犯罪者達の鎮魂曲 ―懲役1000年の囚人―

いずくかける

第1話 懲役一千年の受刑者と無実の少女

「受刑者。いみなを名乗れ」


 息が詰まるほど狭く、気が遠くなるほど長く、先が見えないほど薄暗い通路の終点である。地下であるのか、地上であるのかでさえも、窓のないこの閉鎖空間では確認することが出来ない。ただしっとりと水気を含んだ冷たい石壁と、天井からぶら下がり、僅かに陰を揺らす簡素な電球が終点を照らすだけである。

 通路の終点には、人ひとりがやっと通れるであろう大きさの、重厚さを匂わせる鉄製の扉が設けられており、その小さな扉の前には一人の男が佇んでいた。


 その男の背後には、ざっと見ても百人は超すだろう重装備を身にまとった刑務官達が立ち並び、それぞれが武器を握りしめては、例外なく先頭に立つ男へと向けられている。

 踏み直した足音や息遣いまでもが鮮明に聞き取れる程に、静寂に包まれていた空間で、刑務官の一人が先頭に立つ男に自分の名を名乗るよう命令した。

 名を問われた男の両腕にはチェーンがしっかりと巻かれ拘束されている。

 およそ人間には似つかわしくないほどの分厚さから、それを施した人間が、よほど男を危険視していた事が伝わってくるようだった。


「俺の名を知らない奴なんて、ここにはいねぇだろう」


 刑務官が発した命令に対し、苛立ちを隠さずに男はそう返した。

 百八十程の長身を黒のロングコートに包んだ男は瞬きすらせず、真っ直ぐに扉を睨みつけ続けたままだ。逆立った金色の長髪から覗き見えるその眼は、冷徹な光を反射させ、殺気を周囲に放つばかり。


 『目が合ったら間違いなく殺されるだろう』


 その場に居合わせた刑務官は皆、猛獣の放つ殺気を感じ取り、いつしか本能からそう直感していた。男の伝説を知るものからしてみれば、丸腰であろうと、両手を拘束されていようと、重装備で数の有利をとっていようとも、己の身を危惧するのは至極当然であった。


「これは確認だ! 名を名乗れ!!」


 先程と同じ質問を、繰り返すように再び刑務官が発した。どことなく声が震えていた様にも感じる。まるで、それを誤魔化すかの様にごくりと唾を飲む音がどこからか聞こえ、場は一層緊張感に支配された。

 男は静かに答える。


「ハーディ・ロック」


 決して男の声量は大きくなかったが、全ての刑務官はその名を確認した。

 質問を投げかけた刑務官は右手に持っていた一枚の紙を広げると、通路内にこだまが響くほどに大声で読み上げた。


「被告人ハーディ・ロック! グラミー最高裁判所の判決により、凶悪殺人の容疑で『レクイエム』での懲役一千年の刑を下す!!」


 読み上げるや否や、小さな扉がゆっくりと横にスライドし、光が闇へと差し込んだ。耳を塞ぎたくなるような不快音を立てながらも、構わず扉は開き続け、やがて完全に停止すると、そこから重厚な低音が鳴り響く。


 刑務官の一人が扉の外へと鍵を投げる。

 扉は小さい見た目とは対照的に分厚かった。二メートル程先に投げ捨てられた鍵を確認すると、静かに彼は足を進める。


 刑務官達が見守る中、ハーディは屋外に出た。見上げれば夕日に照らされたカラスが空を飛んでいる。一見砂漠の様で、それでも固さを持った平坦な地形を真っ直ぐ見据えると、百メートル程先には老朽化したビルが無数に建ち並び、後ろを振り向けば、潜り抜けてきた小さい扉の周りに、楽園まで届きそうな高い塀が地平の先まで続いていた。


