嫁の推しメン=俺

御手洗 一貴

バンドマンと嫁=夫と追っかけ

大歓声に包まれるステージに俺は立っている。


会場のホールは満員。

地を這うような重低音に、俺が歌をのせる。

照明の熱、高ぶる心臓、歓声、したたる汗。


そして最前列に嫁。

驚いて顔がひきつる俺。



ライブが終了すると、俺はひとり、衣装のままマネージャーが運転する車に乗り込む。

「いつも悪いね!」と、車内に入ってやっとひと息。衣装を脱ぎ、汗を拭った。


「いやー参った、参った。今日は本当に参った。」

嫁が最前列に居た驚きを聞いて欲しくて「参った」を連呼するも、全く相手にしてくれないマネージャー。


「今日は奥さん何時くらいに帰りそうなの?」


「この会場なら真っ直ぐ帰っても1時間はかかるから、飛ばしてくれれば余裕かな。」


そう。とマネージャーは短く返事をしたあと、舌打ちをした。飛ばしてくれと、さりげなくリクエストしたことが癇に障ったのだろう。


クリーム色のスーツにポニーテールという素朴な見た目の女性だが、平気で舌打ちしたりするところが心底ガラが悪いと思う。


マネージャーは左手のサイドボックスからメガネを取り出すと素早く装着し、アクセルを強く踏んだ。同時に体が進行方向とは逆に持っていかれる。


「危ないからしっかり掴まってなさい。」


「そういうのは早く言ってくれない!?」

俺は慌ててシートベルトを装着した。





結婚して1年、俺は嫁に秘密がある。


嫁は俺のことを営業職のサラリーマンだと思っているが、実はバンドで生計を立てているアーティストなのだ。


しかも俺が所属しているバンドは、嫁が熱を上げて追いかけているバンドであり、嫁の推しメンが俺という妙な関係なのである。


俺は、自分がバンドマンであることを嫁に話すつもりはない。

なのでバレないよう、嫁がライブに来る日は嫁より早く帰ってきたり偽装工作を行っているのだ。


自宅のマンションに到着すると、マネージャーへのお礼もそこそこに俺はダッシュで部屋へ駆け込んだ。

シャワーを浴び、パジャマに着替え、テレビを付けて飛び込むようにソファーで横になる。


そのタイミングで玄関から音が聞こえた。

「ただいまー。」

今日もなんとかギリギリセーフ。

嫁より先に帰宅し、あたかも家でくつろいでいた感を演出することに成功した。


俺は息を切らしているのを悟られないように、短くおかえりと返す。息が苦しいが、我慢。


「今日のライブも最高だったよ!はい、これお土産。」


嫁から受け取った袋の中身をのぞくと、自分の所属するバンド、vital signs(バイタルサイン)のツアーTシャツが入っていた。


「ワア、アリガトウ。」

こんなに意味のないお土産があるだろうか。俺は棒読みでお礼を言った。


「今日ね、最前列だったの!そうしたらボーカルのキルと目が合って!あれは絶対私のこと見てた!」

そりゃ、嫁が最前列に居たら見るわな。


俺はすごいねと適当に相槌を打つ。

嫁は俺の適当な相槌に構わず、べらべらとセットリストがどうだったとか演出がどうだったとか話している。

「嫁子、とりあえずお風呂入ってきたら?」

そうだねと、ルンルンした足どりで嫁は風呂場へ向かった。


ふう。

ひと息ついて、俺はバンドのトゥイッターを更新した。

【今日はありがとう。また一緒にライブ楽しもうな。みんな愛してるよ。】

投稿すると脱衣所から黄色い声が上がった。

「キルが愛してるって!」

「いいから早くお風呂に入りな!」

やれやれと、またため息をつく。



嫁とはちょうどバンドを結成した頃から付き合っていた。


当時嫁はvital signsの追っかけはしていなかったし、俺は初めからバンドをやっていることを話しておらず、会社員とだけ伝えていた。

事務所に所属していたので、会社員は嘘ではない。

しかしバンドの行く先を考えると、結婚をするつもりはなかった。


いくらか月日が経ち、丁度結婚を考えるような時期になった頃。俺は嫁にバンドをやっていることを話そうと思った。

嫁と別れるつもりは毛頭なかったが、バンドが波に乗り大事な時期でもあり、俺達のバンドは女性ファンも多いことから、スキャンダルが怖かった。


結婚は難しいし、苦労をかけると思うけれど、それでも俺に付いて来てくれるか聞きたかった俺は、記念日に個室のレストランを予約した。


「わあ!すごい眺め!」


そこは夜景の見えるレストランで、こういう店には来慣れないため、2人とも少しギクシャクと緊張した。


コースの終盤、もう少しで2人ともメインを食べ終わり、デザートをというタイミングで、突然店内が暗くなった。


記念日の演出かと思ったが、それならばデザートを持ってきてくれるタイミングのはず。

もしかして記念日をお祝いしている別のテーブルでの演出だろうか?と、数秒の内に様々な考察が脳内を駆け巡った。


「なんか真っ暗になったね、なんだろ。」

俺の問いに、嫁はふふふっと笑った。


すると突然、店内に聞き覚えのある曲が流れ始めた。

俺の所属するバンド、vital signsの曲だった。


正直、先程までクラシックをかけていた夜景の見えるレストランでかける曲ではない。


俺が激しく動揺していると、パッと明かりが戻った。


俺の隣には、なぜか嫁の父親が座っていて、無表情のままふたりで数秒間見つめあった。


嫁の「ドッキリ大成功!」の言葉で正気を取り戻し、嫁と父親の顔を交互に見る。

追い打ちで嫁が、「この曲は今私が追いかけ始めたバンドの曲なの。」と言うので、俺は頭の中が真っ白になった。


嫁、vital signsを追いかけ始めたの?

