第22話:シアトルへ初クルーズ

 その晩は、橫浜のホテルニューグランドに泊まり、翌日、ホテルから成田行き

の高速バスで夕方の成田発のサンディエゴ行きの直行便で、5月16日に、

サリーと2人の子供の待つ家に、帰った。帰ってから、サリーの父に、

サンディエゴ・ヨットクラブへ連れて行ってもらい、クラブのマネージャーに

、新規入会のために紹介してもらい、入会金と入会手続きをしてきた。


 その後、1級小型船舶操縦士を取るために、参考書を買い込んで、実地訓練

の日程を調べて、1年をかけて免許取得の計画を始めた。1984年、購入した

株も、大きな動きはなく、様子見だった。時間があれば、ヨットクラブで本を

使った勉強と、小型ヨットを使った、訓練をメンバーに依頼して、教えてもらう

日々が続いた。やがて暑くなり、涼しくなり、あっという間に10月を迎えて

、1回目の1級小型船舶操縦士試験を受験する事になり、学科試験は、

合格して、実地試験を受けたが、もう少しの所で、落ちてしまった。


 その後、来春の試験に向けて、時間のあるときは、実地訓練を教えてもらう

ように、メンバーに依頼して、操縦方法も上を上げてきた。そうして、

1984年が終わり、1985年を迎えた。その後も、ヨットの操縦方法の

実践練習の日々が続き、1985年3月14日に、実地試験が開かれ、

今回は、ミスなくでき、ようやく合格できた。仲間から、合格祝賀会を開いて

もらい、どんな、ヨットが良いか聞くと、長距離クルーズをめざすなら、

少し高いが40インチ以上の大きさのヨットクルザー:エンジン着きヨット

が良いと言われ、船の安定性と考えると、双胴型・カタマランヨット

クルーザーが、おすすめと良い、フランスのを奨められた。


 そして、いろいろ検討した結果、フランス製の45フィートのカタマラン

クルーザーヨットを100万ドルで購入した。10人乗れる45フィート

のカタマランクルーザーヨットを買って、毎週の様に家族や安田商事

サンディエゴ支店の仲間とサンディエゴ湾の回りを回って技術を磨いていた。


 1985年6月25日にリチャードとクルーズ仲間の合計6人でクルーズ

計画を立て、サンディエゴからサンフランシスコ、シアトルまでの7日間の

クルーズを計画し1985年7月8日から7月15日とする事を決めた。


 1985年7月8日に、リチャードは朝6時過ぎにヨットクラブについて

、食料や水、救急道具など必要な物を用意して、クルーザーヨットに荷物を

運び入れ終わる頃、以前と同じ仲間6人がやってきて船の点検をして7時頃

にサンディエゴを出発し夜6時過ぎにサンフランシスコのの港に着いて、

3人ずつに分かれて、食事して、必要な飲み物、水、食料品を買って、

夜8時にサンフランシスコ港を出た。満天の星を楽しみなら3交代で航海を

して、7月9日の昼12時には、シアトルとの中間地点のバンドンの港が

見えたが、寄らずに、そのまま、北上して、7月11日の夕方16時過ぎ

にシアトル港に到着し、翌朝7月12日の朝7時に出航する予定にした。


 久しぶりにシアトルでゆっくりして、必要な水、飲料、食料品と給油して

、明日の出航の準備を整えた。ビールで乾杯して、その晩は、シアトル港

でぐっすりの眠った。翌朝7月12日の朝6時に起きて、出航前に再度確認

を取って7時前にシアトル港を後にして、帰りは、どこにも寄らずに、

サンディエゴに帰る事にした。7月14日の夜9時にシアトル港に到着して

2日間、無寄港でのクルーズを始めて体験した。

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