Legend of kiss 1 〜雪の王子編〜

明智 颯茄

差し伸べられる手

 ――――突然、激痛が走った。体をバラバラにくだくような、木のくいで打たれたような衝撃。それが胸をおそう。さっきまで当たり前にあった景色も感覚も何もかもを狂わした。


「っ!」


 清流に泥水という毒が混じるように、この身がおかされてゆく。鎖で拘束するようなしびれが略奪する、体中の正常を。


「……くっ!」


 全ての記憶が、思い出が、砂が風に吹かれるように消え去ってゆく。急速に意識が遠のき始めた。


(た、大切な何かを……)


 失いたくないのに。未来を歩きたいのに。それがかなわない。どうにもならない。青天の霹靂へきれきという言葉が似合う運命の終焉しゅうえん


 かろうじて残っている感触。肌に伝わってくる、誰かの温もり。もう少しでこの人の何もかもを感じ取れなくなるかと思うと、どうしてもそれを食い止めたくて、その人の名を呼ぼうとするが、


「…………!!」


 声ももう閉じ込められてしまった。最後ではなく、人の死を表す最期さいごおりの中に。


(つ、伝えたい……。

 でも……く、苦しい……)

「っ!」


 下から火であぶられるようなひどい焦燥感に襲われ、気持ちだけが空回り。


 だがしかし、傍観者がいた。それはもう1人の自分という第三者。映画を見ているような気持ちで問いかける。


「誰?」


 半ば予測していたが、その問いかけに応える者はいなかった。水の中で音を聞くように遠く濁った自分の声がむなしく響く。


「誰なんだろう?」


 視界は不鮮明。研磨剤でこすった窓ガラスのように。温もりを今も自分にくれる、その人の顔を確かめようとしても、きりに煙ったように見えない。当事者の自分がその人の名を呼ぼうとするが、


「…………」


 器官が悲鳴を上げるような苦しい呼吸が無情にも響くだけで、声は死へほうむり去られていた。体が誰かに揺すられている、何度も何度も。遠くで誰かが自分を呼んでいる、必死に懸命に。


「…………!」

「…………!」


 だが、それを聞くことさえももうできなかった、輪郭の残像だけ残してシャボン玉が割れたみたいに。


(声が聞きたい。

 あなたの声が……)


 一番好きだった声。

 いつもそばで聞いてきた声。

 問いかければ応える場所にいた声。


 必死に探す、その居場所を。流れ星が尾を引いて消えてゆくように、意識が薄れ始めた。


(どうして……。

 どうして、こんなことになって……)


 自分の意思とは正反対に、まぶたが勝手に閉じてゆく。凍えた手足の感覚が戻ってくるようなジリジリ感が広がる、唇を動かそうとする、まだこの人のそばから離れたくなくて。


「…………」


 だが、もう呼吸さえもできなかった。


(伝えたいのに、伝えられないまま……。

 このまま……死んでしまう)


 消えゆく運命にあらがおうと、意識を呼び戻そうとした。


(この人に私は伝えた――!)


 その時だった。魂を消滅させるような激痛が胸をひどくえぐったのは。輪廻転生りんねてんせいも叶わない。どこの世界からもいなくなる。もう二度と誰とも会えない。これが本当の死というのだろう。


 そうして、静寂が訪れた。痛みも消え去った。そばにあった温もりもなくなった。無の世界がやってきた。死のふちに落ちてゆくしかない闇の中で、もう一度だけ強く願う。


(私は伝えたいことが、あなたにあった。

 だから、それを伝えたい。

 どうしても……伝えたい)


 自分という霧がくるくると回るように消えゆく中で、呪文のように唱え続けていた時、りんとした優しい声がどこからか聞こえてきたのだ。自分を救うと言って。


『なんてことでしょう。……とは、私は許せません。……。自ら、この呪いを解く意思があるのなら、その機会と方法を与えましょう。今から5千年後に……うでしょう。……18の誕生日までに……』


 抜け落ちた部分の多い言葉が響くと、それを最後に意識は完全に途切れた。まるで映画が終わった時みたいに、プッツリと――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る