序章 試練の洞窟

 顔に当たる冷たい石の感触に、眠っていた意識がゆっくりと戻ってくる。


「あぁ……あ?」


 床から伝わるヒンヤリとした冷気が虚ろな意識を徐々に覚醒させると、自身の視界に入ってくる見たこともない景色に言葉を失った。


「……どこだ…ここ?」


 この青年──ロウが眠っていたのは何処かの祭壇のような机の上だ。

 祭壇と言っても、何かの装飾品がある訳でもない。

 大きな石を机の形に削ったような、雑な造りの置物といった方が分かりやすいだろう。


 今迄眠っていた場所もさることながら、何よりも目を引くのはロウが眠っていた周りの方だ。

 巨大なレンガを積み重ねて作られた部屋──というよりも巨大な通路の突き当りに置かれた祭壇の上で眠っていたのだ。

 背後には壁一面を覆う鏡が置かれており、祭壇の上で戸惑う銀髪の少年の姿が写り込んでいた。


 銀色の髪に血のような赤い瞳。鏡に映る黒で統一された軍服を身に纏う姿は、何処からどう見ても自分自身なのだが、どこか違和感がある。


「…いや、違和感があるのは俺にだけじゃない。…何処なんだよここは」


 固い石の上で眠っていた為か、どうにも体が痛い。

 祭壇から降りて体を動かしつつ、周りへと目を配るが生き物の気配は全くと言っていい程感じられなかった。

 加えて、この通路の明かりは等間隔に並べられた松明だけであり、遠く先を見通せるほど明るくはない。


 見たこともない場所であり薄暗い不気味な場所ではあるのだが、不思議と不安や恐怖は感じられなかった。

 どちらかと言うと懐かしさの感情が真っ先に思い浮かんだ。


「ここに居たってなにも始まらねぇ。とりあえず…歩くか」


 ズキリと痛む頭を抑えつつ、ロウはこの通路を進んでいくことにした。


 ◇◇◇


 この通路を歩きだして分かったことがいくつかある。

 一つはこの通路は進むにつれて巨大になっているという事だ。


 天井が見えないのは最初からだったが、歩き始めて数分と経たないうちに幅30mはあろうかという程に巨大な通路へと変わっていった。


 ここまで優に数十分は歩き続けているというのに、一向に終わりが見えないこの通路は想像以上に巨大であり、少なくともこれほどまでに巨大な場所をロウは知らない。

 仕事の都合上、あらゆる分野の知識を身に付けていたロウではあるが、こんな場所の事は見たこともなければ聞いたこともない。


 祭壇のあった場所からここまでは一本道で、周囲を観察しながら歩いてきたが、隠れられそうな場所も生き物の気配も全くしない。


「少なくとも俺の知っている場所じゃないな」


 という結論に辿りつくのは当然の事。

 ここに居るのは俺一人だけなのかと考える事もあるが、その都度頭を振ってその思考を追い出した。

 ここに居るのは俺一人だけでは無いはずと、一縷の希望を頼りに歩き続ける事、およそ十数分。


 ──変化は突然訪れた。


「…地震か?」


 大きな揺れが通路ごとロウへと襲い掛かる。

 揺れ自体は大きなものだったが、数秒程度ですぐに止まった。


 まるで通路が身震いでもしたかのような揺れに困惑していると、歩いてきた方向から何やらガラガラと音が聞こえてくる。


「……なんだ、この音は」


 嫌な予感に音の聞こえる方へと目を凝らせば、暗いながらも上から何かが降り注いでいるように見える。

 そんなまさか、あり得ないと呟いた。…が、事実として天井だった石が次から次へと雨のように降り注いでおり、ふりそそいだ石は床を砕きながらロウの方へと突き進んできていた。


