Act.02『あいつ、今何してるんだろう Side:S』
「はいっ、これで最後の授業はおしまいです。
そう言って
「おいおい
詰め襟の制服を着崩している少年が、頬杖をつきながら悪態を吐く。
しかし口では厳しいことを言っているものの、その表情には満更でもなさそうな照れ笑いが浮かんでいた。
彼の名前は
オレンジに近い茶系の髪色が目を引くが、これでも一応は地毛である。長い後ろ髪を後頭部でまとめており、母親譲りの整った顔立ちや170センチという長身も相まって、その姿は(れっきとした男性でありながらも)ファッション誌の表紙を飾っていそうな美人モデルを彷彿とさせた。
もっともギラギラとした光を放つ目つきの悪さや、犬のように尖った八重歯……そして何よりもぶっきらぼうで無愛想にみえる態度が、彼の持つ女性的な美しさを見事に帳消しにしてしまっているのだが。
「もうっ、最後くらい素直になってくれてもいいのに。けっきょく最後まで“ひちゃこ先生”とも呼んでくれなかったし……」
「けっ、誰がそんな恥ずかしい呼び方するかよ。ちったぁ自分の歳を考えやが……
「こら麻倉くん、レディに対してそんな口を利くんじゃありません! それに私はまだ現役の女子大生なんですからねっ」
栗色のロングヘアがよく似合っている美人講師で、その人柄の良さゆえに生徒たちからの人気も非常に高い。派手さのない質素なセーターでさえ、彼女が着れば令嬢を着飾り彩るドレスのようにみえた。
……と、世間的には“優しい美人教師”として通っている
それだけ担当の生徒にはとにかく入れ込むタイプの講師であり、入塾当初は小学校高学年の問題すらろくに解けなかった朔楽がこうして勉強に取り組めたのも、彼女が親身になって教えてくれたおかげであった。
「ふふっ、初めて会ったときは
「う、うるせぇな……! 今は方程式も関数もカンペキになったんだからべつにいいだろ!」
「それは誰のおかげかなー?」
「言わねーよ! ぜってぇ言ってやんねー!」
そんなやり取りを続けていると、ふと教室のドアがガラガラと開いた。
「よっ、
気さくな挨拶とともに、コンビニのレジ袋をぶら下げた少年が教室へと入ってくる。
オールバックの黒髪にブラックの革ジャンという
そんな
「……うおおっ、ちょうど腹が減ってたんだ! サンキューな
「よしよし、食いねぇ食いねぇ。ひちゃこ先生もコイツの面倒見てて疲れてるでしょう、一個どうスか?」
「あら、いいの? じゃあお言葉に甘えてもらっちゃおうかしら……」
なお、教室の壁には『飲食禁止!』という張り紙がデカデカと貼られていたが……寿子自身とてもお腹が空いていたので、今日だけは目を
「ハハッ、にしても改めて振り返ると笑っちまうよなぁ。中二の頃まではあんなにハデに暴れまわってたヤンキー二人が、どっちもマジメに高校受験なんかに励んでるんだからよぉーっ!」
なにを隠そう、二人は少し前までここら一帯をシメる不良グループのツートップだったのだ。
「朔楽にいたっては九九もロクにできなかったのになぁー」
「
「バーカ、褒めてんだよ。……あと食いもんは飲み込んでから喋れよな」
同じ不良仲間のなかでも頭の切れる参謀タイプだった
そんな彼がたった1年で高校受験(それも地元では有名な難関校である)に
教え子の立派な成長ぶりに、
「これも美人で優秀な先生がつきっきりで勉強を教えてくれたおかげだねぇ」
「自分で言うかフツー!?」
「そうだぞ
「てめぇも大概ヒドいな
あくまでも試験本番は明日だと言って譲らない朔楽だったが、そんな彼に対して夕二は返答のわかりきった問いを投げかける。
「でも、受かる気なんだろ?」
「……………………まぁ、な」
恩師の手前なので気恥ずかしそうにしながらも、しかし
決して見栄やハッタリではない。直前に受けた模擬試験では見事に合格圏内に入れる点数を叩き出していたし、明日の本番に向けての対策や準備もばっちり行ってきた。
コンディションは万全である。
そんな彼の自信たっぷりな姿がよほど嬉しかったのか、夕二はニヤニヤしながら肩に組み付いてきた。寿子もすっかり目を
「まさか朔楽がケンカ以外でこんなに頼もしくみえる日が来るなんてなぁー! 相棒として嬉しいぜ、このこのォ〜!」
「明日はファイトだよっ、
「わーってるよ! 母ちゃんみてぇに言うなし! とりあえず明日はバシッと合格決めてくるからよォー、寿子も夕二もせいぜい首を洗ってまってろよな!」
(今だに慣用句の使い方が少し怪しいのはともかくとして)よき理解者たちからの激励を受けた朔楽には、もはや恐れるものなど何もなかった。
すべてを失い、自暴自棄になり、喧嘩に明け暮れていた“あの頃”とは違う。
きっと“今”の自分は、着実にいい未来へと進みつつある。仲間たちの幸せそうな笑い声を聞いていれば、自然とそう思うことができた。
(……なのに、心のどっかで煮え切らねぇのはなんでだろうな。あの世界への未練なんざ、とっくに断ち切ったつもりなのによォ……)
置き去りにしたはずの過去──3年半ほど前のあの日から、結局ずっと切ることが出来なかった後ろ髪。そのオレンジ色の繊維のような髪へと触れるたびに、朔楽は当時の記憶を嫌でも思い出してしまう。
大喧嘩を繰り広げから、結局そのあとは一度も会っていないかつてのパートナー。その彼が最後にみせた、あまりにも悲しげなあの横顔を……。
「あいつ、今──」
虚空に浮かぶ“誰か”の姿をぼんやりと見つめながら、朔楽は想いを馳せるようにそっと、呟いた。
*
「「──何してるんだろう」」
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