第32話 女になっていくアリッサ2 「黒いパラソルの女事件」

1997年にオハイオ州の大学で知り合い、20年近く一緒に過ごしてきたアリッサ。かつてわたしを深く愛してくれた人。夫だった人。娘たちの父親だった人。このアリッサに憎悪に似た感情を抱いたことが3回あります。あの人を捻り潰して、トイレに流してバイバイしたいような憎しみの感情。


最初:クレジットカードの借金返済地獄に陥っていることを告白されたとき

2回目:Facebook で「今日から晴れて女になります」宣言したとき

3回目: 娘のサッカーの試合の日に、黒いパラソルで現れたとき




今回は「女になっていくアリッサシリーズ」第2弾、 「黒いパラソルの女事件」について書きます。


カミングアウト後、 日増しに女らしくなっていくアリッサ。ホルモン治療を開始後、2度目の思春期を迎え、神経過敏になり、自己主張が激しくなり、自己中心的になっていきます。


そんなある日、「黒いパラソルの女事件」は起きたのです。



我が家の娘たちはふたりともサッカーをしています。ふたりとも別のチームに所属しているため、シーズン中の土曜日は試合で忙しくなります。


その日は長女の試合が朝8時から、次女の試合が午後1時からありました。長女の集合時間が朝7時30分と早い時間だったので、まずわたしが長女を試合会場まで連れて行き、アリッサと次女が後から合流することになりました。



前半が終了し、プレイヤーたちが休憩を取っているとき、駐車場から黒いパラソルをさし、超ミニの黒のロリータドレスを着た厚化粧の女が試合会場に向かってなよなよと歩いてくるのが見えました。



わたしにはすぐにわかりました。休憩していた長女もすぐ気付きました。黒いパラソルの女の正体を。


長女の目から、涙がポロポロ落ちました。そして長女は言いました。「アリッサにわたしの近くに来ないように伝えて」。




試合開始の笛がなり、プレイヤーたちはフィールドに戻っていきました。



黒いパラソルの 女がサッカー会場に到着したとき、周囲に異様な空気が流れました。みなが黒いパラソルの女を凝視します。視線はしばらく凍って固まったように張り付いて、そして彼らは「はっ」と気付くのです。「見つめたらいけない」って。そしてさっと目をそらす。


他の親たちや次女の前で口論したくなかったので、わたしはそこでじっとこらえました。服装のことには触れず、「(長女の)タラが今日は近くに来ないでと言ってた」と伝えました。残酷なメッセージ。でも悪いのはアリッサ。



本当はアリッサを蹴り倒して、こう言いたかった。




「どうして、ドレスを着てるの?ファッションショーじゃなくて、あなたの娘のサッカーの試合なんだよ。他のママ見てごらん。みんなジーンズにTシャツだよ。ロリータドレス着て、歌舞伎役者みたいなメークして、パラソルさして、サッカーの試合見にくる親なんていないよ」


「プライベートで友達と遊びに行くなら好きな服着ていいよ。メークもモリモリ盛ったらいいじゃん。でもね、娘のサッカーの試合にどうしてわざわざロリータドレスで来るのさ?頭がおかしいんじゃないの?」


「タラのチームメートもチームメートのパパもママも、おじいちゃんもおばあちゃんもみーんないるんだよ。タラの気持ち、考えてみたらどうさ?もし、自分だったら、親が突然そんな格好でサッカーの試合にやってきたらどう思うのさ」



「家に帰って服着替えて出直してこいや!」と怒鳴りたかった。でもそれを飲み込んだ。



爆発寸前でしたが、帰りの車で何度も深呼吸して気持ちを落ち着けました。



帰宅後、アリッサに「前に約束したよね。家族で出掛けるとき、服装は常識をわきまえてって。お友達と遊びに行くときは好きな服を着ていいから、次回からは、ロリータドレス着ないでね。娘たちに恥ずかしい思いをさせたらかわいそうだよ。タラが涙流してたよ」と言いました。



「友達にテキストして意見を聞いてみる」と不服気なアリッサ。


しばらくして、アリッサがわたしのもとに来てこういいました。



「ママ友に(多分わたしの英語のママ友)に相談したら、『次からは子供たちにその日来ていく服を相談して確認したほうがよいかも』と言われたから、次からはそうする」。


アリッサはまだ不満気な顔。



「次回から行動を改めるなら、それでよし」と思いました。



が、しかし、話はここで終わらなかった。



その日の夕食の席でアリッサは「みなで話したいことがある」と言い、こう切り出しました。



「わたしは、自分の好きな服を好きなときに着る権利があると信じてる。みんなはどう思う?」


わたし:「えっ???その話はもう解決したんじゃなかったの?」



アリッサ:「どうしても納得いかなかったからトランスジェンダーの友達に意見を聞いたら、みんなが『ロリータでもコスプレでも、アリッサが好きなときに好きな服を着るべき』と言っている。自分の親のことを恥ずかしいと思うことが間違い。どんな服装をしていても親のことを尊敬すべき」。



アリッサは、理想郷に住むプリセンス 。自分の権利ばかり主張して、 みんなが自分の意見 を受け入れるべきだと信じてる、哀れなプリンセス。




娘たちの立場になって物を考えることができなくなったアリッサ。わたしたちはたくさん妥協しているのに、自分はちっとも妥協したくない。親だったら、子供を悲しませないよう、最大限の努力をするべきなのに。


「アリッサは一時期、心の穴を埋めるように買い物に狂い、カミングアウトして、心の穴をきれいに埋め、そして今度はわたしや子供たちの心にドリルでガンガン穴を掘って、いい気分に浸ってるんだ」と思いました。悲しみでいっぱいになりました。



長女が「この話は今はしたくない。アリッサには悪いけど、今日はイヤな思いをした。もうサッカーのときにあんな格好で来ないでほしい」と正直な気持ちを伝えたとき、アリッサはシュンと小さくなりました。



アリッサの気持ちが今ならわかる。以前に書いたFacebook憤激事件とまったく同じパターン。アリッサは自分のロリータドレスのせいで長女がつらい思いをするとは露ほどにも思わなかった。ただ、新しいドレスに胸を膨らませ、 みなにお披露目したかっただけ。ドレスに身を包んだ自分を「かわいいっ」って褒めてほしかっただけ。


それなのに、パートナーには説教されて、娘には拒絶されて、ショックだったんだね。意地張って、引っ込みつかなくなって、トランスジェンダーの仲間を身方につけて、反論したかったんだね。



今だったら、わたしは絶対平気だよ。アリッサがビキニでサッカーの試合に登場しても、「かわいいね、似合うよ」って褒めてあげられる自信がある。


でもね、FB憤激事件と同じ。あのときは、アリッサの気持ちをくんであげるだけの余裕がなく、ただただ腹立たしく悲しかった。



次回は「女になっていくアリッサシリーズ」、第2弾。「服を縫う女事件」。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る