8話 街中デートで落としたい(3)
とぼとぼとアルテシアは大通りを歩く。その姿はとても悲しげで、道行く人々は彼女を見て不思議そうに首を傾げ、オズワルドはいたたまれない表情で隣を歩く彼女を見つめていた。
結局お金がないためあの髪飾りを買うことはできなかった。しかもそれを棚に戻した途端、きゃっきゃと可愛らしい声を上げながらやって来た平民の女の子たちにその場で買われてしまって……。
はぁ、と思わずため息が落ちる。街中デートだって張り切っていたのに、まさかお金を忘れてこんなことになるなんて想像だにしてなかった。すごく胸が重い。……元々胸はあんまりないけど。
そんなことを考えながら歩いていると、デートの最終目的地だったハウザー公園についた。本来ならばいろいろな店を回ってから来る予定だったけど、お金がないから店にも入れない。だからデートを早めに切り上げるためにやって来たのだ。……それにここは公園だからお金を払わなくて済む。
(だけど……)
ユイリアがコネを使って一部区画を貸し切りにしてくれるって言っていたが、この時間からもうしてくれているのかが分からない。予定ではティータイムくらいに着く予定だったから、もしかしたら……。
不安を覚えながら公園の中に足を踏み入れ、あたりを見回す。色とりどりの花が咲いていて、カップルと思われる二人組が何人もいた。予定通りなら、ここで管理人に案内されて貸し切りのところへ行けるのだが……誰も近寄って来る様子はない。穏やかな時間が流れている。
(と、いうことは……)
告白をするのなら、必然的に公開告白となる。アルテシアの表情が青ざめた。
(無理無理無理無理! ぜーったいにそれは無理!)
公開告白なんて、たとえ知り合いに見られていないとしても、それだけは無理!
ひぃ! と心の中で悲鳴をあげながらアルテシアが震えていると、その態度を不思議に思ったのか、オズワルドが覗き込んできた。告白のことを考えていただけに、心臓が普段よりも力強く脈打つ。
「どうかしたのか? 顔色が悪いようだが……」
「な、なんでもないわよ!」
顔が近いのが恥ずかしくて、頬が熱を持った。それをごまかすために慌てて返事をすると、「そうか……」と言ってオズワルドは考え込む。どうしたのだろうか? と思っていると、彼は突然あたりを見回し、アルテシアの手を取ると勢いよく歩き始めた。公園の奥のほうへと進み、何組かのカップルの前を通る。その際なにやらひそひそと言われ、どきりと心臓が跳ねた。果たして自分たちは、他の人たちからはどのような関係に見られているのだろう?
そんなことを思っている間にオズワルドはすたすたと進み、ひとつのベンチの前で立ち止まった。そしてアルテシアを優しく座らせると、「ここで待っておけ」と言って颯爽と立ち去る。
ぽかん、とアルテシアは呆けたままその背を見送った。いったいどうして彼が座らせてきたのか、分からない。首を傾げながらも、とりあえずはじっくりと観察し損ねていた周囲を見回すことにした。
色とりどりの花々は種類ごとに分けられ、半径五メートルはある円形の花壇をびっしりと埋めている。その周りでは平民からお忍びの貴族と思われる者たちが大抵男女二人組で立ちながら話していた。ちらほらとアルテシアのようにベンチに一人で座っている女性がおり、おそらく同じく待っているようにとでも相方に言われたのだと察せられる。その他にも仲の良さげなお年を召した夫婦とか、なぜか男数人の団体もあった。一人を複数人がからかっていて、中心にいる人物は真っ赤になって、しかし楽しそうに抗議の声をあげているようだ。デートの下見だろうか?
