酒会」…アルコール依存症者の自助グループに通う毎日を送っている。医療要否意見書上の稼働能力は「不可」となっており、「傷病者世帯」として治療に専念してもらっている。


 「断酒会」の歴史は古く、全国規模の大きな組織である。各地に「支部」があり、定期的なミーティングや研修会等、活動は盛んである。生活保護制度上は、要件さえ満たせば断酒会への参加交通費を「移送費」として支給することが可能である。


 移送費申請書を確認すると、特にこの春以降、週4~6日ペースで断酒会に通っている。南大阪町のみならず、堺市や大阪市や奈良市等々にまで「遠征」している。


 「断酒会」ははるか昔、まだ私が学生だった頃に、何度か顔を出したことがある。「当事者」としてではなく、あくまでも勉強のためである。時代が進み、薬物やら買い物やらギャンブルやら、さまざまな「依存」が病気として認識されるようになってきているが、基本的な対応スキームは「断酒会」のスタイルである。当事者たちが誰に拘束されることもなく、自由に体験談を吐き出し、体験談を聞く…話したくなければ「パス」すればいいし、聞きたくなければ帰ればよい。それを繰り返すことで、潜在意識に行動抑制を働きかけていくというシステムである。



 「岩本主査。青木さんは、何故ここまであちこちの断酒会に通う必要があるんでしょう? 事情を聞かれたことはありますか?」


 「私も気になってまして、先月の訪問の時に状況を確認しました。青木さん自身、断酒会のおかげで、自分がアルコール依存から脱却できたという感謝の気持ちを強く持っておられます。ただ一方で、断酒会にも高齢化の波が押し寄せていて、どこも参加人数が減ってきているらしいんですよ。青木さん自身、大阪支部の役員をされてますので、各支部存続のための『サクラ』みたいな感じで、各地の断酒会に顔を出しているという事情もあるようです」


 「うーん…なるほど…。事情はわかりました。でも、断酒会に拘束されすぎて、青木さん自身がまたしんどくなってしまうというリスクはないでしょうかね? 断酒会を辞めてしまったら、また飲酒が復活してしまうのではないかという側面と、断酒会そのものが下火になってしまったら、自分の居場所がなくなってしまうのではという側面の両方があるように思うんですが…。元々依存傾向のある人だけに、『のめりこみ』が心配ですよね」


 「課長のおっしゃるとおりだと思います。依存症克服のための『自助グループ』に依存してしまっていては本末転倒ですよね。一度青木さんにも、我々のそんな思いを伝えてみたいと思います」


 「そうですね。くれぐれも押し付けがましくならないように、丁寧に説明してあげてくださいね」


 南大阪町福祉事務所…300ケースほどの小さな田舎町の福祉事務所であるが、さまざまなケースがある。昔、大阪府生活保護課にいた頃、生活保護施行事務監査で府内各地の福祉事務所を回ったが、ケースの「多様性」という意味では、ここは数本の指に入ると思う。

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