とある魔王の退屈

「——まぁ、こんなものかな。……いや、ちょっと気合い入れて準備しすぎたまである……」


 心底落胆したように息をいたのは、黒髪の女でした。

 身長はやや小柄で、全身が白と黒の二色のみで構成されたローブに身を包んでいます。

 全体的に三角形をイメージさせる、〝ひらひら〟と〝カクカク〟が共存した奇抜な服装です。

 変な服装の女は、椅子のようなものヽヽヽヽヽヽヽヽに、どっかりと腰を下ろしています。

 女が手にしているのは、身の丈ほどある大きな杖です。

 杖の外見は、実に禍々まがまがしい様相ようそうをしていました。

 一メートルを超える白銀の杖軸の先端には、きらびやかな紫水晶アメジストめ込まれています。杖の周囲には、闇が蠢くようなエフェクトが滲んでいます。

 たとえ使い手が弱っちい女の子でも、ちょっとばかし気合いを入れて振るえば、人の一人や二人、簡単に殴り殺せそうな。物騒な形状でした。



 ——ここは魔王城、最上階層。名を、永久とこしえの間と言います。

 両開きの巨門から部屋のはるか先まで続く大理石の床を彩るのは、真っ赤な絨毯じゅうたんです。 高い天井には、無数の魔光石で作られた豪奢ごうしゃなシャンデリアが下がっています。


 下から数えて全部で九階層ある魔王城のモチーフになっているのは、彼の有名な八大地獄です。

 等活とうかつ黒縄こくじょう衆合しゅうごう叫喚きょうかん、大叫喚、焦熱しょうねつ、大焦熱、無間むけん、そして、永久。

 魔王が使役しえきする凶悪な魔物を階層主デーモンとした、各階層フロアを突破した者のみが到達できる、最終決戦の戦場です。


 ――ごろごろごろ、どかーーーーーん!

 

雷が轟々ごうごうと鳴り響く、世紀末のような窓の外の景色を背に、黒髪の女は、艶やかな唇を微かに吊り上げました。

 その泰然自若とした姿は、手にした凶悪な外見の杖も相まって、まさに〝魔王〟といった傲然たる風格をただよわせています。


「……」


 そんな広い部屋の中央。

 黒髪の女と対峙たいじし、批難の視線を向けている別の女がいました。

 翡翠ひすい色の瞳と、同色の腰まで伸びた長い髪。

 刃のように鋭く、精緻せいたに整った顔立ちは森の住人、エルフを想わせます。

 細い木杖を手にしていることから、彼女もまた、魔法使いのように見えました。

 怒り心頭といった様子で頬っぺたをパンパンに膨らませ、せっかくの綺麗な細面ほそおもてをすっかり台無しにした女に、


「……あのさ、バエル。せっかく私がいい感じに黄昏たそがれて渋くキメてるのに、すぐ傍で君がリスみたいな顔してたら台無しなんだけど」

「してません!」

「そんなに怒ることかい……?」

「——分かっています。えぇ、分かっていますとも。けれど、頭では理解してても、納得できないことだってあります!」


 バエル、と呼ばれた翡翠の女は不満を漏らしました。


「……そうだね。あるね。増税とかね」

「それが今です!」

「……ま、そういうのって、理屈じゃないからね」

「出た! 出ましたよ、面倒くさい女をあしらうときに便利な台詞セリフ! サツキは私をなんだと思っているんですか!?」

「君、さてはめんどくさいな?」


 サツキと呼ばれた黒髪の女は、いじけてしまったバエルの機嫌を取ることをすっかり諦めて、


「……まぁ、蓋を開けてみればコレだからね。落胆する君の気持ちも分かるさ」


 退屈そうに頬をきながら、


「エキドナやルークが相手ならともかく、私程度を相手にこの有り様なんだからね。期待を返せというお気持ちは表明したいところだ」


 お尻に敷いている、


「——ねえ、聞いてるかい? 魔王様」


〝本物の魔王〟に話を振るのです。


「…………」


 しかし、返ってきたのは沈黙だけ。


「返事がない、ただのしかばねのようだ」


 しれっと目を細めたバエルが棒読みで言って、


「おーい、死ぬなー。生きろー、がんばれー」


 サツキは魔王を応援しました。本人的精一杯の熱烈な声援を送りました。棒読みでした。

 当然、返ってくる言葉があるはずもなく、


「ダメだ、完全にノビてる……。さながら数十分レベルで放置したカップラーメンの如し……」

「のびのびですね」

「流石に食べたくないよね」

「いえ、ラーメンならまだいけます。食べられます。本当にやばいのはカップ焼きそばです。スープではなく、大量にお湯を吸い込んだ油揚げ麺の不味さと言ったら筆舌に尽くし難いほどで……」