視線を上げれば春らしい青空が広がっていた。甘い花の香りが鼻腔をくすぐり、幸せそうな談笑が耳朶を打つ。のどかな光景に、自然と笑みがこぼれた。
思わずふふ、と笑ったそのとき、オズワルドが戻って来た。その手にはなぜかたくさんの小さな白い花があり、彼はこちらに近づくと、それを優しく耳にかけてきた。ふんわりと強い香りが漂ってくる。首をひねっているアルテシアを見て、オズワルドは笑った。
「髪飾り、気にしていたんだろ? なんとか交渉して、もらってきた」
そう言われて、心臓がどきりと跳ねた。嬉しくて、幸せで、へにゃりと顔がだらしなく崩れるのが分かる。だけどそれを直そうにも直せなくて、アルテシアはそのままの表情で「ありがとう」と告げた。
するとオズワルドも顔を緩める。
(この人は……本当に素敵な方だわ)
そう、アルテシアは自然と思った。時々抜けているけど、優しくて、かっこよくて、気を遣ってくれて、誰よりも自らの民を案じる人。きっとこんな素敵な人、他にはいないに違いない。
そう思うと、おのずと好きだという気持ちが湧き上がってくる。胸が温かくなって、好きだなと思って、アルテシアはこの場には他の人もいることなど忘れて、ゆっくりと口を動かした。
「あのね……私、あなたのことが好きよ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「あなたのことが好きよ」
その言葉を聞いた瞬間、オズワルドは目を見開いた。耳にした言葉が信じられなくて、思わず呼吸も忘れてしまう。
彼女の言葉を信じるならば、どうやら自分は好意を抱かれているらしかった。そのことに、戸惑う。両親も兄たちも政略結婚で、大恋愛の末に結婚した者なんて架空の物語の中でしか知らなかった。恋なんて縁遠いものだった。だからレオンに恋をしていると言われても、どうせこれからも関わりのないものだろうと、そう思っていたから、あまり深くは考えなかったのだ。
だがしかし、彼女は恋をしているという。
少し視線を下へやれば、アルテシアはただじっとこちらを見つめていた。真っ直ぐな瞳だったが、やはり不安なのか、わずかに揺れている。どきりと心臓が跳ねた。
(俺は……)
そっと目を閉じる。視界が塞がれてもアルテシアの視線を感じ、彼女の真剣さが伝わってきた。それならば、オズワルドも真剣に答えなければならないだろう。
アルテシアに抱くのは尊敬の念だ。しかし……そこに恋愛感情がないとは果たして言い切れるだろうか? 今まではそこまで深く考えていなかったが、彼女はこれほどまでに真剣なのだ。オズワルドもきちんと考えたほうが良いだろう。
ゆっくりと考えをめぐらせる。今までアルテシアと相対したとき、どのように思っていたのかをひとつずつ思い返す。
初めて会ったときは、どうせ彼女も他の女と同じで贅沢することしか頭にないと思っていた。しかしクッキーを作ってくれ、刺繍の入ったハンカチもくれ、オズワルドに息抜きをさせるためにわざわざお茶会まで開いてくれたのだ。そのときには初対面のときに感じたことなどどこかへ行ってしまい、好感を抱くようになっていた。他の女とは違って彼女の性格は真っ直ぐで嘘偽りはないと、確信を持てたのだ。
その後庭園を一緒に歩いた。そのころにはレオンと同じくらい信用しており、少しでも彼女に自身を受け入れてもらいたくて、過去を打ち明けようとした。……結局あまり話せなかったが、彼女は常に胸の内にあった悩みを見事に晴らしてくれた。その優しさに、胸が温かくなったのを覚えている。
それ以降も、今回のようにアルテシアに振り回されて……。
――陛下はアルテシア姫に恋をなさっているのですよ。
ふと脳裏に響いたレオンの言葉が、すとん、と心に落ちてきた。確かに、そうなのかもしれない。確信を持てるほどではないが、この感情は確かに恋なのかもしれない。そう思った。
そろそろ、とまぶたを押し上げる。アルテシアは強ばった表情でこちらを見つめていた。これからオズワルドが話そうとしていることを一字一句聞き漏らさないよう、全神経をこちらに向けているのがよく分かる。
オズワルドは口を開いた。
「俺は……」
「見つけました、陛下!」
公園の中に大きく響いた声に、ざわりと空気が揺れた。オズワルドとアルテシアが同時に声をした方を見ると、侍従姿のレオンが二人の元に駆け寄ってきていた。その顔はひどく青ざめていて、髪の毛や服も乱れており、急を要する事態が発生したことが窺えた。
すっと気持ちを切り替えている間にレオンはオズワルドの前に跪くと、緊迫感を孕んだ声で告げる。
「レーヴェン王国が攻めてきました! 率いるのはレーヴェン王国の王太子、フェルディナンド殿下です!」
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