 振り返った刹那、再び不快音を立てながら扉が閉まり始める。

 扉の内側に残った百人以上の刑務官は、一人残らず暗闇からハーディを冷ややかな目で睨み付けていた。


「一千年後にまた会おう」


 名を尋ねた刑務官がそう言い終わると同時に扉が閉まりきった。

 小さく、冷たく、重い扉からは、音も、温度も、気配すら感じなくなった。一度入れば、もう二度と戻ることはできない。まるで扉がそう物語っている様だった。


「案外早いかもしれないぜ。一千年ってのは」


 小さく呟きながら、落ちているカギを拾いあげ、両腕に施されていた拘束を外す。

 チェーンが音を立て地面に落ちる。その音からはチェーンがかなりの重さだったと推測された。


 両腕の自由を取り戻した彼は左腕の違和感に目をやる。

 そこには、腕時計のような機械が埋め込まれ左手首と同化していた。歪な腕時計。表示されていたのは時刻ではなく『九九九』とデジタル表記された赤い数字だった。


 ハーディは目の前に立ち並ぶ廃ビル群に向かって歩き出した。退路は存在しない。

 前に進むしかなかった。二、三歩進む。

 突然足を止める。


「チッ、ハイエナどもが」


――バン!


 ハーディが言い終わると同時に遠くからライフルの発砲音がこだましてきた。

 見えないスナイパーから逃げるように走り出す。

 最初の一発から先は休む事無く銃声が鳴り響き続けた。獲物を狙う銃は一丁ではなく、狙撃する人間は一人では無い事を想像させるには容易かった。

 絶望的な状況であったが、弾丸は逃げ続ける姿を仕留めることができず、やがてスコープは姿を見失い、気付けば銃声は聞こえなくなっていた。


   〇


 狙撃者達から逃げのびたハーディは一棟の廃ビルへと入り込み、周囲を見渡し敵がいないことを確認すると、息を整える為腰を下ろした。

 再び左手に視線を向ける。やはり完全に自身の身体と同化した機械が目に入った。


 この奇妙な機械は『腕時計』ではなく『腕途刑』と呼ばれ、服役中の受刑者全員に装着される。普段は残り刑期を表示しており、数字がゼロになれば無事出所になる仕組みである。

 しかし一千年以上の懲役が課される受刑者など出るはずがないと政府は想定し、最高でも九九九年までしか表示することができない為、ハーディの腕途刑には実質一年少ない『九九九』と表示されてしまっているのだ。


――ガラガラ


 突如近くから老朽化した瓦礫が崩れる音が聞こえてきた。

 それを耳にすると彼は身を低く構え、音のした方向を睨み付ける。一瞬ではあったが、一人の少女が近くの柱に隠れる様子が目に入った。左腕には自分と同じく、腕途刑が埋めこまれているのを見逃さなかった。


(こいつも受刑者か)


 そう思ったその時、今度はハーディの腕途刑から耳を割くばかりの電子音が流れ始めた。


――ピーッ!! ピーッ!! ピーッ!!――


 鼓膜を破りかねない程の音の大きさに耳を塞ぐ。

 周囲にその大音量を響かせると、満足したように腕時計は鳴りやみ語り始めた。


『久しぶりだな、ハーディ君。レクイエムの居心地はどうだろう? 一意専心に楽しんでもらえていれば光栄だ』


 左腕から発せられるその声にハーディには聞き覚えがある。忘れるはずもない。ここに落ちる原因となった男の声だったからだ。

 気付けば腕途刑から『九九九』の文字は消え、代わりに『通話中』と表示されていた。


「セルゲイッ……オペラッ!!」


 グッと奥歯を噛みしめ、表情は怒りに染まる。ハーディは腕途刑を睨み、その殺気を感じ取ったのか、近くにいた鴉は空へと飛び立っていった。


『その忌まわしき声、不倶戴天の心持だよ。今ハーディ君が堪能するレクイエムは、世界中の犯罪者を収容する為の巨大刑務所だ。君も知る通り、刑務所とは名ばかりの、本質的には世界中から犯罪者を隔離する為だけに作られた管理国家だ』


 世界は資源不足の問題を深刻化させたのに対し、人口は構わず増加し続けた。その結果、世界中で犯罪件数が急激に増加し、それと比例し増えていく受刑者に、各国は対応しきれなくなっていた。いよいよ犯罪者をこの世から切り捨てようと結論を出した世界政府は、秘密裏に世界中全ての受刑者を収容する二千キロ平方メートルほどの国を作りあげる。


――その名は『レクイエム』

  世界の吹き溜まりである


『悪逆無道を働いたハーディ君には一千年の懲役にて罪を償ってもらう。その国の規則はたったの三つ。更には君にはプレゼントを送ってある』


 巨大刑務所レクイエムでのルールは以下の三項目である。


一.

