第四十三話 ウォーレンハイトの救世主

「『中央の大賢者』さんって、あのスパゲッティーとかケーキとか作った人ですか!?」


 テオドールさんの言葉に驚いた私は、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。

 目の前にいる普通の男性が、今中央で話題となっている人物だとは到底思えなかったからだ。

 私の言葉を聞いたテオドールさんが相変わらず厳つい顔をしながら吹き出した。

 ある意味器用な人だ。


「ドラッケンフィールの天才美少女にかかれば中央の大賢者も単なる料理人か」


 それを聞いて私は急に恥ずかしくなった。

 以前アレクシアから聞いた話によると、確か中央の大賢者さんは共和制になった直後のアシュテリア政府に協力し、様々な制度の改革について助言をしたらしい。

 アシュテリアが比較的スムーズに共和制に移行できたのは彼のお陰だと言われているくらいだそうだ。

 それこそが中央の大賢者さんの最大の功績である。

 決して料理人なんかではないのだ。

 でも私にとって大賢者さんは、スパゲッティーやケーキを作った人だ。

 あとはシャンプーとかトランプやチェスなどのおもちゃだ。

 真っ先にそのイメージが口をついて出てしまっても仕方ないと思う。

 けれど私が恥ずかしくなったのはそのせいではない。


「あの、どうして私のこと知ってるんですか?」


 まさかラディアーレ家の当主であるテオドールさんにまで、私のことが知られているとは思っていなかった。

 しかもユーリによって誇張された呼び方を、だ。

 私の問いかけにテオドールさんが意外そうな表情を見せる。


「なんだ、ウォルターのやつ言ってなかったのか。まぁ確かに言い触らすことではないが、意外だな」


 思いもよらぬ名前がテオドールさんの口から飛び出した。

 ここでウォルターさんの名前を聞くことになるとは。

 二人はどういう関係なのだろう?


「ウォルターは私の妹の息子、つまり甥だな。何やら魔法学校に面白い子達が来ていると、先日わざわざ知らせてくれたのだ。しかし君たちが今回の事件の鍵を握る存在だったとは、奇妙な廻り合わせもあるものだな」


 テオドールさんの妹は貴族ではない一般男性に嫁いだため、ウォルターさんはラディアーレ姓を名乗っていないそうだ。

 しかしあの包容力溢れる笑顔のウォルターさんと、この恐ろしい笑顔のテオドールさんが親戚だとは、にわかに信じがたい。

 それにしても世間って狭い。


「では、本題に移ろう」


 私がそんなことを考えていると、テオドールさんが口を開いた。

 そうだった、今はもっと大切な話をしていたのだった。


「まずは君に、ウォーレンハイトの現状を把握してもらおうと思う」


 テオドールさんが大賢者さんに向き直り、事態の説明を始めた。




「なるほど、それで僕の協力が必要なんですね。事情はわかりました」


 テオドールさんの説明を聞き終えた大賢者さんが深くうなずく。


「しかし六神教とは、また面倒な相手ですね」

「状況証拠的には揃っているのだが、あと一歩決め手がないのだ。君なら多少強引にでもなんとかできるだろう?」


 テオドールさんと大賢者さんは顔を見合わせて何やら話し込んでいる。

 そこに口を挟んでいいものか不安ではあったが、どうしても気になることがあったので聞いてみることにした。


「あの。質問があるんですけど、良いですか?」

「なんだね?」


 テオドールさんが了承してくれたので、私は切り出した。


「どうして大賢者さんは六神教に強い影響を持っているんですか?」


 さっきテオドールさんは、大賢者さんの言うことなら六神教も聞かざるを得ないと言っていた。

 でも私には大賢者さんと六神教がいまいち結び付かない。

 大賢者さんは確かにすごい人なのだろうが、それだけで十大貴族ですら手を焼く六神教が言うことを聞くとは思えなかったのだ。

 私の質問を聞いてテオドールさんの表情が恐ろしく歪む。

 いや、本当は笑っているのだろうけど、その笑顔は完全に悪人のそれだ。


「六神教は彼のことを『神々の遣い』だと信じ、それを触れ回っているのだ。神々が信者たちの祈りを聞き届け、アシュテリアを発展させるために賢者を遣わしたのだ、とな。言うなれば六神教にとって彼は神の次に尊い存在だ。彼が神殿の捜査を望めば、六神教も嫌とは言えないだろう。何せ彼を否定することは、自分達がこれまで信じていたものを否定するようなものだからな」


