第2話 となり

 ゆーくんと別れて教室に入ると、気づいたちーちゃんがこちらに歩いてきた。

 おはようの挨拶もそこそこに廊下のほうへ目をやった彼女は

「今日も一緒だったの?」

 と、どこか呆れたような調子で尋ねてきた。

「うん!」とあこはにっこり笑って頷いてみせる。

「家出たところでね、偶然会ったから」

「偶然じゃなくて、亜子が時間合わせてるんでしょ」

 やっぱり呆れたように突っ返された言葉は、さっきと同じように笑って聞き流しておく。それから、「それよりちーちゃん、きいてきいて!」と待ちきれずに声を上げた。


「今度の土曜日にね、あことゆーくん、デートすることになったんだ!」

 一刻も早くこの幸せを吐き出したくて早口に告げれば、ちーちゃんはなぜかやたらびっくりした顔であこを見た。

「デート?」と遠慮もなくあからさまに怪訝気な声を上げる。

「亜子が沖島くんと?」

「そうだよー。水族館に行くの。カメを見に」

 浮き立ったテンションのままうきうきと続ける。すると、ちーちゃんはやっぱり怪訝そうに、カメ、と繰り返した。

「なんでカメなの」

「ゆーくんね、カメが大好きなんだ。ちっちゃい頃にゆーくんの家で飼ってたの。なめ吉って名前だったんだけどね、すごく可愛がってたんだよ、ゆーくん」

 言うと、なぜかちーちゃんはそこで思い切り噴きだしていた。「そうなの?」と肩を揺らしながらおかしそうに聞き返してくる。

「沖島くん、カメ飼ってたの? しかも可愛がってたの?」

「うん。え、なにかおかしいかな?」

 きょとんとして聞き返せば、ちーちゃんはまだ笑いを滲ませた声で「いや、べつに」と首を振ってから

「ただちょっと意外で。沖島くんって動物好きそうなタイプに見えないし」

「そうかな。ゆーくん、すっごい可愛がってたよ。川に逃がしたときなんて、もう目が真っ赤になるくらい泣いて泣いて」

 そう言うと、今度はちーちゃんがきょとんとした。「え?」と不思議そうに首を傾げる。

「川に逃がしたの? なんで? 可愛がってたんでしょ?」

「うん。まあ、ちょっといろいろあって、逃がさないといけなくなっちゃったの」

 ふうん、とちーちゃんは首を傾げて相槌を打ちながら、空いていたあこの前の席に座った。それであこもようやく思い出し、肩に提げていた鞄を下ろす。

 それからふっと廊下のほうへ視線を飛ばしたとき、今まさに噂をしていたゆーくんが廊下を通りかかった。あっ、と思わず弾んだ声を上げる。


「ゆーくんだ!」

 そう言ってうきうきと立ち上がりかけたとき、突然、ちーちゃんがあこの手を掴んだ。そのままぐいと引っ張られ、ふたたび椅子に座らされる。

 びっくりしてちーちゃんのほうを見ると、ちーちゃんは妙に真面目な顔で廊下にいるゆーくんのほうを指さしていた。「ねえ、あれ」ちょっと声を落として口を開く。

「沖島くんじゃない?」

 うん、とあこはきょとんとして頷く。

「だからあこ、声かけに行こうとしてたんだけど」

「でもひとりじゃないみたいよ。女の子と一緒にいる」

「え?」

 目をやると、たしかにゆーくんの向こう側に、すらっと背の高い女の子の姿も見えた。ゆるく巻かれた茶色の髪が肩に乗って、ふわふわと揺れている。ゆーくんはその子のほうを向いて、なにか喋っているみたいだった。

 初めて見る子だったから、あれ、誰だろう、と思わず目をこらして見知らぬ横顔を眺めていたら、隣でちーちゃんが驚いたように

「ていうかあれ、香月さんじゃん」

「ん? ちーちゃん、知り合い?」

「うん、同じ中学だった。クラス違ったし、べつに仲良いってほどじゃなかったけど。あの人きれいだし、目立つから」

 そこで急にちーちゃんは言葉を切り、あこのほうを見た。なぜかちょっと困ったような顔をしている。

 あこがきょとんとして首を傾げると、ちーちゃんは複雑そうな表情でゆーくんたちのほうをちらと見てから


「……亜子、大丈夫?」

 やたら深刻な声色で、そう訊いてきた。

 だけどあこはなにを訊かれたのかよくわからず、「へ、なにが?」とますますきょとんとして聞き返せば

「いや、だって。あれ沖島くんだよ?」

「うん、そうだね」

「いいの?」

「なにが?」

 重ねて聞き返すと、ちーちゃんは困惑したように眉を寄せてあこを見つめた。「いや、だって」ともどかしげに繰り返す。

「沖島くん、女の子と一緒にいるけど」

「うん、友達じゃないのかな」

「それいいの?」

「そりゃゆーくんだって、女の子の友達くらいいるよ」

 笑顔でそう返せば、ちーちゃんはなにか変なものでも見るみたいにあこを眺めながら

「……前から思ってたけどさ」

「ん?」

「亜子って、そういうところ不思議だよね」

「そういうところ?」

「沖島くんのこと好き好き言うわりに、沖島くんが他の女の子と仲良くしてても平然としてるじゃん。普通嫌がるもんじゃないの? 今はただの友達でもさ、いつ進展するかわかんないし」

「え、それはないよ」

 笑顔のまま返す。その間に二人の姿は廊下から消え、見えなくなった。

 それを見送ってからちーちゃんのほうに視線を戻すと、ちーちゃんはますます眉を寄せてあこを見ていた。それからちょっと戸惑ったように

「それはないって……なんでそんなこと言い切れるの」

「だってゆーくんだもん。ゆーくんにはあこがいるし」

「だけどべつに、まだ付き合ってるわけじゃないんでしょ、亜子たち」

「うん。でもあこ以外の人と付き合ったりしないよ、ゆーくん」

 そう言い切ると、ちーちゃんは心の底から戸惑ったような表情をした。

「……亜子のその根拠のない自信はどこからくるのか、いつも不思議なんだけど」

「だってほら、ゆーくん、いつもあこのお願い聞いてくれるでしょ」

「ああ、それはたしかに」

 ちーちゃんはそれには反論することなく相槌を打って

「そういえばそこも不思議だったんだ。沖島くん、どう見ても亜子のことうざがってるわりに、なんだかんだ亜子に甘いんだよね。亜子が駄々こねてたら、いつも最終的には折れちゃうし」

「でしょ!」

 不思議そうに呟かれた言葉に、あこは思わず意気込んで大きな声を上げる。そして、びっくりしたように目を丸くしているちーちゃんに

「それはどう考えても、ゆーくん、あこのことが大好きってことだよ。そりゃちょっとはうざがられてる自覚もあるけど、でもゆーくん、あこのわがまま、いつも聞いてくれるんだもん。ゆーくんがこういうことしてくれるの、あこだけなんだよ。だから間違いないよ、うん」

 ほくほくした気分で言い切ってみれば、ちーちゃんは、なんだかあきれたような感心したような複雑な表情でため息をついて


「……つくづく思うけど、亜子って人生楽しそうだよね」

「へ、どういうこと?」

「んー、そのバカみたいなポジティブさがうらやましいっていうか」

 しみじみと呟くちーちゃんは、言うわりにあまりうらやましそうな表情は浮かべていなかった。

 だけどとりあえず褒められたことに間違いはないみたいだから、「でしょでしょー」とあこは胸を張っておく。だって、人生は楽しいほうがいいに決まってるから。

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