第30話:花見と豪州旅行

 2001年4月の初め、長野県の更埴の杏の花を見に行こうと計画して、4月

7日に、熱海から、河口湖、富士吉田から甲府、韮崎、長野県、茅野から152号

線を北上して大屋から上田を抜けて、更埴へと向かった。戸倉上山田温泉に一泊

して、更埴の杏祭りの会場に出かけて、ピンクの可憐な杏の花の写真を何枚も

撮ってきた。


 2001年の夏も暑く、石津健之助は愛車のスカイラインで夫婦で新潟から小樽

へフェリーで行き、陸路、釧路プリンスホテルに向かい、8月1日から9月1日ま

での1ケ月間、ロングステイして、釧路、網走、を北上して稚内までドライブして

回った。熱海に戻って、2001年9月11日に、何の気なしにテレビを見ている

と、アメリカ同時多発テロの放送が飛び込んできた、はじめは、何か、新しい

映画かなという程度で見ていたが、これが、本物の映像だと聞かされて、背筋が

凍る思いをしたのを鮮明に覚えている。その後、アメリカの繁栄も、これで終わり

かなと、世紀末のような、重苦しい空気に包まれて、石津夫妻も、呆然実質という

感じで9月を過ごしてしまった。


 日本でも、ネットバブルが終わり、株式市場も凍りついたままで、回復の兆しが

全然見えずにいた。2001年も、2002年も、不景気だったようで、旅行会社

から、石津三千子に看護婦の仕事の依頼が、来なくなってしまった。そうして、

2003年、少しずつ景気も持ち直して来たと思った矢先に2003年3月20日

に、テロへの戦いという名目で、アメリカが大量兵器を持っていると言ったイラク

と戦争を始め、短期間で、戦争が終わってみると、イラクに大量破壊兵器が

見つからないという現実が待っていた。


 2003年も7月20日から、南半球のオーストラリアのケアンズに出かけて、

2ケ月間のロングステイして、現地で豪ドルを銀行で下ろして、生活費に使った。

 今回は長期滞在になるので、車を借りて、ケアンズから15分、北部のパームコ

ーブの格安優良なコンドミニアムに約50日の長期滞在となる。オーストラリアは、

日本と同じ右ハンドルで左側通行であり、全く違和感を感じることなく運転できた

のが良かった。日中の最高気温が25度くらいで、最低気温が16度と快適な気候

で過ごしやすかった。また、コンドミニアムも月に10万円程度で、食料、飲料も

スーパーマーケットで購入して、生活した。今後も、避寒、避暑に南半球の

オーストラリアは使えると石津夫妻は考えた。


 そうして、9月10日に日本に戻って、釣りをしたり、麻雀したり、通常の生活

に戻った。秋風が、肌寒くなり、11月、12月が過ぎて、2004年を迎えた。

 石津健之助の資産が2億1千万円となったが、奥さんの資産が8千万円あって、

マンションの費用や生活費のほとんど全てを出してもらい、旅行や大きな買い物を

石津健之助が支払うようにしていた。以前購入して、1年定期預金に預けた

豪ドルの利息が増えて、かなりの金額になっていた。また豪ドルが、上昇したら、

円に替えることを考えていた。

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