 テオドールさんは笑顔だけでなく、考えていることもなかなか悪いことだった。

 なるほど、確かに大賢者さんが六神教に対して強く出られる理由はわかった。

 つまり、「君たちにとって俺は神々の遣いなんだよね? だったら俺の言うこと聞けるよね?」というスタンスで神殿に突撃するということだ。

 実に強引な作戦だ。

 怖い顔でほくそえむテオドールさんとは裏腹に、大賢者さんは困り顔だ。


「神々の遣いとかいう称号は返上したいんですけどね。ただでさえ行く先々で大賢者なんて言われて、恥ずかしい思いをしてるってのに……」


 私にはなんとなく大賢者さんの気持ちがわかるような気がした。

 私がそこかしこで天才だの美少女だの言われるようなものなのだろう。

 自分は相手のことを知らないのに相手は自分のことを知っているという状況は、どうにも落ち着かないものだ。


「でも僕が役に立てるというなら協力しましょう」


 大賢者さんがそううなずくと、テオドールさんが安堵したようにため息をついた。


「協力感謝する。後は被害者の解毒も引き受けてくれると助かるのだが、それも頼めるだろうか?」

「確かにそれも必要でしょうね。わかりました、引き受けましょう」


 なんと大賢者さんは魔術師でもあるようだ。

 普通のおじさんにしか見えないのに、すごい人なんだなぁ。

 驚く私たちの方へ、テオドールさんが向き直る。


「ところで、この後我々は神殿に乗り込む準備にはいるが、君たちはどうする? 捜査が始まればウォーレンハイトは慌ただしくなり観光どころではなくなるだろうし、もしかしたら街への出入りを制限することになるかもしれない。休暇が終わる前にドラッケンフィールに帰れなくなったら困るだろう? 私は今日中にでもここを発つことを勧めるが……」


 確かにテオドールさんの言うことには一理ある。

 それにドラッケンフィールにアナトリオスが流入していることが明らかとなった今、私自身もドラッケンフィールが心配でならなかったのだ。


「さようでございますね。では宿に戻り次第荷物をまとめ、早急に出発しようかと存じます」


 カーターさんもテオドールさんの提案に乗ることにしたようだ。


「うむ、それがいいだろう。それにしても申し訳ないな。わざわざ遠くから出向いたというのにこんな事件に巻き込むことになってしまって。しかし君たちがここに来ていなければ事態は手遅れとなっていたかもしれん。中央の大賢者も含めて、今の私には君たちが救世主に見えるよ」


 そう言ってテオドールさんが口許を歪める。

 しばらくしてそれが笑顔だと気づいた。


「特にユーリ君の情報はとても貴重なものであった。重ねて礼を言おう。どうもありがとう」


 テオドールさんがユーリに向かって深々と頭を下げた。

 ユーリはあたふたとした様子でこれに応える。


「そんな、私なんてただ洗脳されただけですから。洗脳を解いてくれたのはレイナだし、実際にこれから行動するのは大賢者さんだし、私はなにも……」


 ユーリの返答を聞いてテオドールさんはゆっくり首を横に振る。


「過程はどうあれこの結果をもたらしたのは君だ。自分を恥じることなどない」

「……ありがとうございます」


 ユーリは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。


「ウォーレンハイトの救世主……」


 ためしに私はユーリの耳元でこそっと囁いてみた。

 いつもからかわれる仕返しだ。

 するとユーリにキッと睨み付けられた。

 相変わらず顔は真っ赤だ。

 かなり照れているように見える。

 ふっふっふ、私の気持ちを思い知るがいい!




「では我々はそろそろお暇しましょうか」


 カーターさんに促され、私たちはラディアーレ邸を出る


「また遊びに来るといい。君たちならばいつでも歓迎しよう。今度は平時にな」


 テオドールさんはわざわざ馬車の前まで見送りに来てくれた。

 大貴族の当主であるというのに、律儀な人だ。


「あの、ウォルターさんに、お世話になりましたと伝えてもらえますか? 挨拶に行けそうにもないので」


 私は失礼を承知でそう頼んだが、テオドールさんは快くうなずいてくれた。

 テオドールさんを始めとするラディアーレ家の人々に見送られ、私たちの乗った馬車が走り出した。


「はぁ~、緊張した。やっぱりすごい人だったね」


 ユーリがふいにそんなことを言い出した。

 テオドールさんのことだろうか。


「確かに、あれほどの迫力がある人物はそうはいませんものね」


 カーターさんもユーリに賛同していた。

 やっぱり二人から見てもテオドールさんは怖かったのだろう。


「そうだよねぇ、ずっと怖い顔してたもんね。笑ってても怖い人って初めて見たよ」


 私も二人の会話に乗っかった。

 しかし、


「いや顔は結構ふつうだったけどさ。滲み出る雰囲気というかオーラが普通じゃないっていうか。それに怖いっていうよりも、圧力を感じるっていうかなんかこの人は普通の人じゃないって感じる、みたいな?」


