ACT99 どんな意味で慕われているのかな?
「……危うく、真っ白になるところだったわ」
「最近、何回もこうなってる気がするわね……」
朱実のメイド服姿という破壊兵器を目の当たりにして、いとも簡単に限界を迎えてしまった真白と茶々が、どうにか回復したのは五分以上後のことであった。
「っていうか、レディースデイなんだから、朱実も執事服の着用じゃなかったんじゃないの? あっちゃん先輩のように」
「うーん、わたしもそう思ってたんだけど、藍沙先輩と店主さんと奥様が三人一致で『朱実ちゃんはこっちにするべき』と強く推してきたものだから」
「……まあ、チョイスで言えばまさに百点なんだけどね。まったく、あの人は」
げっそりとしながら真白はカウンターの方を見ると、様子を見ていたらしい、執事服姿の藍沙がこちらに向かってウインクをしているのと、店主である長身痩躯の見た目三十半ばの男性――
真白自身、この喫茶店『Sea&Wind』には母繋がりで昔から何度も通っていて、もちろん店主の彼とも馴染みが深いのだが、会う度に『悪ガキがそのままおじさんになった』という例えがピッタリ来る人だと思わされる。
それはともかく。
「ところで朱実、なんだってここでバイトなんてしてるのよ」
「う……」
茶々が、真白の訊きたいことを率直に言ってくれた。
これには朱実、言葉が詰まって少々困った様子をしながらも、ポツポツと控えめに、
「ええと……店主の奥様が、三人目のお子さんを妊娠してまして。そろそろ臨月に入るとかで、お店を手伝えなくなっちゃったから、臨時でバイト募集してるって藍沙先輩から聞いたので。それでわたしが入ってたんです」
「ああ、菜摘さん、そういえばそろそろだったわね」
店主の奥さん、
彼女も彼女で既に三十を越えていたはずだが、店主とはいつも仲良しかつラブラブで、天真爛漫で、ちょっとドジなところが町の皆に愛されている。
以前からおめでたの話題を真白は聞いていたし、お店に行く度に彼女のお腹が大きくなっていたのをわかっていたが、確かに、時期的にはそろそろと言ったところか。
「じゃあ、短期のバイトってこと?」
「うん。奥様の出産から安定するまでだから、十一月ちょっと入るくらいまではここで」
「つまり、その間は、朱実と一緒に帰れないってこと……!?」
「あ、うん、そうなるね……って、し、シロちゃんそこまで落ち込まないで!? あと一ヶ月、一ヶ月くらいだから……!」
愕然となって戦慄する真白。朱実が慌てて宥めにかかっているが、それでも、ショックを隠しきれない。
それまで、どうやって放課後の寂しさを埋めればいいのだ……と、真白は考えたのだが、
「あたしもここでバイトするわ」
「し、シロちゃん?」
単純なことを思いついた。
そうだ、そうすればいい。それだったら、放課後も朱実と一緒に帰れるし、何より過ごす時間も増える……!
「ダメよ、真白ちゃん」
と、あれこれ考えていたところで、横から却下の声が入る。
見ると、藍沙がいつの間にかこちらに歩み寄ってきて、少しだけ咎めるような視線でこちらを見ていた。
「あっちゃん先輩」
「真白ちゃんには、毎日でなくても、家でやらないといけないことがあるんじゃない?」
「そ、それは……」
「朱実ちゃんのことが大切なのはもちろんわかるけど、美白さんを支えることも大事でしょ。それを忘れちゃダメ」
「う……そ、そうです」
「ちょっと放課後会えなくなるくらいは、我慢しなさい。真白ちゃんも、いつまでも子供じゃないんだから。わかった?」
「……はい」
久しぶりに、怒られてしまった。
藍沙の言うことは正しい。まったく正しい。いろいろ大変なお母さんのことを支えるのは、真白自身の意志でもある。
だというのに、一時の感情に流されて、大事なことを見失ってしまうなど、それこそ無責任ではないか……!