・受刑者は課せられた腕途刑に表示される数字を零にするまではレクイエムを出ることは決して許されない


二.

・他の受刑者の殺害に成功した者は殺害された受刑者の現在の刑期分が減刑される

・複数人で殺害に成功した場合は殺害に加わった全ての人数で殺害された受刑者の刑期を公平に分配し減刑される


三.

・戦闘禁止区域における自身より刑期の短い受刑者・職員への戦闘行為・略奪・暴行を犯した受刑者は即刻『刑殺官』と呼ばれる執行人により迅速に処分される

・ただし正当防衛での戦闘・殺害は除きその際の殺人では刑期は減刑されない

・なお、戦闘禁止区域に滞在中は服役期間とは見なされない


 つまり、今この時点で他の受刑者がハーディを殺せば一千年刑期が減る。二人がかりで成功すれば五百年づつ刑期が減刑される。

 大抵の受刑者はそれだけ減刑されれば、即日釈放となるだろう。ハーディがレクイエムに入った直後に銃で襲われた理由はこの規則の為であり、当然の道理であった。


 世界は増え続ける受刑者に救済の措置を取ることを諦めた。善良な市民の負担を減らす事を目的に、受刑者同士を互いに殺し合わせる規則を考案したのである。

 この法案は見せしめとしての効果も絶大であった。レクイエム設立後は世界の犯罪件数は激減し、民衆の支持も厚いが内情は公表されていないままである。


『ハーディ君の刑期は他の者からすれば一攫千金に映るだろう。君には私の息子と同じく、被害者側の……、常に狙われる冷汗三斗に怯えて余生を過ごして……もらいたい』


 腕途刑から聞こえる声は震えていた。怒りと悲しみを混ぜ合わせ、電子音ながらも気持ちが汲めるほどである。


『ハーディ君。君には安心立命すら許されない。……いや、私が許さない。私と君はこの先二度と会うことは無いだろうが、なるべく苦しみ、恐怖し、そして絶望しながら。願わくばなるべく惨めに死んでくれるよう願っている』


 ふっ、と腕途刑に『九九九』と表示された。

 ハーディは腕途刑を強く掴み挙げ、左手に向かって叫ぶ。


「俺は必ずここを出る! そして必ず! 苦しませ、恐怖させ、絶望させながら、必ず貴様をぶち殺す!! 首を洗って待っていやがれ!!」


 響き渡るその怒声が。目も当てられない程の怒りを見せるその表情が。全身から溢れ出すその殺気が。ハーディの怒りを露わにしていた。

 人は此処まで怒りを抱くことがあるのだろうか。なにがあれば、人は此処まで悲しむのだろうか。


 深く息を吸い込み、荒げていた息を抑える。人並みの冷静さを取り戻した後に、ハーディは視線を感じてその先を見つめた。

 そこには一人の少女が怯えながら、柱の陰からハーディを窺っている姿があった。肩ほどまで伸びた黒髪に幼い顔立ち。荒くれものがはびこるレクイエムには似つかない容姿である。


「あああのああのあの!!」


 ハーディは呂律の回らぬ少女を無視し廃ビルから立ち去ろうとした。会話を聞かれたかもしれない。それでも少女が一千年の刑期を狙っているようには見えなかったためである。


「あの。あなた、セルゲイ・オペラ議員とお知り合いなのですか!?」


 少女の問いが耳に入った瞬間、ハーディは立ち止まる。ゆっくりと振り返りながら答えた。


「てめぇには関係ねぇ。失せな」


 冷たくあしらったのはハーディなりの優しさであった。

 夕日は二人を照らしている。

 少女は怯まず同じ質問を繰り返す。


「教えてください! あなたと、オペラ議員の関係を!」

「見てたならわからないか? 俺は今機嫌が悪い。これ以上余計な口聞くと――」

「す……すいません、いきなり……あの! 私の名前は『キャリー・ポップ』って言います!」


 話を遮ってまで聞いてもいない名を語ったキャリーの顔を睨み、ハーディは深くため息を吐いた。

 昔から女は苦手だ。自分の都合で一方通行な会話をしてくる。


「あの、私はグラミーで記者をしていて……。その時、オペラ議員の取材を担当していたんです!!」

「……記者だと? てめぇ、あいつのなにを知っている?」


 ハーディが自分の話にいくらかの興味を持ったことに気付き、彼女はわずかに口角を上げた。

 キャリーは記者である。多少なり人の興味をくすぐる術を身につけていた。


「オペラ議員って言うよりかは……、あの、正確にはオペラ議員ではなくて。ここ……、レクイエムについての取材をしていたんです。オペラ議員はレクイエムを作った最高責任者で、現在は最高顧問を務めていますので……」

