第56話 残される者
ギイとガアが、三笠と別れを済ませる中、クミルは俯いて涙を流していた。
三笠の隣に座る貞江と美津子は、そんなクミルを悲し気な瞳で見つめていた。
さくらが何も言わない。それは、生と死が入り混じるこの空間で、何かを感じ取る事が出来ればいいと、考えているのだろう。
ならば、自分達が口を挟む事ではない。
住人達が入れ替わるようにして、三笠へ挨拶をしに来る。だが、まるで音がかき消されたかの様に、周囲を沈黙が包む。
ギイとガアは、さくらの指示に従い、挨拶に来た者達へ三笠の傍を譲る。
挨拶を済ませた住人達は、葬儀の準備に取り掛かる。
襖は取り外され、通りやすくなる。邸内外に、男衆がクジラ幕を張っていく。
そして、作業の指示を出していた孝則が、三笠の眠る部屋へと足を踏み入れる。
「さくら、悪いな」
「あぁ。そろそろ行くよ、ギイ、ガア」
孝道に声をかけられ、さくらは立ち上がる。そして、名残惜しそうに遺体へ視線を送る、ギイとガアの手を引いた。
クミルはさくらの後に続き、部屋の外に出ようとする。
「おいクミル、お前は別だ。手伝う気が有るなら、最後まで居て良い」
クミルは立ち止まると、孝則を見やる。そんなクミルに、同じく立ち止まったさくらが、声を掛けた。
「あんたが、決めなさい。あたしと一緒に、帰っても良いんだよ。けどね、もし先生の為に何かをしたいなら、ここに残って手伝いなさい」
「でも、ぎいとがあは?」
「この子達は、別だよ。これから、外の人が来るんだ。居させる訳にはいかない」
「それなら、わたし、てつだう」
「この子達の分まで何かしようってのは、お門違いだよ。あんたがどうしたいか、それを考えなさい」
クミルは、直ぐに答えを出す事が出来なかった。
ギイとガアは、さくらに手を繋がれながらも体を捻り、遺体を眺め続けている。そして、さくらはクミルの答えをじっと待つ。
暫く逡巡し、クミルは静かに、首を縦に振った。
「無理はしてないね?」
「はい……」
さくらは、クミルの意思を確認する。そして、ひと呼吸おくと、さくらは再び問いかける。
「クミル、悲しいかい?」
「……はい」
「怖いかい?」
「……はい」
「辛いかい?」
「……はい」
「先生の事は、好きかい?」
「はい、とっても」
「それなら、なんで悲しいのか、怖いのか、辛いのかを考えなさい。自分の気持ちに、向き合いなさい。あんたの心は、あんたしか救う事が出来ないんだ。大丈夫、あんたなら出来るよ」
「……はい」
そして、さくらは孝則に視線を向ける。
「クミルを頼んだよ」
「あぁ。そろそろ、孝道も来る頃だ。あいつなら、安心だろ?」
「ありがとうね」
孝則は頷くと、膝を突いてギイ達と視線を合わせる。そして、頭を軽く撫でて、視線を自分へ向けさせた。
「ギイ、ガア、悪いな。お前達は、ここまでだ。先生に挨拶は出来たか?」
「ギ、ギギイ」
「ガアガ、ガガアガ」
「そうか、ありがとうな」
ギイとガアの表情は、いつもと違う。彼らからは、子供らしい表情が失われている。だがそれは、向き合った証だ。
孝則は、柔らかなトーンで、感謝を伝えた。
やがてギイ達を連れて、さくらは三笠の家を去って行く。
皆が手早く祭壇を作り、花等で飾り立てる。遺影やお供え物が、置かれていく。そんな中、作業を手伝うクミルの様子に、住人達は違和感を感じていた。
農作業をするクミルは、もっとテキパキとしている。元々、農業に従事していたから、そう思えるのかも知れない。
慣れない作業に戸惑うのは、無理もない事だろう。しかし、それが違和感の正体ではない。
わからないから出来ない、出来ないから教えてくれるの待つ、思考を放棄し単調な作業を繰り返すだけ、クミルはそんな青年ではない。
もしクミルが、与えられるの待つだけの青年ならば、こんなに日本語が上手くなっていない。
今頃は村に馴染めず、気力も精力も感じられず、ただ呼吸をするだけの、生きる屍になっていただろう。
クミルの中で、さくらの言葉が響いているのだ。繰り返し、繰り返し、何度も。
そしてクミルは、その問いかけに答えようと足掻いているのだ。
待っていてやるから幾らでも悩め、そう語り掛けたくなる半面、足手纏いだとも感じる。
当たり前だ、大切な儀式を行うのだ。その準備をしているのだ。散漫になり、作業に身が入らない者を、置いとく訳にはいかない。
そんなクミルに声を掛けたのは、到着したばかりの孝道であった。
☆ ☆ ☆
「クミル、中の作業はいい。ちょっと来い」
孝道はクミルを邸外へ連れ出す。そして庭先に設置された、臨時の喫煙所へと向かう。
懐から煙草を取り出すと、火を付ける。そして、煙を吐き出すと、静かに語り始めた。
「どうした? さくらさんにも言えない事か?」
「いえ、ちがう」
「何を悩んでんだ? 吐き出してみろ、すっきりするかもしれないぞ」
そう言われても、直ぐには言葉が出ない。何に苦しんでいるのか、それがわからないのだ。
クミルは、言葉に詰まる。そして、五分、十分と時間が過ぎる。孝道が二本目の煙草に火を付ける。
やがて、ぽつりぽつりと、クミルは想いを打ち明けた。
「だれも、かなしんでない?」
「クミル、それは違う。みんな悲しいんだ」
「なら、なぜ、みんな、れいせい?」
答えをそのまま話しても、クミルに理解出来るだろうか?