「真白ちゃん、私に怒られたからと言って、あまり考え込まないでね」
「? あっちゃん先輩?」
と、真白が悶々としているところ、藍沙は今一度、声をかけてくる。
今度は、沁み入るような、優しい笑顔で。
「大切な人と一緒にいたいって気持ちを、私は否定したりしないわ」
「…………」
「会いたいとき、会えるときは、会いに行っていい。私はそう思ってる。だから、真白ちゃんがお家の方で家事当番じゃないときは、朱実ちゃんに会いに行くのもいいと思うし。もちろん、私にも会いに来てよね」
「あっちゃん先輩……!」
ああ、いつもそうだった。
この人は、こうやって真白を叱ったときも、その後すぐに優しく声をかけてくれる。絶対に突き放したりはせず、しっかりとした道を示してくれる。
昔も、そして今も。
本当に。戌井藍沙は真白にとって、いつまでもどこまでも憧れの先輩で、頼りになる姉である。この先のずっと未来も、それが変わることはない。
「……真白、さっきまで茶々の前でお姉ちゃん風吹かせていたのに、この人の前だと形無しね」
「うぬ……!」
と、このやりとりを真白の向かいの席で眺めながら、茶々が呆れるようにボヤいていた。
これには、真白、少し恥ずかしい気持ちになりながらも、認めるしかない事実ではあるので、ここは開き直って、
「そうね。茶々様、よく知っておくが良いわ。あっちゃん先輩の前では、世の女の子は誰もが妹になるのよ」
「……真白、言ってることの意味が茶々にはよくわからないわ」
「うーん。私としてもそこまで持ち上げられるの、ちょっと恥ずかしいけど……でも、誰かの力になりたいっていうのは、私のいつも思うところね。だから……ええと、八葉茶々さんでしたっけ」
「え? あ、うん」
急に名前を呼ばれて、座ったまま背筋を伸ばして居住まいを正す茶々に。
執事服姿の藍沙は、先ほど真白に向けたように優しく柔らかな笑顔で、
「こうやって知り合えたのも何かの縁だから。何か相談があったら、私を頼ってきてね」
「――――」
その笑顔を正面から受けて。
茶々は、目を見開いて、もちもちした頬をボッと赤くするのを抑えきれなかったようで、
「……検討、しておくわ」
「ふふ、よろしくね」
かろうじて、そう答えるに留まった。
初対面の人には頑なな茶々ですらも、大人しく頷かせてしまう藍沙のこの包容力。
もはや、さすがとしか言いようがないお姉ちゃんっぷりであった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
うーん。
シロちゃんといい茶々様といい、こんなにも骨抜きになっているところを見ると、またも藍沙先輩との差を見せつけられている気がするよ。
もちろん、藍沙先輩自身はそういうつもりはないってわかってるんだけど、それだけ、あふれ出る魅力があると考えると……まだまだ敵わないな、と思わされる。
本当に、彼女のように素敵な女の子になれる日は、いつになるやら……。
「そうだわ、朱実」
と、茶々様が優雅な仕草でホットのコーヒーをすすりながら、わたしのことを呼んでくる。
「なんですか、茶々様」
「あなたがここでアルバイトをしている理由、まだ半分くらいしか聞かされてないわよ」
「え? は、半分?」
「茶々や真白に内緒にしてまで、そもそもあなたは何を目的にアルバイトをしているのよ。万堂の分家である仁科なんだから、お小遣いが足りてないというワケじゃないと思うけど」
「う……」
茶々様、鋭い。
彼女の言うとおり、わたしの小遣いが足りていないわけではない。こういうのも何であるが、一般家庭よりも少し多めにもらっている。
では、何故アルバイト? といわれると、それも茶々様の言うとおり、目的がある。
わたしとしては、ここは秘密にしておきたい……というのもあるが、
「…………」
あー、シロちゃんが、すごい純粋な視線でこちらのことを見てきてるよ。
うん、ここ最近の放課後、一緒に帰れなかったからね。寂しかったよね。わたしも寂しかったよ。
それを押し切ってこのバイトを始めたワケなんだけど、こうやって二人にバレちゃった今、これ以上秘密にしておくのはシロちゃんの、そしてわたしの精神衛生にも、非常によろしくないと思われるので。
もはや、是非もない。
「ええと、笑わないで、聞いてくださいね。茶々様も、シロちゃんも」
「ふん、笑わないわよ。そんなことするはずないでしょ」
「……うん。教えて、朱実」
茶々様はエラそうに、シロちゃんは真っ直ぐに構えるのに対して。
わたしは。
「――シロちゃんと茶々様、二人の誕生日プレゼントを買いたくて」
『…………え?』
「もうすぐ、シロちゃんも茶々様も、誕生日だから。お父さんお母さんから与えられるお小遣いじゃなくて、ちゃんと自分で働いて稼いだお金で、二人に誕生日のプレゼントをしたくて……そのぉ……」
言ってるうちに、どんどん顔に熱を持ってきた。
やばい。恥ずかしい。自分がそうしたいと思って始めたこととはいえ。
本当は当日にプレゼントを渡してビックリさせたいというのもあったし、それまでに自分の気持ちを整えるつもりだったけど、こうやって整わないまま打ち明けるのは……やはり……!
