第17話 こんな時でも

「こんな時でもお腹は空くものなのですね」


晴子さんはどこか遠くを見つめながらそう言うと、古びたベンチから立ち上がった。


「ご飯食べに行きましょう。賢治さんの食堂は開いてますか?」


「いつもなら開いてると思いますが、どうでしょう。父の動揺ぶりは凄かったので、もしかしたら閉まってるかもしれないです」


「そうですか……とりあえず向かいましょう」


俺達は多くの日本人とは正反対の姿、目は暗くて下を向き、力ない姿で歩いていた。まるで敗戦国の人間のようだった。道中何人もが不思議そうな顔で俺達を見てきたが、それも無理はない。街中は熱気に包まれ、多くの人が笑顔で狂っている中で、この姿なのだから。


ある老人は


「これでまた景気があがるのう」


と呑気なことを言いながらお酒を飲んでいる。また、ある中年は


「アメリカも日本の物になるな。どこに住もうかな」


などと、全く馬鹿げたことを言っている。


「本当に多くの日本人はアメリカのこと知らないのですね」


「はい。皆、呑気なことばかり言ってます。俺は留学中、アメリカの大艦隊を目にしたことがありますが、その恐ろしさに身体が震えました」


「私も何度か目にしました。軍人の練度や精神力は日本が勝ると思いますが、物質面では到底敵わないでしょう」


「そうですよね。始まってしまった以上、仕方ないですが、早期に講和するしか日本に道はないでしょう」


お互い経済学を学んでいたせいか、日本とアメリカの経済力の差を誰よりも意識していた。そのため短期間は持ち堪えるだろうが、長期戦になると到底勝ち目はないという認識に立っていた。


「よかった、お店開いてますね。今日もだし巻き卵食べたいです」


遠目から見て食堂はほぼ満席だった。近所の人が皆集まり、お酒を飲みながら日本の開戦を讃えていた。


「ただいま。晴子さんとそこの席座ってもいいですか?」


「おう、ええぞ」


父は尚も険しい表情をしていたが、なんとか平常心でいようと振舞っていた。俺と晴子さんは窓際の真ん中の席に腰掛けた。隣には偶然、鈴木爺の弟さんが座っていた。


「おー、賢ちゃん大きなったの」


「お久しぶりです。鈴木爺のお葬式に行けなかったのが残念です」


「そう言ってくれて兄も喜んでるだろうなあ。兄は賢ちゃんの話いつもしてたし、今でも天国から見守ってると思うよ」


「心強く思います。ありがとうございます」


相変わらず鈴木爺にそっくりだ。眉をひそめながら話すその姿に懐かしさを覚えていた。









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