第17話 センター試験

 とうとう2学期が終わってしまった。3年生は3学期にはほとんど登校しないのだ。暖冬で木枯らしが吹かない昨今だが、俺の心は木枯らしどころか吹雪いていると言ってもいい。

 それでも、3学期の始業式には3年生も登校する。あと10日ほどでセンター試験だ。特進クラスのほとんどの生徒がセンター試験を受ける。みなピリピリしているかと思いきや、久しぶりに会った友達とふざけ合っている。登校日は少ないが、良いストレス発散になっているようだ。

 体育館での始業式が終わり、生徒の後から我々教師がクラスへ向かうと、暖冬とはいえそれなりに寒い廊下で、颯太と坂口が肩をくっつけて座っていた。教室の前である。

「おい、お前たち。寒いから中へ入りなさい。風邪ひくぞ。」

俺は思わずそう声をかけた。案の定、坂口がぎろっと睨む。颯太は・・・素直に見上げるその瞳・・・キラキラとして眩しい!

「はーい。」

颯太はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。当然、顔が近づいてくる。胸が、苦しい。

「調子はどうだ?」

離れがたくて、そう声をかけた。

「うん、まあ。」

颯太はそう答えて、俺の目を見た。しばし見つめ合う。

「ちゃんと寝てるかー?目に隈ができてるぞ。」

「え、うそ。」

颯太はとっさに手を目の下に当てた。ああ可愛い。坂口はまだ座っていたのだが、このやりとりを見て、シュタっと立ち上がった。そして、

「行こう。」

颯太の手を取り、教室の扉を開け、颯太を中へ引っ張って行った。坂口め、手を繋ぎやがって。許せん。だが、現実を見ると、二人は仲がいい。トホホ・・・。


 最後のセンター試験。来年からは共通テストになるらしい。1月18日土曜日。我が校の生徒は、試験会場が3カ所に分けて割り当てられた。その一つ、東京の外れにある国立大学のキャンパスが、俺の割り当てられた会場だった。俺が試験を受けるわけではない。門の前に立ち、やってきたうちの学校の生徒と握手をして励ますのだ。

 曇天の空。この後雪が降るとの予報である。とにかく寒い。ベンチコートを着込んで、靴の中にカイロを入れて、俺は朝早くから門のところに立っていた。耳当てがあったら良かったのに。何しろ顔が冷たい。耳ももちろん冷たい。手袋は、握手をするためにあえて外している。指先が冷たすぎて感覚がない。暖冬はどこへ行ったのやら。

 うちの生徒が歩いてきた。

「田中!頑張れよ。」

俺はそう声をかけ、田中の手を取って握手をした。田中は強張った顔で、少し笑った。寒くて強張っているのか、緊張で強張っているのか、その両方だろうか。

「おう、木村!頑張れよ。」

またうちの生徒が来たので握手をした。木村は俺を見ると驚いた顔をし、握手をされてちょっと照れて笑った。

 しかし、そう次々とうちの生徒が来るわけではなく、暇である。とはいえ、見逃してはいけないので、じっと受験生の列を見ていなければならない。

 あ!颯太だ。良かった、とにかく無事に受けに来られたな。他の学校や予備校の教師もいて、あちこちで握手会が勃発している。颯太はそう言った人たちをチラチラ見ながら歩いて来た。

「颯太!」

俺は、颯太の事を少し迎えに行くような形で近づいて行き、

「頑張れよ。」

と言いながら颯太の手を取り、握手をした。手袋をしている生徒が多い中、颯太はしていなかった。俺は颯太の温かい手を直に握った。冷え切った体の芯にビリっと電気が走り、胸が少し温かくなる。すると、颯太は手を握ったまま俺の顔を見上げた。

「先生。」

颯太は、見るからに不安そうな顔をしている。

「どうしたぁ。大丈夫だよ。きっと実力を出せるって。」

俺はそう言いながら、左手で颯太の腕をポンポンと軽く叩いた。握手をしている右手は、そのまま離せずにいた。颯太も離そうとしない。

「ねえ先生、これだけの為に来たの?」

「ん?ああ、まあね。」

「じゃあ、もうすぐ帰っちゃうんだ。」

「そりゃまあ、試験が始まったら帰るよ。」

と言ったものの、颯太の不安そうな顔を見たら、このまま帰ろうとしても、相当後ろ髪引かれるだろうなという予感しかしない。

「何だよ、まさか終わるまで待っててくれ、なんて言わないよな?」

流石に、それはないと思いながらも冗談めかして言ってみる。待っててなんて言われたら、俺はそれこそ舞い上がっちまうぞ。

「そんな事言うわけないじゃん。」

颯太はそう言いながら、手をブンと振って離した。

 ああ、二重に残念。だが、ちょっと怒ったような顔をした颯太は、次の瞬間笑った。良かった。青ざめていた颯太の顔に、赤みが差した。

「大丈夫だ、落ち着いていけ。始める前に深呼吸しろよ。」

俺はそう言って、今度は颯太の肩をポンポンと叩いた。

「うん。行ってくる。」

颯太がそう言ったので、俺は両腕でガッツポーズを作った。颯太はそれに頷いて応え、校舎の方へ歩き出した。

 少しして、またうちの生徒が歩いて来た。

「おう、奈良橋、頑張れよ!」

俺はそう言って、奈良橋と握手をした。手を離すと、奈良橋はにやっとして、

「八雲先生、さっき誰かとしばらく手を握り合ってなかったー?俺とはすぐ手を離すのにー?」

お前は余裕か?ああ、こいつは私立大希望で、センター利用はするが重きを置いてないんだった。いわば受験の練習のためにセンターを受けに来たようなものだった。

「何言ってんだよ。不安だっていうから励ましていただけだよ。余計な事考えないで、しっかり受けてこい。」

俺は奈良橋を追い払うように背中をぐいぐい押した。

「はいはい。」

奈良橋は後ろでにバイバイと手を振って行った。ああ俺、さっきまでの寒さはどこへやら。今は暑いとさえ感じている。顔を扇ぎたいくらいだ。そして、胸の中も熱い。恋は胸を焦がす、とはよく言ったものだ。

 今日を皮切りに、3年生の入学試験が次々と入ってくる。どうかみんなが実力を発揮し、望む結果を得られますように。その後は・・・卒業だ。とうとう颯太がいなくなってしまう。俺は忘れられるのだろうか。諦められるのだろうか。だが、忘れなければならない。また前のように、淡々と教師を続けていくのだ。颯太のいなくなった学校で、恋など忘れて生きて行かなくてはならない。

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