『……………………』
わたしが恥ずかしさで縮こまっている間にも、シロちゃんと茶々様は、無表情でこちらを見たまま固まっている。
あー、その視線が、またわたしを……と、思いきや。
『朱実っ!』
固まっているのが解凍されて、二人とも同時に席を立って。
感極まった様子で、わたしの足下でひざまづいて、腰の辺りに抱きついてきた。
「え、ええっ!?」
「朱実、あなた本当に最高よ。もう、一生ついて行くわ……ぐすっ……」
「し、シロちゃんっ!? な、泣かないで!?」
「……あの朱実が、ここまで茶々の誕生日のことを考えてくれてたなんてね。ここまで嬉しいことってある? ……くっ、うっ」
「茶々様まで!?」
めちゃくちゃ感動されていた。
二人とも、わたしのメイド服の腰のエプロンに顔を押しつけて、涙で布地を濡らしている。もはや、もう言葉にならないらしい。
そこまで感激されると、こちらまで嬉しくなっちゃうんだけど……同時に、わたしってば動けなくなっちゃうし、何よりも他のお客さんがこちらを見てる見てる見てる……!
「て、店長、助けて」
「うんうん、ええ話やな。仁科、しばらくそのまま二人を泣かせといたり。友達は大事にするんやで」
店長に助けを求めるも、関西出身の店長、こういう話にはめっきり
弱いらしい。動く様子が全くない。
となると、やはり助けを求めるべきは……!
「あ、藍沙先輩……!」
「……朱実ちゃんのそうやって慕われるところ、私には得られない魅力よね。ちょっと妬けちゃうわ」
何故か、羨ましがられていた。
わたしが、あの、藍沙先輩に……!?
「あ、藍沙先輩の方が、慕われてるじゃないですかっ! シロちゃんには特に」
「私の場合は、単なる親しみや憧れだもの。それもそれで良いことなんだけど、朱実ちゃんのように一人の人間として、そして一人の女の子として家族以外の誰かに愛される域には、私にはまだ到達できてないから」
「!」
ものすごい恥ずかしいことを言われてしまった。
シロちゃんには恋人として大いに愛されていると自覚しているし、茶々様も最近親戚としてだけではなく友達としてとても仲良くできているだけに、なんとなく否定できない。
となると、わたしにも、一個だけでも藍沙先輩に勝る点があったというのだろうか?
「……って、藍沙先輩、
「委員長ちゃん? んー、確かにあの子はかなり慕ってくれてるけど、やっぱり私が年上だからかしら」
「え……」
「委員長ちゃんの他にも、私を慕ってくれる年下の子がいっぱいいるけど……そういう親しみや憧れとかの目線で、過大評価されてるのかもね。ちょっと照れちゃうけど」
「…………」
この人、他人からの好意にはわりと鈍感な人だった。
おそらく、真耶ちゃんの他にも、藍沙先輩に好意以上のものを抱く人は男女を問わず、大勢いると見てもいい。
わたしがこの人に一個だけでも勝っているなんて、とんでもない話だ。
……やっぱり、わたしにとって、戌井藍沙先輩は、ちょっと苦手な人であり、どこまでも目標であり続ける人だった。
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