なんで記念日に嫁の父親がこのタイミングで出てくるの?

完全に頭が回らなくなった俺は、メイン料理を残してしまった。


気を取り直し、記念日のデザートが3人分運ばれてきた。


「彼氏君、久しぶりだね。」

「ご無沙汰してます、おとうさん…。」


ぎこちない会話のBGMに俺がめちゃくちゃシャウトをしている曲が流れ、とてもシュールだなと思う。


「単刀直入に聞くよ。君、うちの嫁子との結婚はどう考えているんだね。」


まさか嫁の父親が記念日に現れてそんなことを聞きにくるなんて夢にも思わず、一瞬何を聞かれているかわからなかった。


予定通り俺がバンドをやっていることを話そうと思ったが、嫁がvital signsを好きなことが引っかかった。


バンドマンに女はつきものだが、女は慎重に選ばなくてはいけない。

痛い女にあたると、SNSに写真や匂わすような投稿をしたり、メンバーやスタッフに馴れ馴れしくしたり、迷惑行為を働く恐れがある。

嫁は信用しているが、どう転ぶかは実際のところは分からないし、詮索されるのも困る。


となると、バンドをやっていることを話せば、必然的にバンド名を聞かれvital signsのメンバーだとバレてしまう。

しかも上品なバンドならまだしも、今BGMでシャウトを響かしているバンドだと、面と向かって嫁の父親に言いづらい。


「彼氏君、どうかしたのかね。」


俺が言葉に詰まっているので嫁も父親も怪訝な顔をする。


「別れたく、ありません。この関係を続けたいと思っています。」


俺は纏まらない考えでも、どうにか伝えなくてはと声に出す。

ただ、次の言葉だった。待っていて欲しいの理由がない。


俺が言葉に詰まっていると、嫁と父親が「よかったー!」とハモった。

「え?」

「では結婚ということだね、彼氏君。いやあ、君のようなハンサムな息子ができて嬉しいよ。」

「これからプロポーズを受けて、式の準備もするから、婚姻届の提出は来年の今日にしようね!」


きゃーっとふたりで盛り上がり出す嫁親子。

やばい、まずいとは思ったが、未だに理由が思いつかず、俺はえっとか、あのっとか、情けない言葉を繰り返す。


父親は改めて、見開いた目で俺を見た。

「男に二言はないね?」


この迫力と威圧感は、とても言葉では言い表せない。

蛇に睨まれた蛙のような気持ちで、「はい。」と返事をした。




あれからずっと俺はカミングアウトの機会を失っている。

しかし嫁のvital signsへの熱のあげようを見て、俺は自身がキルだとは話さないことに決めた。


理想を崩したくないのだ。

ステージの上に立つ俺と、生活を共にする俺はどうしてもギャップが生まれてしまう。

俺がキルだと知って、どう接して良いか分からずギクシャクしたり、キルを見た時に俺の生活感を思い出して欲しくないのだ。


だから一生の隠しごと。

これが嫁への秘密。



嫁は風呂を上がったあとも、ベッドに入ってからも、永遠と今日のライブの話をしていた。

「……もういい加減寝ようよ。」

嫁は本当にキルが好きだ。

寝ても覚めてもキルの話ばかりしている。


最初はファンの生の声が聞けて嬉しいと思うこともあったが、さすがの俺もそろそろウンザリしてくる。

現に今もうるさくて眠れやしない。


嫁は、んー!と俺に抱きつき、胸に顔を埋める。

「寝たら今日が終わっちゃうから寂しいんだもん。」

「……寝なきゃ次のライブもないよ。」

嫁の背中をトントンと規則的に叩く。

「今頃キルは打ち上げ中かな。」

キルももうベッドの中だよ。


寂しそうに呟く嫁に教えてあげられないことがなんだかもどかしい。

しかし俺の一部であるキルに、俺が負けているのかと思うと、どうにも複雑な気分だった。


「そうだ!トゥイッターに今日のレポとMCまとめるの忘れてた!」


せっかくウトウトといい感じで眠れそうだったのに、嫁がガバッと起き上がったせいで目が覚めた。


「寝て!頼む!」


嫁をもう一度寝かせようと試みたが、暴走機関車のように彼女はリビングへ走り去った。


ライブが終わったあとに寂しい気持ちになるのは演者だって一緒なのに、まさか独りで眠ることになるとは思いもよらず。

この寂しい気持ちを今度歌詞にしてやろうと考えながら眠った。

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