「ふん、なるほどな。お前を煙たく思ったセルゲイが、口封じにここに落としたってとこだろう」


 ハーディはおよそ犯罪など犯しそうにないキャリーの容姿からそう推測し、予想通りの返事が返ってきたことにキャリーは苦笑いをした。


「あの、やはりそうなのでしょうか。私は身に覚えのない罪でここに連れられました」

「セルゲイは民衆からの支持は厚いが、それは表向きの建前だ。気に入らない人間に罪を被せるくらい平気でやるだろう」

「そう発想されるということは、あなたも冤罪でここに連れてこられたのでしょうか? あの、先ほどオペラ議員となにやら話されていましたけど――」

「……俺は冤罪じゃない。納得いかない事は共通してるけどな」

「そうですか……。それであの、オペラ議員とはどういった御関係で?」

「言ったはずだ。てめぇには関係ないと」

「あの……、そうですか……」


 ハーディはうなだれるキャリーの左手に課された腕途刑を見る。そこには『二零』とデジタル表記されていた。先程の話が真実ならば、キャリーはでっちあげられた罪で懲役二十年以上の実刑を処されている事になる。


「おい」

「あの、なんでしょう?」


 ハーディはキャリーの腕途刑を指さした。


「てめぇ、そいつを他人に見せるんじゃねぇ。他の受刑者どもに見られたら……殺されるぞ」


 キャリーは慌ててバッと袖を伸ばし、自身の左腕を隠した。

 ここでは腕途刑の数字を他人に見られる事は即、死へと繋がる。ハーディの様に刑期が長いものほど、大きく刑期を稼げる事ができる為、他者から狙われやすいのは必然である。

 もう一つ問題なのは、自身より刑期の短いものに数字を見られた場合だ。

 やっとの思いで戦闘禁止区域まで辿り着いても、こちらからは手が出せないのに対し、相手は奇襲を仕掛ける自由を得る。つまり安全が確保できなくなってしまうのだ。いかなる場合でも刑期の多い方が不利となる。それ故、誰であろうと腕途刑の数字を他人に見られる事は、一部の人間を除きデメリットしかない。

 それを警告をすると、ハーディは再びキャリーに背を向け歩き出した。


「まあ無理だろうが、せいぜい戦闘禁止区域まで生き残るんだな」

「あの! 待ってください!」

「てめぇが無実だろうと、俺にお前を助ける義理なんかねぇ。俺はそこまでお人よしでも、暇人でもねぇよ」


 歩みを止めぬ背中に、俯いたまま、か細い声で女記者は答えた。


「あの、私が推測するにあなたは暇人かどうかはわからないですけど……。あなたはお人よしです……。もし非情な人間が私の腕途刑を見たら、私からこの二十年を奪うはずですもの……」

「残念ながらその推測は外れだ。俺の刑期の長さで、てめぇから二十年ぽっち奪ったところで、らちがあかねぇってだけだ。それに今は気分がのらねえ。ただそれだけだ」

「待ってください! あの、私を戦闘禁止区域まで送っていただけたら、オペラ議員の秘密をあなたにお教えします!」


 少女は引き下がらなかった。引き下がるわけにはいかなかった。

 右も左もわからぬレクイエムで、ただうずくまる事しかできないキャリーにとって、目の前に現れた青年にすがるのは唯一の正攻法であったからだ。


「先程の言いぶりではご存じかもしれませんが……。オペラ議員は裏では世間に公表できないことをなさっています! 私たちが命がけで取材してきて得た特ダネです!!」


 記者であるキャリーにとって唯一の武器は情報だった。その刃先は復讐者の心中に触れ、僅かながら傷跡を残したように思う。


「この先に『オラトリオ』という戦闘禁止区域に指定された街がある。そこまでだ。報酬は必ず払ってもらう」

「あの! よろしくお願いします!」


 二人は廃ビルから屋外に出、戦闘禁止区域『オラトリオ』を目指し歩き出す。

 夕日は暮れ出し、冷たい風が吹き始めていたが、キャリーの前にはハーディの背中があった。


   〇


 陽がすっかり沈み、世界が暗闇に満ちた時分である。

 オラトリオを目指す二人は休むことなく廃ビルの間を歩き続けていた。

 ハーディと対照的にキャリーは疲弊していたが、それでも離されないように必死で後を追っている。レクイエム内では他の受刑者からいつどこから狙われてもおかしくはない。疲労感より同行者から離れる恐怖感が上回り、それがキャリーの足を動かす原動力となっていた。


