第24話:日本のバブル時代

 当時、大蔵大臣であった竹下登がプラザ合意後の円高不況対策として低金利

政策を行うため、日銀総裁の澄田智に利下げを行うよう提言して1986年

以降日本はバブル経済に突入した。1986年12月頃から日本でのバブル

の様相を呈してきたことを掴んだ、安田正吉は、すぐに海外のブランド品を

調達して、日本の富裕層に販売して、良いものは価格が上昇して、この値段

で販売できなくなるかも知れないという殺し文句で、安田商事のセールスマン

にデパートの外商と組んで、高額商品の販売に全力を注いだ。


 また、安田正吉は、安田哲二、安田太郎、安田秀夫を呼び寄せて、東京、

橫浜、大阪、京都、神戸の富裕層に高級外車、ベンツ、フェラーリ、ポルシェ

、マセラッティ、ロールスロイス、クルーザー、大型ヨット、小型ジェット

を売りまくった。しかし、不動産には絶対的な価値がなく、変動幅が大きい

と感じて絶対に手を出さないように、安田商事の社員に言明した。


 その後、大阪の新地に、安田商事。大阪支店を出し、安田竜男と10人

の若手社員を送り込んだ。その後、大阪から神戸、京都、名古屋、博多、

金沢でデパートの外商と組んで富裕層への売り込みを積極的に進め、

橫浜支店からも、札幌、仙台、新潟、静岡、東京でデパートの外商と

組んで富裕層への売り込みを積極的に進めた。


 その後、プラザ合意で円安から急激な円高になり、余り急激に反転した

ために米国ではインフレ、景気後退が起き、米国が急激なドル安阻止のために

、今度は、プラザ合意の反対にドル高にするために協調介入、金利操作を

させるようにフランスのルーブル宮殿の会議で各国に指示したが、ドイツ

が金利を下げずに上げたために、合意がなされずに、1987年10月に

米国株式市場でブラックマンデーの大暴落が起こった。


 この事件で世界経済はパニック状態になり、世界中で株価の大幅な暴落

が起きた。ちなみに日経平均株価も3836円安(-14.9%)で、終値

が21910円という過去最大の大暴落を演じた。しかし日本の下落率は

香港、シンガポール、ヨーロッパと比較すると小さく、一般市民の生活に

まで影響は及ばなかった。


 ちなみに一番影響小さいオーストラリア市場の株価の下落率が-11.4%で、

もっとも大きな影響を受けた香港ハンセン指数は-45.8%、暴落した。

 米国株の暴落を見て、当時のFRBのグリーンスパン議長がFF金利を

7.25%から6.5%にまで引き下げ、引き下げによる資金供給を即座に実行。

 市場に大量の資金を供給し株価のさらなる下落を食い止めた。


一方、株投資の方は1984年8月17日にVZ・ベライゾン・コミニュ

ケーションを1株7.8ドルで500万株を3900万ドルで買い、残金が

1100万ドルとなった。その後、膠着状態でなかなか、売り場が到来せず

に長期保有せざるを得なくなった。

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