第24話 「大丈夫」

 キャンプに戻ると、三人が心配そうにこっちを見ていた。


「ただいま」


 一応三人ともおかえりと返したが、暗い。

 当然俺の所為なわけだが。


「おい」


 レアーを見て言う。


「何よ」

「解っただろ。俺がリーダーだと毎日こんなお葬式ムードで過ごさなければいけない。あと、こういう時にパーティを明るくするのもリーダーの役目だからな」


「……は、はあ!? 何よそれ! なんかあたしが悪いみたいじゃない!」

 レアーはほんの一瞬だけ間を置いて、声を荒げた。

「さあ、士気を直ちに上げてくれ」

「無茶ぶりしないでよ! もう!」


 そのやり取りを見ていた二人がぷっと吹き出す。

 それを見て、レアーも笑う。


 無理をさせたな。すまない。レアー。

 そう思って彼女を見ると、「仕方ないわね」と諦めた様に溜め息を吐いたあと、八重歯を見せて笑った。

 やはり彼女にはリーダーの資質があるようだ。


「さて、もう寝ましょっか」

「そうですね。片付けはしますから、ウーさんは先に休んでいてください」

「いや、もう大丈夫だから」


 と言って手伝おうとしたところで、ロアネハイネがつかつかと無言で近寄ってくる。

 両手で俺の肩を押して、どんどんとテントの方へ進んでいく。

 そのままテントの中で押し倒される。


「ウー君……」

「な、なんだ?」

「……無理しちゃ、ダメ」

「は、はい」


 俺は仰向けになり、その上に彼女が四つん這いになっていると言う具合だ。

 突然のことだったし、彼女の大きな胸が当たるか当たらないかの狭間をゆらゆらと揺れていたので、必然と胸が高鳴った。

 しかし彼女の真剣な眼差しは、ひたすらに俺のことを心配しているだけだった。当然ながら他意はない。


「ちゃんと休むから」


 俺の言葉に安堵したのか、彼女はにこっと笑って二人の元に戻っていった。


 横になって目を瞑ったままでいると、ほどなくして片付けを終えた三人が入ってきた。


「お、偉い偉い。ちゃんと寝てるわね!」

「起きてしまいますよ」


 元気な声を出すレアーにネイアが小声で注意する。

 俺は起きていたが、このまま寝たふりを続けるつもりだ。

 三人が寝静まった頃を見計らって、このキャンプから出ようと思う。

 ネイアは法術が使えないが、二人は強い。それに、見捨てるような非道徳な人間でもない。俺が共に行動して、みんなを危険にさらすよりは、このままいなくなった方がいい。

 などと考えていると、誰かが隣に寝転がった。


 秒で寝息が聞こえる。早っ。

 寝息だけだが、多分ネイアだ。

 良かった。ロアネハイネなら、俺がこっそり起きたことに気付きそうだったから。


 完全にみんなが寝静まったのを見計らって、ゆっくりと目を開ける。

 魔王の目は夜にも慣れているようで、微弱な光を鮮明に捉えていた。

 ゆっくりと身を起こして、音を立てないように外に出る。


 誰も起きてないな。


 テントを背に、しばらく途方もなく歩いた。


 月影は森に染み入っており、それを浴びた背の低い草が凛と佇んでいる。

 風もなく、暑くも寒くもない。

 時がゆっくりと流れる、心地の良い夜だった。

 しばらく歩くと、開けた場所に出た。

 月が地面に映えている。

 湖面に映りこんだ月に誘われるようにして、進む。

 不動の月が下から俺を見上げる。湖面は凍ったかのように一切揺らぐことはない。

 不思議なもんで、静かな夜ほど、落ち着かない。


 前世の、コンビニの前に設置されたベンチを思い浮かべる。

 アスファルトを裂いて進む車の音。

 室外機の無機質な音。

 真夜中でも元気な店員の声。

 眩しい、スマフォの画面。


 あらゆるうるささに囲まれて、初めて自分の存在を感じられていた。

 わずらわしさとはすなわち、必然性だ。なぜわずらわしいと感じるのか。それは自分がその個体から必要とされていることを鬱陶しく思うからだ。その鬱陶しさから解放されたいと願う一方で、それがなくなった時、人は生きる意味を失うのかも知れないと思う。