「あの、オラトリオってあとどれくらいで着くんですか?」

「あと一時間もかからない。辛かったら休んでもいいぜ? 置いていくけどな」

「だっ! 大丈夫ですよ! あと一時間ですね! 一時間!」


 一時間。一瞬気が遠くなった気もするが、終わりが見えた分キャリーの目に力がこもった。

 その時である。


「隠れろ」

「え? キャッ!」


 唐突にハーディがキャリーの腕を引っ張った。

 見た目とは裏腹に力が強いとキャリーは感じる。

 ハーディはそばにあった瓦礫に身を隠させると、それから遠くを見つめる。

 キャリーも真似をするように瓦礫から同じ方向を覗き込んだ。耳をすませば微かに誰かが会話している声がする。目を凝らせば椅子に座った一人の男と、それを取り囲む三人の男が目に入る。鼻を利かせれば、咽るような血の匂いが漂ってきた。


「来い。こっちだ」


 ハーディとキャリーは身を隠しながら瓦礫をつたって行き、気付かれない様細心の注意を払いながら男たちに近づいた。

 彼らから三十メートル程離れたところから再び覗く。広がっていたのは、遠くからでは確認できなかった人道無きおぞましい光景である。

 思わずキャリーは声をあげそうになり、両手で口を塞いだ。

 

 椅子に座った一人の男。

 それを取り囲む三人の男達。彼らは椅子に座った男に奇声を上げながら遠慮なく刃物を振るっている。刃先は肉に食い込み、肉を削ぎ落し、肉を両断するがそれを受ける男が痛みに声をあげることはない。

