第28話 コーチ
一年前のあの日、それは東京の郊外でボルダリングの大会の帰りでのこと。俺はいつも同じヤツに負け続け、万年No.2のやりきれない気持ちを引きずって自宅に向けて車を走らせていた。
この大会もこれで3回目。国道を使えば最短で帰宅できるのだが、ある噂話を思い出して一度も通ったことのない細く暗い道を使って帰ることにした。その道はネットの噂ではよく霊が出ると言われている道だった。
俺は大会の後は毎回更なるハードな練習をする事で気持ちを切り替えてきたが、今日は気持ちがどうにも落ち着かない。挫折感で心が折れそうだった。
大通りを外れ農道に入り3キロほど過ぎると丁字路に出くわして、林の中に続く舗装されていない道に出た。もちろん街灯などあろうはずもない。しかしその道はしっかりとナビには出ている。ナビのその道を見ると心細くなるほどのラインだったが、1キロほどで大きな通りに出るはずだった。
暗闇の中の道。ヘッドライトに照らされた林の藪が振動で揺れる。無数の羽虫がガラスにぶつかってくる。いかにも得体の知れないモノが出てくる雰囲気で、俺もはじめはそんなモノに出くわしたら、体力に物を言わせて退治してやろうと期待をしていた。
しかし、その時の俺の頭の中は今回の結果とアプローチのことばかりだったのだ。
林道は細く、くねる様に続く。タイヤが小枝をバチバチと踏みつける音が続く。照らされた木の合間の暗闇が照らされる。
どれくらい走っただろうか、一瞬、大きな音と振動で車が揺れるのを感じた。何かがぶつかったのか。ふとバックミラーに目をやると写っていたリアウインドーに違和感を感じた。
それはガラスの右側に張り付く血みどろの一本の手のひらだった。
手のひらは張り付いていたが腕が力を込めるように動いている。バシッ。ガラスを叩く激しい音が響く。そして左側に新たな手のひらが現れた。やけに白い血の気を失せた両腕は震えている。
そして闇の中その両腕の間から乱れた髪の青褪めた女の顔が現れた。
あれは噂された女の霊なのか。それは鋭くそして恨めしそうな目で俺を睨みながら尚もリアウィンドウを這い上がろうとしている。
バシッ、バシッ、バシッ、バシッ、
右手を伸ばすとその顔を車の中に潜らせるかの様にガラスに貼り付けると左手も上に這う様に挙げてその女は車体を昇ってくる。
俺は驚愕の声をあげてブレーキをかけて車を急停止させた。それからもう一度後ろを振り返りガラスを見やると女はまだガラスに張り付いていた。「ああああ……」
俺は転げ落ちるようにして車から飛び出した。暗闇の中、青褪めた女は車の後ろから蹌踉めくように姿を現した。
俺はさっきまでリアガラスに張り付いていた女の姿を思い浮かべていた。
「あ、ああ……ああ……お、お願い…お願い」
尻餅をついていた俺は、目の前まで来ていた女に向かって土下座して懇願していた。
それからこの一年、俺はいまだボルダリングを続けている。そしてどの大会に出ても必ず優勝して来た。一年前に俺はとんでもないコーチを手に入れたからだ。
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