2-4―清々しい朝―
翌朝目覚めた珠樹の胸は清々しさでいっぱいだった。あのあと、他愛ない話しをしながら、笙は珠樹を家の近くの交差点まで送ってくれた。話をするうちに少しずつ珠樹も気持ちがほぐれ、笙に対していつしか無邪気に接していた。別れ際の笙はあっさりとしていて、珠樹の方は少し取り残されたような気分にもなったが、笙とふたりの夢のようなひとときが過ぎた余韻に浸って気付くとひとり思いを巡らしていた。その日のことを珠樹は誰にも伝えなかった。自分の思いを胸の中であたためたまま眠りにつきたかったのだ。
「おはよう」
いつもより早く目が覚めた珠樹は先に起きてダイニングの窓際に立っていた彩菜に軽やかに声をかけた。
「おはよう。お姉ちゃん、何かあった?」
「え、うん……まあね……」
言葉を濁しながら、咄嗟の彩菜の反応に珠樹は内心、戸惑っていた。
「お姉ちゃん、楽しそう。またそのうち、ゆっくり話しを聞かせてね」
彩菜はそう言うとダイニングから出ていった。珠樹の胸にふっと複雑な思いが過った。
「あら、早起きね。珠樹、体調いいのかしら?」
珠樹の複雑な思いを遮るように、母も声をかけてきた。
―珠樹は自律神経失調症のせいもあって朝早く起きるのが苦手だった。それでも生活に支障をきたさない程度のバランスはとっているつもりだったが、朝の食卓の準備などはすっかり母まかせだった。夏休みはいつもよりゆっくりできるわけだし、仕事に出かける前の忙しい時間を母に手を煩わせるのは悪いと心の中では思いながらも珠樹の身体を気遣う母の優しさに珠樹は甘えきっていた。
「うん。夏にしてはめずらしいんだけどね。今日は朝食の準備、手伝うよ」
「あら、嬉しいわ。そこに食パンがあるからフレンチトーストでも作って。ミルクティは私がいれるから」
忙しい朝の食事は簡単に済ませることが多かった。後片付けも日に応じて、すぐに取りかかったり、帰ってきてから取りかかったりと臨機応変だった。珠樹が学校へ通っている期間は忙しさに紛れるように日々は慌ただしく過ぎていた。
「夏休み中は珠樹のおかげでとても助かってるわ」
「夏休み中だけ?」
「もちろん、普段も助かっているけど……。夏休み中はね、特に……彩ちゃんのこともあるから……」
「うん……」
盲学校の夏休みは普通の学校の夏休みほど長くなくて一週間程度だったので、夏休みに入ってからは珠樹が母に代わって彩菜の送り迎えをしていた。その足で珠樹は学校の図書室へと向っていたのだった。
「フレンチトースト作る前に彩ちゃん、呼んでくるね」
珠樹は思いたったように呟くと部屋で一息入れていた彩菜に声をかけた。
「彩ちゃんも朝ごはんの支度、手伝って」
「わかった。今いくから」
出来上がったものを食卓まで運ぶのは彩菜の仕事だった。目が見えない彩菜にそういった生活規律的なことをできるだ手伝わせることは一緒に暮らす家族の規範として肝心なことでもあった。だがときに彩菜の中で自分自身を邪魔な存在ではないかと思案するような仕種が見受けられ、そんなときの彩菜は部屋に引きこもりがちになった。しかも大抵は一緒に暮らしている家族に対しては何の反抗的な前触れもなく、静かな行動で示された。忙しさに紛れているとそのことに気付かないうちに知らず知らずに彩菜を傷付けてしまっていることをいつからか珠樹も気にかけるようになった。母ももちろん、そのことは承知していたが、それでも生活していくために時間に追われ、見過ごしてしまうこともある。せめて、心に留まる範囲だけでも珠樹も母も心を配り合うようにしていた。特に最近の珠樹は情緒も安定していたこともあってか彩菜への心配りも慎重だった。
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