短編小説集『ウツボの夢』

紬季 渉

第1話 ウツボの夢

 俺はウツボだ。

 正しくは、今現在はウツボだ。

 どういうわけか、ウツボになっている。

 ウツボになってからどれくらいの月日が流れたのか、考えるのも面倒だし、そもそも月日という概念が、いつからか、俺の中からもう無くなっていた。

 毎日ただ海の中を漂い、餌を食べ、巣穴に戻って眠る。たまに他のウツボを見かけるが、お互いに無関心なので通りすぎるだけ。

 なるべく争いは避けたいので他のウツボを見たら巣穴でおとなしくしている。

 たまにエビたちが俺を掃除に来てくれる。くすぐったいけど気持ちよくて、俺にとっては癒しの時間だ。

 そのエビを狙ってタコが近づいてくるときは、腹一杯のごはんを食べられるチャンスだ。エビたちを守りながら素早くタコに噛みつき補食する。新鮮なタコは醤油なんてなくても塩水だけで充分うまい。


 俺の毎日は置いといて。


 そんなことより、なぜこんなことになったのか。

 たぶん、あの夜のあのキャバクラだと思う。

 俺は小さいながらも会社を経営していて、それなりの利益を上げていた。

 遊ぶ金にも女にも不自由しない、楽しい毎日を送っていた。

 まあ、確かに、少しいい気になっていたかもしれない。でも、周りにはもっと調子づいてる奴等がうようよしていて、俺なんてまだまだその足元にも及ばない。いつかはそうなりたいと憧れてもいた。


 そんなある夜、キャバクラの俺のとなりのボックスで女の子を10人もはべらせている奴がいた。

 たった一人で10人。そんなのありか?

 俺は酔った勢いでちょっかいをかけに行った。


「お兄さんいいねぇ、女の子いっぱいはべらせて。俺にも分けてくださいよ。」


 そう言って男の隣に無理矢理座った。

 俺についてた女の子が

「やめなよぉ~。」

 とか言ってるのが遠くに聞こえる。


「お兄さんモテモテだね~。俺もあやかっちゃお~。」


 ふざけて男に抱きつこうとする手を払い除けられた。


「もう~けちぃ~。じゃあお姉さん一人俺に分けてくださいよ~。うははははは。」


 隣に座っている女の子の肩に手を掛けて引き寄せる。ついでに頬も擦り寄せちゃって。

 ん~、柔らかくて気持ちいい!


 男を見るとすごい形相をして俺を見てる。


(え?そんなに怒ること?)


「お前、表に出ろや。」


 あれよあれよという間に店の外へ連れ出された。こんな場所あったかな?暗くて静かで誰もいない。しかもジメジメしてる。


「お前は俺を怒らせた。今日は虫の居所が悪くてな。いつもは寛大な俺も許してやる気に全くならない。」


「ゼウス様、おやめください!」


「黙ってみておれ、エウロペ。」


 ゴゴゴゴッと地鳴りのような音が響き、落雷のような衝撃が走る。




(俺、死んだのか?)


 真っ暗な中、何も見えない、何も聞こえない。まるで水の中みたいな感じ。


 じゃなくて、水の中だった。しかも海の中。

 目が慣れてくると、周りは珊瑚礁に囲まれていて天国みたいだった。


(やっぱり俺、死んだんだな。)


 ぼんやりと上を見ると、ゆらゆら揺れる満月が見えた。


(あの世ってこんな風なんだ。綺麗だな。お腹空なかすいた。)


 視界に動く物が映ると反射的に噛みついた。

 何も考えずに口を動かす。口の横でヒラヒラしてるのは尾ひれだ。ということは、俺は魚を食べているらしい。なんかよくわからんが、空腹はまぎれた。


 少し動いてみようと前に進むと、体がうしろに長いように感じる。振り返ってみると俺の体はまだ穴の中に続いていた。

 もう少し進みながら考えた。どこかで見たことある柄と形。ふと前を見るとキラキラ光る鉄板があったので覗いてみる。


「これは…ウツボ?

 俺は…ウツボになったのか?」




 あの日から俺はウツボをやっている。

 どうしたら人間に戻れるのかわからない。教えてくれる奴もいない。

 何年経ったのかもわからない。

 エビとたわむれて、タコを補食して、鮫から隠れて、珊瑚礁の穴に住んで、初めは退屈で死にそうだったけど、慣れればこんなにのんびりと幸せな時間は人間だった頃には味わったことなかったな、なんて考えられる余裕も生まれた。


 でもいつかはもう一度人間に戻りたい。

 やり残したことがたくさんある。


 会社ももっと大きくしたいし、かわいい嫁さんをもらって子供も作って、幸せな家庭を築くんだ。


 …どうやって人間に戻る?

 誰に、何に聞けばいい?

 全くわからない。


 俺はいつまでウツボなのか…。









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