シェアハウスですが女の子を拾いました。⑤


 「私を拾ってって、初対面の人に言われても困るわ」


 一歩距離を取って、冷静になり俺は至極しごく当たり前のことを口にした。


 「家出をしたの」

 「家出ねぇ…。他に行くあてはあるのか?」

 

 華宮はなみやは小さく首を横に振り否定する。


 「なら、漫画喫茶とかそういうたぐいは」

 「お金を持っていないの。お財布は家にあるから」


 もう一度首を振ったあと、華宮はなみやは両手を自分のお腹に当て、俺の食べかけの水羊羹みずようかんに視線を向けた。

 その仕草から分かるように、どうやら腹を空かせているらしい。

 華宮の食べ物をう様子は、まるで捨てられた子猫のようだ。


 「ほれ、とりあえず食え」


 流石に食べかけの水羊羹を初対面の女の子にあげるわけにもいかず、夜食にしようとしていた板チョコレートを華宮に差し出した。

 

 「これ、なに…」

 「え?まじ?」


 渡された板チョコを両手で受け取ると、華宮はなみやは首をかしげた。


 「まさか、板チョコを知らないのか?」

 「うん」

 「戦後せんごかよ…」

 「チョコは、いつもこのくらいの箱に入っているのを食べるわ」


 華宮は板チョコを持ちながら、人差し指を立て、胸の前で小さな四角形を作る。

 

 「ああ、そういうこと」

 

 つまるところ、華宮はなみや緋夏ひなという少女はお嬢様らしい。だから板チョコという庶民の宝を知らないのだ。俺が感じた存在感は、華宮のルックスだけでなく、財力からも来ていたようだ。

 てかそのサイズの箱って有名なチョコ専門店のやつだよな…知らんけど。


 「……ん」


 華宮は、板チョコを俺の目の前に近づける。


 「いやいいって、食べろよ」


 それを制するように俺は左手のてのひらを華宮に向けた。

 庶民のチョコは食べれないってことなのか?


 「け方が分からないわ」

 「まじかよ」

 「まじよ」


 世間知らずのお嬢様って本当にいたんですね。僕、初めて見ましたよ。

 華宮はなみやから板チョコを受け取り、箱を点線に沿って規則正しく開けて、銀紙に包まれたチョコを取り出す。そして、上から銀紙を少しだけぎ取って華宮に渡す。


 「ゴミはポイ捨てしちゃダメだからな」

 「うん」


 そんな当たり前のことも、もしかしたら知らないのではないかと思い、そう付け足した。


 「はむ…おいし」


 パキッという軽快な音を立てて、小さい口でチョコを咀嚼そしゃくする。

 どうやら初めての味はお気にしたらしく華宮は少し目を大きく開け、そう呟いた。

 いつも高級で濃厚なチョコを食べていた華宮にとって、板チョコの安いあっさりとした味は新鮮だったのかもしれない。

 庶民がたまに高級な食材を食べると、あまりの美味しさに感激する。それと同じくらい華宮は知らない味に驚いているだろう。

 安上がりなお嬢様だこと。


 「ねえ」

 「ん?なんだ」


 華宮はもう一度板チョコを割る音を立てたあと、俺の顔を見つめた。


 「好きよ」

 「——っ!?」


 華宮はわずかに微笑む。その耽美的たんびてきな表情は、どこか透き通っていて、数秒間、華宮緋夏という女の子の顔をじっと見つめてしまった。

 てかこいつ、今なんて…


 「い、いや、そういうのらもっとお互いを……」

 「板チョコ、私好きよ」

 「なんだよ。そういうことか…」


 ため息を吐いて俺は肩を落とす。

 一瞬心臓が飛び出たかと思った。いや、別に期待とかしてないけどね!?


 「かなうは、私を拾ってくれるの?」

 「その“ひろう”って言葉やめろよ」


 拾うだとか拾わないとか、そんなこと言われたら本当に子猫に見えてくるでしょうが。うちに猫は既に二匹いるのでこれ以上猫にかけるお金は無いのです。


 「じゃあ、買い取り?」

 「金持ってねーだろ」

 「なら、買収ばいしゅう?」

 「俺を悪者にすんな」


 断るごとにに品のない言葉を首をかしげながら華宮は言う。

 あなた、板チョコも知らないのに“買収”とか何で知ってるのよ。その言葉の飛び級みたいなやつやめてくれないかな。


 「なら、何て言えばいいの?」

 「普通に泊めてって言えばいいだろ」

 

 自分で言った言葉が少し恥ずかしく、痒みが一切ない鼻頭を人差し指で小さくかいた。


 「泊めてくれるの?」

 「シェアハウスだから、他のやつらが許すかは分からないがな」

 「ありがと」


 そんなやりとりが居心地悪くて、俺の視線は桜の木に向かって泳いでいった。

 シェアハウスに空き部屋はいくつかあるし、秋菜あきなとクリスさんが許すなら、1人くらい泊めても問題ないと思う。1ヶ月とかそんな大きな規模の家出でもないだろうし。

 板チョコすら知らなかった高校生のお嬢様なのだから、きっと甘やかされて育ってきただろう。すぐに親に会いたくなって帰るに決まっている。


 「とりあえず行くぞ」

 「うん」


 華宮のうなずきを合図に、自転車を押し歩き出す。いつもならすぐ着くはずのシェアハウスだが、華宮の小さな歩幅がそれを許さない。

 時間も深くなったせいで、この桜の並木道には自転車の音と、2人の足音だけが響いた。


    × × × ×


 シェアハウスに着くと自転車をいつもの場所に停め、鍵をかけてカゴに入ったかばんを取り出す。

 華宮は板チョコを丸々1枚食べてしまったそうで、手には銀紙をだけが残っていた。俺はそれを受け取り、ポケットに雑に突っ込む。


 「最初に言っておくが、このシェアハウスの住民は頭のネジがぶっ飛んでいる。覚悟かくごしとけ」

 「何かあったらほおむるわ」

 「そこまでの覚悟は求めてない」

 

 シェアハウスの扉の前で、華宮は感情の入っていないような声で間違った覚悟を決めようとしていたので少し焦ってしまい、すぐに止めた。

 

 「じゃ、入るぞ」

 「うん」


 鍵穴に鍵を刺して、左にひねる。

 ガチャッという音ともに少し重たい扉を開け、玄関に入った。


 「ただいまー」

 

 気の無い声でそう言い放つと、リビングの扉が開き、ワイシャツ姿の秋菜あきなが出てきた。手にはおたまを持っているため、料理でもしていたのだろう。

 基本的にここの住民の夕飯は遅い時間に開かれる。それはみんなして多忙だからだ。不健康極まりない…


 「おかえり、かな。今日はちょっと遅かった……って」


 秋菜は右手に持ったおたまを床に落とした。


 「ちょっと〜ダメじゃない食器を落としちゃ〜」

 

 その後ろから、金髪アフロのオネエ外国人が顔をのぞかせる。


 「あら、かなちゃん帰って…き…」


 クリスさんは硬直して、徐々に顔から汗が吹き出ていき特徴的な高い鼻を伝う。


 「「えぇぇぇぇぇぇぇえ」」


 秋菜とクリスさんは顔を見合わすと、俺と華宮の方に視線を向け、同時に驚愕きょうがくの声をあげた。

 

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