蔵の中のひと 日々のあれこれ

帆場蔵人

第1話 水を買うこと

制限:テーマは水、千文字以内九五〇字以上で書くこと


 朝、起きるとぼくは必ず水を一杯飲み喉を潤します。今日の昼に食べた米を炊くのには浄水器を通した水を使いました。いまゴンゴンと回っている洗濯機も水を使いますし、生活するなかで水というものを使わない、飲まない人はいないでしょう。また人間の体重の約65%は水分が占めていますが、その内の2%程度を失うだけで食欲不振や口の渇きを覚えると言われています。先日、谷崎真澄という詩人の『水』という詩に、こんなことが書かれていました。(1992年に刊行された詩集より)


山のなかの清冽な水を売る商売が繁盛し

美味い水を探しに

動き回っている連中はいるにはいる


1992年というとぼくは中学生でしたが、ペットボトルのミネラルウォーターをみて誰が金を出してまで水を買うのか、と友人と鼻で笑っていたことを思い出しました。しかし、今ではミネラルウォーターを箱買いして飲んでいるというのだから皮肉なものです。挙げ句に珈琲や紅茶、お茶に合うのはどこの水だろうかと試行錯誤している始末で、中学生のぼくは腹を抱えて笑っているでしょうね。


調べてみると国内に流通しているミネラルウォーターはなんと千種類を超えていて、これには健康ブームなども関係しているのかもしれません。ぼく自身、持病のアトピー性皮膚炎が悪化し入院した後から、身体に入るものに非常に神経質になったことを考えれば、健康や美容を考えて水を求める人がいてもおかしくはないように思います。谷崎真澄の詩の、水を探しに動き回っている連中に、まんまとのせられているのかもしれません。ですが、東日本大震災の被災地にいた友人から聴いた被災時の深刻な水不足の問題からも、非常時の備蓄品として必要なものであることも確かです。そういった様々な要因でミネラルウォーターを買うことが定着していったのでしょうか。


部屋にあった水の採水地を読み上げれば秋田から新潟、岐阜、鳥取から六甲山へ飛び、果てはフランスにたどり着きました。海外にも行ったことがないのに、飲めば心はフランスまで浮遊していきます。しかし、まあ、最後には友人宅の山からの清水で珈琲を淹れて地元に戻ってくるのです。この水が一番、美味いと感じますし、お金もかからない。それを思えば地元の水が一番舌を喜ばせてくれるのは幸せなのかもしれませんね。

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