 すでに死んでいたからだ。


「はっはははっはははっはあああ!! まだだぁ! まだてめぇはっ許されねえええ!!」


 男は叫び、椅子に座る男を切りつけた。


「てめえのせぃでなぁ!! 俺たちはっ! レクイェムに落ちたんだよ!!」


 別の男は叫び、椅子に座る男を切りつけた。


「俺たちの人生を返せえっ!! リマリ・シャンソン!!」


 残る男も叫び、椅子に座る男を切りつけた。

 喜びと、悲しみと、怒りを。椅子に座った男は口を紡いだまま、ただ全身に受け続けていた。


「あの人、宗教団体のシャンソン教の代表ですよ……。あの、先月捕まった……」


 キャリーは彼らの狂気に毒され、その毒が全身に周り、肩がガタガタと震えるのを抑えられなかった。


――シャンソン教

 世界各国に拠点を置く宗教団体

 法人化し、政界への進出も秒読みと言われていた

 しかし四か月前に起こした対立する団体への襲撃により死亡者を多数出してしまう

 有罪判決を受けた代表と幹部はそのままレクイエムに送られた

 事件の翌日、世界中の新聞の一面はその事件に独占される事となる


「あの……もう行きましょう! 彼らには既に常識も、理性も、そして人としての罪悪感すら感じられません! 見つかれば間違いなく殺されます!」


 その場を早く離れたかったキャリーは、ハーディの腕を掴んで懇願するように顔を見る。しかしその顔を見て戦慄した。

 これだけ異常な光景を見せつけられたと言うのに。恐怖に支配され、体もまともに動かせなかったと言うのに。

――彼が笑っていたからだ。


「てめぇはここにいろ」


 ハーディは立ち上がると腕に縋っていたキャリーを突き飛ばし、彼らに向かって堂々と歩き出した。


「ちょっ! 危険ですよ!」


 心配し、止めようとするキャリーの声は既に届いていないようだった。

 ハーディは彼らにゆっくりと足を進める。

 いよいよその存在に気付いた男達はハーディに向かってナイフを振り上げ襲い掛かった。


「ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

「アアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

「ウオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアア!!!!!」


 大声で叫びながら狂人が駆けてくる。猛獣が獲物を狩る様子すら連想させた。手にしたナイフを振りかぶり、切っ先がハーディの鼻先に突き刺さろうとしたその瞬間である。

 キャリーはハーディの姿を見失った。


「え?」


 キャリーが再びハーディの姿を捉えたのは、一回の瞬きの後だった。ハーディの手にはいつの間にやら男が持っていたはずのナイフが握られている。

 次の瞬間三人は首から大量の血を吹き出し、ばたばたと地面に横たわった。

 血で染まった地面に興味を示すことも無く、ハーディは自分の腕途刑を確認する。

 表示されていた数字は九九七――。数字は二つ減っていた。


「あの、今なにしたんですか!? 一瞬あなたが消えたように見えたんですけど!?」


 ハーディは答えない。キャリーの問いかけなどすでに耳には入っていなかった。振り返るとズカズカと歩み寄り、返り血を浴びた両手でキャリーの肩を掴んで怒鳴りあげる。


「答えろっ! 元記者ならわかるだろう!? こいつらの刑期は何年だ!!」


 突然怒り出したハーディ。

 キャリーには何が起きたのかわからない。掴まれた肩の痛みだけが唯一感じ取れる現実感だった。


「痛っ! あ、あの! 代表のリマリ氏は七十五年です! 他の幹部達はさ、三十年づつ実刑判決が出ていたはずです!!」


 ハーディが殺した三人の刑期は合わせて九十年。

 仮にリマリを三人で殺害したとしたら、刑期である七十五年を差し引いた十五年間がハーディの刑期が減刑されるはずだった。もちろんリマリ以外の受刑者をも殺害し、三人の刑期が丁度、残り一年づつであった可能性もある。

 しかしハーディは引っかかっていたセルゲイの台詞を思い出していた。


「……プレゼント」


 その一言はハーディに直感させるには十分だった。

 二度とハーディを世に出さないよう、受刑者の残り刑期に関係なく、一人を殺すにつきたった一年しか減刑されないよう腕途刑に細工した事を。


「セルゲエエエエエエエエイイイイイイイ!! オペラアアアアアアアアアア!!!!」


 ハーディはやり場のない怒りを天に向けた。ビリビリと大気が揺れ、星たちを揺らがさんばかりであった。

 咆哮が終わると辺りは再び静けさを取り戻す。美しい夜空が凄惨な地上を照らす。

 キャリーは戸惑いながらもハーディに問いかけた。


「あの、どうしたんですか!? なにかあったんですか!?」

「あの野郎……。この光景を見て……。俺が激昂する姿を見て楽しんでやがる」


 答えを聞いても何に対し怒りをぶつけているのか、キャリーにはさっぱりわからないままである。しかしながら、ハーディの腕途刑がふいに目に入り、その数字を見てキャリーは絶句した。


――赤く表示された数字は九九七


 元記者であるキャリーですら聞いたこともない規格外の刑期である。あれだけ世間を騒がせたリマリすら実刑判決は75年であったのだから。


 死刑制度は廃止され、今現在は行われていない。なぜならば、レクイエムに送られた人間が無事に刑期を終え、外に帰ってくる確率が余りにも低かった為である。

 長期間の刑期を抱えての投獄は、全受刑者の格好の的であり、絶好の餌となる。長年、数多の受刑者が自身の左腕を眺め、減っていく数字に希望を持ちながら無残にも死んでいった事だろう。

 リマリの実刑判決、七十五年は軽く見える。しかし、それがレクイエムで過ごす七十五年間であるならば、それはもう死刑と変わらない。

 死刑など必要がないのだ。それ以上に、か細い希望を持たせるレクイエムへの投獄の方が、残酷な刑であるのだから。

 だが、キャリーはこの日、千年近い実刑を受けた受刑者と出会った。


「あなたは……。あなたは一体外で何をしたんですか!?」


 キャリーの問いに、ハーディは何も答えずに歩き出す。


「あの、待ってください!」


 キャリーはハーディの背を追う。勿論恐怖心を抱かなかったわけではない。だが、それより何が起きてるかわからずに頭が混乱している方が大きかった。他に縋れるものも無かった。


 二人の歩む遥か先には、夜の暗闇を照らすオラトリオの明かりが霞む。

 その明かりは、絶望の中で与えられた一縷の希望の様だった。

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