 ユーリの言うことはなんだか漠然としていた。

 私がテオドールさんに対して感じた印象とはいまいち噛み合わない。

 まるで別人のことを話しているみたいだ。


「ねぇ、それテオドールさんのこと?」


 気になったので聞いてみると、ユーリは目を丸くしてこれを否定した。


「違うよ、大賢者さんのことだよ」

「えぇ!? あの人こそ普通の人の中の普通の人って感じだったじゃん!」


  まさかの返事に私はびっくり仰天だ。

 どうして同じ人物の印象が、ここまで食い違っているのだろう?

 しかしカーターさんとダレンさんの反応をみる限り、私の抱いている印象の方がずれているようだ。


「なんか大賢者さんが来たとたん空気が変わったというか、私、本当にこの人は神の遣いなんだって思ったよ」


 私が大賢者さんに対して抱いた印象とはまるで正反対だ。

 私は親しみすら覚えてしまったというのに……。


「レイナってば、よくテオドールさんと大賢者さんの会話に割り込めるな、と思ったけど、もしかしてレイナって鈍感?」


 ……ユーリのやつ、少し油断すればすぐに失礼なことを言い出す。

 これなら洗脳されたままにしておけば良かっただろうか。

 むしろ私が洗脳してやろうか。


「何か変なこと考えてるでしょ? わかるよ」


 そんな私の考えは一瞬でユーリにバレた。




「まさかユーリさんがそんな大変なことになってたなんて……。すみません、僕気づけなくて……」


 宿に戻ると真っ青な顔のウェインくんがすぐさま謝罪にやって来た。

 私たちが出掛けていた間にケイシーさんに事情を聴いたのだろうか。


「ううん、私はもう平気だから大丈夫。それよりウェインくんの方こそ洗脳受けてたりしない?」


 ユーリがウェインくんに問う。

 確かにそれは私も心配していた。

 ユーリとウェインくんが一緒に行動していたのは神殿への往復の時だけだったらしく、実際神殿でそれぞれ何をしていたのかはお互いに把握していなかったようだ。

 けれどユーリがアナトリオスを飲まされた部屋にウェインくんが立ち入ることはなかったそうだから、彼が洗脳を受けている可能性は低そうだ。

 洗脳を受けたユーリと受けなかったウェインくんの違いと言えば、元々六神教の信者であったか否か、だ。

 だとするとドラッケンフィールにおける事件の主犯であるニコラウスの目的は、六神教の信者を増やすことなのだろうか。

 事実洗脳を終えた人々は信者としてお祈りに参加するようになったらしいので、この推測はあながち間違いではないのかもしれない。

 それだけではユーリがいつまで経っても洗脳部屋から解放されることがなかった理由にはならないのではあるが……。


「一応これを握っといて」


 私はお守りを外してウェインくんに握らせた。

 もし仮にウェインくんが洗脳を受けていたとしても、これで解除できるはずだ。

 不思議そうな顔をしていたウェインくんであったが、文句は言わずに受け取ってくれた。


「では急ぎ出発いたしましょう。ドラッケンフィールに着いてから、レイナ様のお守りが必要になるかもしれません」


 カーターさんが私たちに早く馬車に乗るよう促した。

 私のお守りがどうして必要になるのだろう? と思ったけれど、ドラッケンフィールではアナトリオスの解毒をできる治療魔術師の数があまり多くないのだそうだ。

 いや、ウォーレンハイトでもそれは同様であるが、大賢者さんの訪問によりそれを解決している。

 しかしそんな降って湧いたような解決手段のないドラッケンフィールでは、少しでも被害者の治療の手段を増やしたいらしい。

 私たちは手早く馬車へと乗り込む。

 こうして私たちはウォーレンハイトを出発した。

 陰謀渦巻くドラッケンフィールへと向けて。

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