見張り台
島倉大大主
前
ぼうっとした頭を振り、青年は目を瞬かせた。
体をブルりと震わす。
防寒用の装備で身を固めていても、寒さが体に染みてくる。
青年は辺りを見回した。
暗い。夜だろうか。
持っていたライトで辺りを照らすが、足元にはゴツゴツとした岩しかない。目を上にやれば、青黒く、切り立った崖がどこまでも続いている。
青年は歩を進めた。
そうだ――僕は――多分迷って、別の道に出てしまったのだ。
だが、目的地の見張り台は、ここから見てもすぐ判るほど大きく目立つ。だから、目指していけば、いずれ着くだろう。
足元に注意しながら進むと、地面が裂けている場所が現れた。
黒々とした割れ目は、広かった。遥か向こうの対岸を眺め、青年は恐る恐る裂け目を覗きこむ。周囲の崖と同じく、何の手がかりもない岩肌が、ぐっと垂直に落ち込んでいる。
だが、遥か下に何かがある。
青年は四つん這いになると、目を凝らした。
真っ黒い裂け目の奥に、様々な色の花が咲いている――青年は最初にそう錯覚した。
しかし、強い風が吹き付けて来た時に、それが誤りであることが判った。ひらひらとそれらが舞ったからだ。
服だった。
一体どれだけあるのか判らないが、うず高く積もった様々な服が、裂け目の底で折り重なっているのだ。
風が更に強く吹きつけた。
青年は四つん這いのまま。裂け目を離れた。地形の所為か、風が渦を巻き、裂け目に流れ込んでいるように感じたからだ。ざざざっと音がする。立ち上がると、裂け目の底で舞い踊る服達がちらりと見えた。
青年は見張り台に目を移した。
もう目と鼻の先だ。
見張り台には長方形の、窓らしきものが開いていた。
そこに誰かが立っているような気がする。
そして、その誰かは自分を見ている。
青年はそう感じた。
「よお、新兵。そんな所に突っ立てないで、まあ、座れ」
青年は敬礼をすると、直立不動のまま部屋を見廻した。長い階段を登ったそこは、五メートル四方の部屋だった。床はコンクリートだったが、壁は岩肌をくり抜いたそのままに、ごつごつとしている。青年が入ってきたものとは別に、閉まったドアが左奥に一つある。
床には小さなランプと、ストーブ。隅には薄汚い毛布が積んであった。壁の一方には、外から見たあの窓があるが、それは岩肌を、ただくり抜いただけのもので、窓ガラスなどの塞ぐ物は一切ない。だから、薄暗い部屋に吐き出される息は、真っ白だった。
その窓際に、誰かが壁に寄り掛かって座っていた。
目を凝らすと、弱いランプの光で、それがどうやら老人だと判った。
青年と同じ防寒用の装備を身に着け、毛布の上に胡坐を組んでおり、吐き出す息と同じ、真っ白い髪の毛が、分厚い耳当て付き軍帽からほつれてはみ出している。顔に刻まれた皺は、貧弱な明かりの所為か、あの裂け目のように暗く深かった。
だが、その暗闇の透間からこちらを見る目は、ぎらぎらと緑色に輝く獣のそれだった。
「早く座れ。鬱陶しくてかなわん」
青年は近くにあった粗末な椅子を引寄せる。だが、腰は降ろさなかった。
老人は鼻を鳴らす。
「面倒なやつだな。じゃあ、着任の挨拶を聞こうじゃないか」
青年は、自分の名と階級を直立不動のまま告げた。老人は頷くと、体勢を変える。
「壁がゴツゴツしていかんな……。この施設の事については、何処まで聞いてる?」
「はっ! この見張り台は地下に小型の原子炉を有し、電力等は数百年間、補給なしで供給可能です! また、弾丸等に関しましても、この一帯の岩盤に豊富に含有される金属を使用した自動生成機により、やはり数百年補給なしで供給可能です!」
老人は、ぽんぽんと軽い拍手をした。
「よく勉強をしているな。補足として、保存食と飲料水も、まあ……百年とは言わんが、相当分の備蓄がある。ちなみに、トイレは面倒だが階段の一番下にある。
ん? そこのドアか? 寝床だよ。風が通らないし、原子炉の真上だからな、温かいぞ。俺は使わんがな!」
老人は笑った。
青年は引き攣った笑いを返した。
「では……肝心な事を聞こうか。ここは何の為にあるか判るか?」
青年は、老人の上、天井と壁の境目を睨みながら、声を張った。
「はっ! 『現象』によって蘇った人間を、殺処分する為であります!」
二十一世紀の初めごろ、ある国に隕石が落ちた。
大きさは握りこぶし大とも、子供の頭と同じくらいとも言われ、隕石の調査に向かったのは三人とも、十人とも言われている。
ともかく、調査隊は、隕石落下地点に到着し、付近を捜索。隕石を無事に見つけるも、同時にとんでもない物を発見してしまう。
人間だった。
落下地点は人里からかなり離れた場所なのだが、藪をかき分け出てきたのは、スーツ姿の初老の男性だった。
所持品は財布と携帯電話、それに車の鍵とレシートが何枚か。まるで、散歩に出かけて迷ってしまったかのようだった。
男性は、当初は自分の名前が言えない程、意識が混濁していたが、やがて回復する。
『自分はニューヨークに住む、A・Wである』
『ニューヨーク? ニューヨークの人間が、何故ここに? ここで一体何をしてるんです?』
A・Wは肩を竦めたという。
数時間後、彼は世界を震わすニュースの中心人物となっていた。
――彼は人里離れた場所で、何故スーツを着ていたのか?――
――いや、ニューヨークから五千キロ以上離れた場所に、何故いたのか?――
いやいや、そんなことよりも
――半年前に死亡した彼が、何故、森の中を彷徨っていたのか? ――
密やかに噂が流れ、皆がひっそりと信じていった。
証拠は、バスや地下鉄に乗って横を向けば幾らでも見れるからだ。
原因は、勿論あの『隕石』。
『死んだ人間』への『強い想い』に『隕石』が『反応』し『死んだ人間が帰ってくる』。
映画や漫画になぞらえて『ソラリス現象』『黄泉現象』等々の呼び名が現れては消えて行った。
いつの頃からか、人々はこれを、ただ単純に――『現象』と呼び始めた。
各国政府は、初めは無視し、ついで困惑し、最後に利用しようとして小競り合いになり、分析と実験が重ねられたが、最後には匙を投げた。
結局、宗教的、人道的、そして経済的問題を鑑みて、隕石は隔離された。
全てが『遠い噂』である。
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