「嘘だろ!!」


 周囲に気を配る余裕などある筈がなく、とっさに動きだした体はとにかく前へと足を動かし続ける。

 落石の速度は速く、終わりの見ないこの通路が永遠に続くのならば生き埋めになるのは時間の問題だ。


 突如として起きたこの現象を詳しく考える暇もなく、終わりのない道と落石の恐怖から逃げるように走り続けた先、行き止まりと思える壁が突如として姿を見せた。


 周りの壁と同じように巨大な石が積み重ねられた形は変わらず、ただ一つ違うのは真ん中あたりに三つの扉が備え付けられていた事だ。


 それぞれが同じ木材の同じ材質でできた扉で、きっと何処に入るかを選ばせるための物なのだろうが、余裕のない今はゆっくりと決めている暇はない。


「えぇい──クソッ! せめてまともなところに繋がっててくれ──」


 扉の先が何事もない平和な場所であることを祈りながら、走ってきた勢いをそのままに中央の扉を蹴り破って中へと転がり込んだ。


 扉の中に転がり込むと同時、後方で落石が原因の揺れと音は収まった。

 恐る恐る振り返ると、扉の向こうは降りそそいだ落石により完全に閉じられてしまっていた。


「…助、かった?」


 上下に揺れる肩を落ち着かせようと、何度も息を吐きながら転がり込んだ扉の中を見まわした。

 転がり込んだ扉の先は先程の巨大な通路とはうって変わって、今度は細く狭い通路だった。


 狭いとは言っても人二人分は歩くだけの幅は確保されているので、そこまでの窮屈さは感じない。

 しかし、窮屈さを感じない代わりに、歩き始めたロウは妙な息苦しさを感じていた。


「(この匂いは……。まさか…)」


 無論この通路も初めて見る場所に変わりはない。

 しかし、鼻にツンとくる匂いは今まで幾度となく嗅いできた物であり、そして最後まで嗅ぎ慣れる事のなかった匂い──死臭だ。


「…マジかよ」


 狭い通路を進んだ先、中央に岩の置かれた小さなホールのような場所へと辿りついた。

 ホールの頂点には照明のような明かりが煌々と輝いており、ドーム状のこの部屋を余すことなく照らしあげている。


 薄暗い雰囲気が一変して明るくなって安心とはならず、そこら中に転がっている無数の白骨化した死体に、ロウは言葉を失っていた。


 およそ30程だろうか? 死体は全て白骨化しており、そのどれもが錆と埃で黒ずんだ鎧を身に纏っていた。

 よくよく見ればそれなりに身なりを整えた格好をした者も散見するが、これだけ汚れてしまっていては形無しだ。


「護身用に武器の一つでも貰おうとも思ったが…これは止めといた方が良い感じだな。先に進む扉は……あれか」


 ホールへと入ってきた扉のちょうど岩を挟んだ向こう側に薄暗い通路を発見する。


「こんな場所とはさっさとおさらばするのが最善──」


 そう呟きながら一歩を踏み出した時だった。

 先へと進むための通路に何処からともなく柵が降り始める。


「なッ!? おい待て!」


 咄嗟に走り出したが間に合わない。

 柵が降りきったのとロウが柵へとぶつかったのは殆ど同時で、外れやしないかと柵を動かそうとするがピクリとも動かない。


 来た道を戻ろうと振り返ると、周りのレンガたちがひとりでに動き出して今来た道を塞いでしまった。


「閉じ込められた…?」


 異様な空間に大量の骸骨。他に出口は無いかと見回してもあるのは骸骨ばかりで、道となりそうなものは一つとしてない。


「まさかここで俺も同じように……」


 足元に転がる骸骨を見下ろし、自分もこいつらと同じように─と、これからの事を想像した時だった。


【 シメセ 】


 不意に誰かの声がロウの頭の中で鳴り響く。


【 ミズカラガ アユム ミチ エラブタメ シメセ ──チカラヲ 】


 選ぶ? 示せ? 言葉の意味を考えようと、鳴り響いた声に意識を向けようとした瞬間、床に転がる骸骨の目に光が灯る。


 ゆっくりと立ち上がる骸骨たちは、各々が腰に下げている鞘から所々錆びた剣を抜き放ち、暗い闇のなかにボウと光る目をロウへと向ける。


「…何処のお化け屋敷だよ…作り物にしちゃ迫力ありすぎんだろ」


 激しく暴れまわる心臓を鎮めるために吐いたため息が合図となり、ロウの近くにいた骸骨たちが腰の錆びた剣を振り上げて襲い掛かってきた。


 瞬間──戸惑う意識を置きざりにして、反射的に骸骨たちへと意識を集中させる。


 一番手前にいた骸骨が振り下ろした剣は、その場で左足を軸にして右半身を後ろに下げることで空を切らせる。

 そして同時に、剣を持つ骸骨の手首を掴むと引いた体の勢いを利用して、背負い投げの要領で集団の方へと投げ返した。


 間髪入れずに右脇から襲ってきた骸骨の剣を、先ほどの骸骨から奪った剣で逸らし、下から上へと骸骨の肋骨辺りを思い切り蹴り上げる。

 そこまでダメージは入らないだろうと思ったが、意外な事に驚くほど簡単に骨は砕け散った。


 背後から切りかかってくる骸骨へと振り返ることなくバックステップで距離を詰め、骸骨が剣を振り下ろす力とロウの下へとしゃがむ力を合わせてありったけの力を込めて地面へと叩き付ける。


 ガラガラと大きな音を立てて砕けた骸骨は、先ほど蹴り砕いた骸骨と同じようにしてバラバラになって消えて行った。


「脆いな、ガラスみたいだ。一人一人はそこまで強くないけど…ちょっと数が多いか?」


 最初に投げた骸骨に躓いて転ぶ骸骨たちを飛び越えて、身の丈もある長刀を振り下ろしてくる。

 投げたばかりのロウの体はとっさに動くことが出来ず、砕いた二体の骸骨の剣を交差させて受け止める。


 錆びついた剣は今にも折れそうに軋んでおり、眼前に迫る錆びついた長刀を見て頬に冷汗が伝う。


「だぁ…らぁあ!」


 交差した剣を右に流し、立ちあがる勢いそのままに骸骨に頭突きを食らわせる。

 痛みでもあるのか、ヨロヨロと後退したところを回し蹴りで蹴り砕いた。


「…この程度、何でもない。大したことないさ」


 こんなものは強がりだ。

 悍ましい見た目の骸骨の群れと、あまりにも現実離れしているこの状況はロウの冷静さをこれでもかとかき乱してくる。


 けれど、だからと言ってここで折れる訳にはいかない。

 震える膝を叩いて骸骨の群れへを鋭く睨みつけた。


「こんなところで死んでたまるかよ!」


 ホールに響く大声が開戦の合図となり、骸骨たちは一斉にロウへと襲い掛かっていった。

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