「やったことあるのかい……」

「わたしはそんな話がしたいんじゃありません!」

「いや、君が勝手に始めたんだろう?」

「ゴホン。——この世界に『気絶』という概念は存在しません。それは、意識を失えば、自動的に〝外〟に戻されてしまうからです。ステータス異常としての『気絶スタン』ならともかく」

「初歩的な知識だね」

「サツキがとぼけるからです」

「……バエルには分からないかなぁ。偉大なる魔王の顔を立てるために、〝そういうこと〟にしておいてあげようと思った私の心遣いが」

「口に出した時点で、むしろ尊厳を踏みにじっているような」

「いじけて狸寝入りしてる魔王。よし……、と。なんだか世にも珍妙な光景が画角に収まってしまった。このスクリーンショット、ツイッターで拡散したらフォロワー増えるかな……」


 サツキが揶揄からかうように言った、その時——、


「——【ワンドオブ・デモニッション】、【再召喚リジェネレート】」


 静かな、そしておごそかな声が、広い室内に響き渡りました。

 他でもない、完全に戦意を喪失したと思われた魔王の声。

 油断していたサツキの僅かな間隙かんげきを突いてつむがれた音は、やがて世界へと介入し、〝スキル名〟に対応した事象を引き起こします。

 再召喚。それは文字通り、一度召喚した武器や眷属けんぞくを一度だけ自らの元へと呼び戻す汎用スキルです。

 サツキが手にしていた魔王の杖——【ワンドオブ・デモニッション】が消え去り、地面につくばる魔王の手元へと再出現しました。

 超火力の魔法を放つ魔王の杖をちゃっかり没収し、完全に無力化したと思っていたサツキですが、


 ——あ、やばい。油断した。やばい。耐えるかな。無理だな。間に合うかな。うん、無理だな。


 光の速さで流れる思考の中、静かに自らの死を悟りました。


「やば死ぬ」


 そして思わず口に出ました。

 サツキは自らのミスを呪いつつ、後ろに飛んで慌てて距離を取り、


「詠唱破棄、【クロックワ——」


 威力は格段に落ちますが、詠唱を必要としない、一対一では無類の汎用性はんようせいを発揮する〝詠唱破棄〟。

 自らが持つ最強のスキル、時空干渉系魔法ヽヽヽヽヽヽ、【クロックワーク・マギア】を発動しようとして、


「詠唱破棄。【ブラッド・スクリーム】」


 同じく、詠唱破棄を使用した、魔王の攻撃魔法。

 超至近距離——、先にスキルを発動した魔王の攻撃を回避するすべはありません。

 しかし、


「——?」


 行使されたはずの魔王の魔法は、魔力の残滓ざんしとなって霧散むさんしました。 鱗粉のように光る結晶が、宙を舞いました。

 ……そして、 魔王は気付くのです。


「——!」


 自らの絶対領域であるはず空間に出現した、怪しげに光る巨大な魔法陣に。

 ……そして、サツキは気付くのです。


「……」

「……♪」


 自らの相棒であるはずのバエルの顔面に出現した、怪しげに光る意味深な笑みに。


「……確かに少し油断してた。でも、自分でなんとかできた。余計なお世話ってやつだよ」

「わたし、まだ何も言ってないよ?」

「……そうかい。なら、私も独り言だよ」

「へえ」

「……顔」

「(ニヤニヤ)」

「あぁ……、もう……はぁ……」


 瞬間的に張り詰めた空気が嘘のように、和やかなものになります。およそ緊張感の皆無な話をする二人は、驚愕に眦を割く魔王をそっちのけです。

 すっかり放置された魔王は未だ状況を飲み込めず、ポカンと間抜けに周囲を見渡して、


「魔法、……?」

「【禁則の七星陣オリカルクム】」


 魔王の疑問に答えたのは、ようやくニヤニヤ顔を収めたバエルです。


「四次職アビスメイザーでレベル90から特殊な条件を満たすと習得可能な、一定範囲内での魔法やスキルの発動を完全封殺する沈黙系サイレンススキルです。あなたが戦意喪失を装い、私たちの隙をうかがっていたことには気付いていました。準備に少しばかり手間のかかるスキルですが、予防線として張っておくには十分すぎるほどの時間がありましたからね。つまり、真に油断していたのは、〝相手が油断していると錯覚していたあなた〟だった、というわけです」


