第1章 指―3

夕暮れが迫る頃、真代橋署捜査一課の窓を覆う


ブラインド越しに淡い紫色の夜陰がその色に


染め上げていた。




事件から2週間後、鳴海徹也はデスクについて、


鑑識課からの報告書と、この二日間に他の捜査官が


調べた被害者の概略の書かれた書類、


それに先日届いたばかりの、


検死報告書類に目を通していた。


すべての書類ページ数を合わせると、


50ページを越えるほどもあった。




被害者の神田頼子は住所は神田淡路町にある


2DKのマンションに、


結婚して2年目の夫と二人暮らし。




死因は事件のあった日に、長谷川鑑識官の言った通り、


紐状のものでの絞殺。長谷川鑑識官によって


書かれたと思われる備考欄には、


『幅1センチほどのビニール紐の


可能性有り』とあった。死亡後2時間から4時間の


間で発見されていることから、殺害された時刻は


逆算して、午前5時30分から7時の間とみて


いいだろう。




それにそれらの書類の中では、被害者は犯人と


争った形跡が無いと記されている。




鳴海は思った。とすれば被害者は


面識のある人物によって殺されたのではないか?


そんな短絡的な推理は、司法解剖の検死報告書に書かれた


一文で、手元からこぼれ落ちた。




被害者の神田頼子に、抵抗の痕跡が


見当たらないとある。つまり


抵抗した跡が無いということだ。


検死報告書にはこうあった。


神田頼子の後頭部に、わずかに皮下内出血の


痕跡が認められたとあった。


これは殴打されたものではないかと


鳴海は思った。




何か柔らかい鈍器で殴打された後、気を失った


神田頼子は公園に引きずり込まれ、


絞殺されたのではないか?




だとすれば抵抗の後がないのも


うなづける。




そこまでは推測されたものの、


あの事柄には疑問を持たずにはいられなかった。




それは、被害者の薬指と小指が


切断されていたことだ。


それは十中八九、犯人の所業に違いない。




しかし、なぜ指を切断する必要があったのか―――?




金銭にも手をつけず、暴行の後もない。


犯人は指を手に入れることが、


目的だったのだろうか?




だが、何のために?




犯人は一種の変質者かもしれないと、


鳴海は思った。


それ以外に、自分を納得させる考えが


浮かばなかったせいもある。




鳴海が顎に手をやり、うなっていると、


河合聡史が不必要なくらいに声を潜ませて


話しかけていた。




「鳴海さん、犯人は何で指を切断したんでしょう?」




鳴海は河合の顔を見ずに、


ため息をつきながら言った。




「それがわかれば苦労はしない。


 鑑識と司法解剖からの書類が出そろった


 ところだ。これで本格的に捜査に入れる。


 ますは事件当日の目撃者を洗い出すことから


 始めるしかないな」




それを聞いていた河合は、視線を漠然と


宙空へ向けて、誰に言うともなしに、


独り言のように言った。




「思うんですけど、犯人はもしかして、


 指フェチなんじゃないでしょうか?


 女性の指に魅力を感じる・・・」




「お前、推理小説の読み過ぎだ」




「いいセンいってると思うんだけどな」




河合は自分を慰めているかのようにぼやいた。




ただ鳴海は、河合の言っていることに賛同しないまでも、


当たらずとも遠からずと感じていた。




もし、これがある種の猟奇的殺人であれば―――。




この鳴海徹也の望まぬ予感は、


その翌日の早朝、的中した。

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