第36話 路地猫奇譚
その頃は都会でも下町はまだ木造の平屋建ては多かった。我が家の隣近所の家も杉板打ちの外壁で、路面は日射し雨晒しで見るからに劣化の激しい家も多くあった。
わたしの家は表の通りから脇の路地路を通って三軒裏手の突き当たりの家だった。路の幅は多分四メートルくらい。幼い頃にはもう舗装されていた路地路で、友だちと石けりや縄跳びなどをして遊んだ記憶がある。よく猫が集まる路地で、子どもがいるくらいなら、気にも止めずに寝そべったり毛繕いをしたりして寛いでいた。
色んな模様の猫がいてわたしたちは勝手に名前をつけて呼んでいた。猫の方も呼ばれると返事をしたり近づいてきたりした。
二年生の頃の話だ。多分春だったと思う。近所のおばあさんが亡くなった。
通りから左二軒目が木造の古い家屋だった。誰の宅だったかもう名前などは忘れてしまった。高齢者だけの家庭だった。路地に向けて玄関があり、壁や仕切りなどのない家で、煤けている感じの建物だった。
その老夫婦は多分当時で七十代あたりだったと思う。二人とも無口で挨拶しても和かに頭を下げる程度。話し声や言葉を聞いたことがなかった。
おばあさんの方は夕方などに商店街で姿を見かける事があったのだが、おじいさんは家の前でごくたまにしか見かけなかった。ちょっと目つきは怖かった。二人とも家の前で猫を撫でていることがある。おばあさんはそれは優しそうに和かに撫でる。おじいさんも猫をかまう時は優しい顔をしていた。
葬儀がどの様に行われたかは子どものわたしにはわからなかったが、黒い服を着た近所の人たちが、お悔やみを伝えにおじいさんの家に入るのを見た記憶がある。他人がその家に入るのを初めて見たので印象的だったのだ。
それから後、わたしはおじいさんを見かける事はなかった。わたしは引っ越したのかなと思っていた。
だけどおじいさんは昼間に毎日買い物をしていると誰かが言っていた。よくお肉屋さんの前で見かけるらしかった。
ある日気がつくと、その家の路地に面した壁の下の方に亀裂が出来ていて、何日か後に穴が空いていた。
あれは学校帰りの事だった。
路地に入ってからすぐに、あの家の前辺りに一匹の三毛猫がいるのが見えた。オシノと名付けた猫だった。オシノは壁の穴の様子を伺っている様に遠目から思えた。鼻面を近づけている。次の瞬間オシノが消えた。何処かに走って逃げた様には思えない。その穴に入ってしまったのだと思った。わたしはしゃがんでその穴を覗いた。中は真っ暗で何も見えない。そして「オシノ」と名前を呼んでみた。何度か呼んでみたが返事はない。その内出てくるのだろうとその日はそれ以上は気にせずに家に帰った。
それからその路地で見かける猫の数がだんだんと少なくなっていった。十匹はいた猫たちが気がつけばアケミとヒョウタしかいなくなっていた。
それはやはり下校の時、オシノの時と同じ様にアケミを路地のあの場所で見かけた。
すると何か白い長いものが現れてアケミが穴の中に引きずり込まれた。わたしの足元にいたヒョウタも見ていて驚いた様に動かなかった。わたしは恐くなってヒョウタを抱きかかえた。
わたしはその穴に近寄らない様にして通り越して家に帰った。本当に恐くてその事は誰にも話せなかった。
ただ、両親に頼んでヒョウタをウチで飼ってもらう事にした。外には出さない様に頼んで。
何ヶ月かして夏の暑さも和らいだ頃、近所で異臭騒ぎが起こり、あの家のおじいさんが亡くなっているのがわかった。
家の中にはなんでも動物の骨が散乱していたとの事。テーブルの上にも骨が山の様に載っていたらしい。
おじいさんは布団の上で骨になっていた。
「びっくりしたよ。襖を開けたら何匹もの猫が飛び出して来るからさぁ」後日、近所の人がそう話しているのを聞いた。
臭いは猫たちの屎尿の臭いだった。
それからまた路地には猫たちがのんびりと過ごす姿が見られる様になった。
何故なのかお肉屋さんの前にも猫たちが居る事が増えた。猫たちは前よりもどことなく目つきが鋭い様に感じる。
ヒョウタはわたしの部屋からよく路地の方を見て過ごしている。ただ独り穏和な瞳で。
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