 バエルは淡々と、流れるように説明をしました。


「説明の時にやけに饒舌になるオタク」


 サツキが小声で放った皮肉は、幸いにも早口オタクさんの耳には入りませんでした。


「——これでチェックメイトですね」


 バエルがそう告げると、部屋を包み込んでいた怪しげな魔方陣は消滅しました。

 これで魔法の詠唱、スキルの使用が再度可能になりました。 魔王にも反撃のチャンスが到来したのです。


「——」


 したのですが、魔王の戦意はぽっきりと折れていました。

 一度不意打ちに失敗し、先ほどは油断していた黒髪の女も警戒している筈です。

 なにより、二度も同じ手に引っかかるような相手ではありません。

 心ここに在らず、といった様子で立ち尽くすばかりです。


「あぁ、気持ちよかった……。この緊張感が堪りませんね!」


 美味しいところをかっさらっていき、恍惚とした表情で二の腕を抱くバエル。


「……多分、君の感じていた緊張感ってやつは、カップ焼きそばの湯切りの時に麺が流れないか心配、くらいのものだよ」


 それを横目で流し見たサツキは、不服そうにうつむいていました。床の模様を指でなぞっていました。


「さて、これで目的も達成しましたし、行きましょうかサツキ」

「へーい」


 残りのHPゲージをごく僅かに残した魔王に背を向け、きびすを返して魔王の前から去ろうとする二人に、


「……なぜだ?」


 問いかけたのは、忘我から戻ってきた魔王でした。


「それは〝なぜとどめを刺さないのか〟って意味かい?」


 サツキの問いにコクリと頷き、無言の肯定をする魔王に、


「私たちは略奪目的のPK行為はしません。貴方はこの場所をダンジョンとして構えている以上、自分がやられてしまった際には装備品をロストするリスクを承知しているとは思いますが、そんなこと関係ありません。私たちは、貴方を倒す必要がないから倒さない。ただそれだけです」


 バエルが優しく言いました。


「……なら、なんでこんなところまで来たんだって話だけどね。懐疑的になる気持ちは分かるけど、本当にただの好奇心みたいなものさ。私たちはエンジョイ勢ヽヽヽヽヽヽ、だからね」

「……」

「それに、この世界では創造主が撃破されると、生成されたダンジョンが消滅してしまう。ここまで完成度の高いダンジョン、消滅させるにはあまりに惜しい……。これは生産者としての私の個人的な考えだけどね」


 華やかな笑みを咲かせるバエルとは対照的に、サツキは変化のとぼしい表情の中に無邪気な笑顔を少しだけ浮かべました。


「さて、じゃあ私たちはそろそろおいとましようかな。に向けて、まだやっておきたいことは色々あるし……」

「サツキは早く寝て、明日こそちゃんと学校に行かないとダメですよ?」


 バエルが子をしつける母親のように言って、


「……そうだね。そろそろ単位がやばい」


 渋々といった表情でサツキが頷きました。


「お腹空いた」

「私もです」

「君はさっき、なにか食べてなかったかい? ……〝こっち〟じゃなくて、〝あっち〟で」

「あれはおやつのティラミスです! もうすぐ夕飯の時間ですし、さっきからやたらと麺類の話をするサツキのせいです」

「いいね。私の夜ご飯はラーメンに決まりだ」


 気の抜けるような日常感溢れる会話をしながら、まるで友人の家を後にするかのような足取りの軽さで去っていく二人。


「——」


 その背中を、呆然ぼうぜんとした魔王はいつまでも見つめていました。

 ——その瞳に映る感情は、怒りでも、悲しみでもありませんでした。

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