そう思い、孝道は少し逡巡した。
外から来た者からは、村の人間が故人を悼んでいないと、感じるのだろう。本当は違う、冷静を装ってるだけだ。
村は年老いた者が多い、いつ誰が死ぬかわからない。皆が覚悟をしている、その時に備えている。いつ誰が死んでも、しっかりと送ってやれるように。
答えは簡単なのだ。だが、孝道は言葉を変えて、説明した。
「なぁ、クミル。俺は思うんだ」
孝道は、吸い殻をバケツに投げ入れると、噛みしめる様に言葉を続ける。
「俺は、先生を笑顔で見送ってやりたい。心配する事はない、俺達はセンセイの教えを守って、これからも生きていく。そう伝えたい」
それは、クミルが求めている答えではないだろう。そんな事はわかっている。
クミルの求める答えは、クミルにしか見つける事は出来ない。答えに辿り着くヒントを、与える事しか出来ない。
そして、孝道は更に言葉を続けた。
「先生には、色んなことを教えてもらった。何が大切なのか、何が間違いなのか、大事な事を教えてもらった。お前はどうなんだ?」
「わたし、せんせい、かんしゃしてる。とても、かんしゃしてる。ありがとう、いいたい」
「なら、言ってやれ」
「はは、いなくなった。せんせいも、いなくなった。なんで、りっぱなひと、いなくなる? わたし、なにもしらない、なにもできない。なんで、わたしじゃない?」
「それは違うぜ、クミル。お前がそんな事を言ったら、先生は悲しむぞ」
「でも……」
「なぁ、クミル。俺は先生みたいに、立派じゃねぇよ」
「そんな事……」
「だけどな。俺は先生の誇りになりたい。流石は先生の教え子だって、言われたい。先生に感謝してるから、そうなりたい。わかるか? 俺は先生に恩返しがしたいんだよ。だから、胸を張るんだ」
そして孝道は、クミルの瞳をじっと覗き込む。
「クミル。今のお前は、母親に胸を張れるか? 立派に育ったって、言えるのか? 頑張ったって、言えるのか? 先生に胸を張れるか? 先生から教わったのは、お前が命を投げだす事か? それで、先生が喜ぶのか?」
クミルは、答えを返す事が出来なかった。俯いて、黙るしか出来なかった。
そんなクミルの肩を、孝道は優しく叩く。
「答えなんて、直ぐには出せねぇよ。今日は、帰って休め」
「さくらさん、かんがえろ、いった。わたし、もうすこし、いたい」
「そうか。なら、俺の手伝いをしてくれ」
「はい」
やがて葬儀の準備が終わり、孝道とクミルを残してそれぞれが自宅へ戻る。
線香の火を絶やさぬ様、クミルは気を張った。そして、三笠の遺体を見つめ、考え続けた。
☆ ☆ ☆
ギイ、ガア、君達は偉いね。
いつかは死ぬんだ。誰も避ける事は出来ないんだ。それでも、失うのは怖いよ、怖くてたまらないよ。
ギイ、ガア、私は君達の集落を見たんだ。あの惨状を見たんだ。君達が生き残った事は、正に奇跡だ。
色んな奇跡が積み重なって、私達はこの村に辿り着いた。
貞江さんに治療して貰って、先生に言葉を教わって、孝道さんに仕事を教えて貰った。
この村は温かい。村の人達は優しい。この村を訪れてからずっと、守られて来たんだ。
いや違うな。生まれてからずっと、守られて来た。
だから、忘れてしまってた。でも、忘れてはいけなかった。
母が死んだ時、僕は何日も泣いた。母が地位を捨てなければ、死ぬ事は無かった。
悔しかった、情けなかった。だが、いつまでも泣いてはいられない。私は、天命に従って働いた。
鍬を振りかぶったまま、息絶えた仲間がいた。夜が明けたら、冷たくなっていた仲間がいた。
仲間を失うのは、悲しい事だ。でもそれが天命なら、仕方ないと割り切れた。
私はあの日、化け物に殺されるはずだった。それが天命だったんだろう。だけど、あの恐怖と絶望の中で、私は生きる事を望んだ。
みんなは怖く無かったの? どうして、死を受け入れる事が出来たの?
母を殺し、仲間を見捨て、それでも生にしがみ付く。私は、浅ましい人間だ。
だから、失った魂の為に、生きようと思った。
この村で、頑張ろうと思った。
でも、失うんだ。
また、失うんだ。
ギイ、ガア。君達の様に、強くはなれないよ。
さくらさん、私はどうしたらいい?
孝道さんは、誇りになりたいと語ってくれた。
孝道さんが褒められるのは、先生への恩返しになる。確かにそうだろう。でも、どうしたらそんな風に言える?
怖いはずだ。誰もが、怖いと思っているはずだ。どうしたら、受け入れられる?
わからない、わからないよ。
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