 例えば友人からのお願いごと。

 例えば会社からのお願いごと。

 例えば家族からのお願いごと。


 全部わずらわしいが、全部自分の存在価値に繋がる。それは糸だ。糸が繋がっているのだ。世界と生命はそれによって繋がっている。

 唯一人、わずらわしさ、すなわち糸に繋がれず、死と言う名の深淵をずっと覗き込むと言う行為は、恐ろしくてできない。


 だから俺は、寝られない夜、ただでさえ仕事の所為で寝不足だってのにも拘らずコンビニに出掛けていた。

 生きている、繋がれていると言うことを確認するために。もちろん当時はそんなこと考えもつかなくて、ただ何となくぼんやりと出掛けていたのだが。


 きっと、俺にはその糸があまりに多過ぎたんだろうなあ。

 絡まって、動けなくなって、しまいにはそれが首にかかってしまった。


 俺は膝と手を地面に付いて、湖面に顔を近付けた。

 子供とは言え、魔人の顔だ。

 俺は、いつか本当の魔王と入れ替わってしまうのか。

 そうなったら俺は、俺の意思や魂はどうなるのだろう。

 今、夜を気持ちよく感じたり、静けさに恐れをなしたりしているこの感覚は、消え果てるのだろうか。或いは、魔王の記憶の中に残るのだろか。

 もしも魔王にこの感覚が残るのなら、その方がいいな。

 そうすれば、むやみやたらと人を殺さないだろう。


 ネイアを……。


 彼女を美しいと思う感覚が残っていれば、ヘルと同じく慈しむことができるのではないだろうか。そうすれば、俺が居なくなっても安心だ。


 居なくなっても?


 そうだよな。仮にそうなったとしても、そこに俺は居ないんだろうからなあ。

 嗚呼。

 また死ぬのか。


 神の命令に背いて、神を殺してまで駆け抜けた、その逃避行の成れの果て。死。

 結局神の言う通りになるのなら、初めからそうしていれば良かったって話だ。


 まったく滑稽だ。

 笑えるじゃないか。

 なのに、なんでこんなに俺は、泣きそうな顔をしているのだろう。


 ぽちゃぽちゃっと音がして湖面が揺れる。

 それが俺から流れ落ちたものだと気付くのに随分時間が掛かった。

 湖面の顔がくちゃくちゃになって、ようやく泣いているのだと気付いた。


 不意に、背中に温かいものが触れた。

 驚いて隣を見ると、そこには月があった。

 月光を浴びて鮮やかに光り輝く金髪を揺らす乙女。


「ネイア。どうして?」

「どうして? 私が泣いていた時、貴方はこうしてくれましたよ?」


 そのまま背中を撫ぜる。

 彼女の笑顔に、胸が締め付けられた。

 胸で融解したラムネがせり上がってきて、涙が止まらない。

 駄目だ。このままもしも魔王の力が暴走したら。


「一人にしてくれないか?」

「嫌です」

「え」


 彼女の強く言い切る言葉に、俺はびっくりしてしまった。


「だって、ウーさんが泣いていますし。放っておけません」

「君が居るから涙が出てくるんだ。立ち去ってくれれば泣き止むさ」

「それでは悲しみが消えたことにはなりませんよ? 全部出るまで、私が傍に居ますから、好きなだけ泣いてください」


 彼女の手はとまることも離れることもない。


「それに、私を守ってくれるのですよね?」

「そのことなんだが、俺が居なくても何とかならないだろうか。ロアネハイネとレアーが居るだろう?」

「約束しましたよ? 私は、ウーさんに守って欲しいのです」


 まっすぐな瞳だ。俺を信じ切っている。それを裏切るのが一番怖い。


「なあ、ネイア。聞いてくれ。俺は今、自分の力を制御できずにいる。ガンジマルの時に出した炎も力の暴走だし、焚火の炎を大きくしたのもそうだ。君の手を払いのけた時も、無意識だった。俺は、君を守るどころか、傷付けてしまうかもしれないんだ。それだけは絶対に嫌だ。嫌なんだ。解ってくれ」


 彼女はふふっと笑う。

 この状況でそれは、その笑顔は、とても場違い的で、まるで夢でも見ているようだった。


「私は、魔王討伐の使命を受けた時、死を覚悟しました。世界の為に命を賭してでも使命を果たさねばならないと思ったからです。そして戦力外と判断されパーティから外され、ガンジマルさんに刀を向けられた時もまた死を覚悟しました。私はもう既に、二度死んでいるようなものです。そんな私の前に貴方は現れて、祈るなと仰いましたね」

「すまない。君の信仰心を蔑ろにして」

「いいえ。感謝しています。その時から私は誓ったのです。神に届かぬ祈りを捧げる為にこの手を使うことはやめよう。ウーさんが私を助けてくれたように、困っている人に差し伸べる為に使おう。そして、ウサギさんを殺したあの夜、ウーさんがしてくれたように、泣いている人の背中を撫でる為に使おう、と」


 彼女は俺を抱きしめた。


 俺はされるがままに、腕をだらりと下げている。


「私は二度も死にました。もう死など怖くはありません。それよりも目の前で泣いている人を見捨ててしまうような人間になってしまうことの方が、万倍怖いのです」


 耳元で囁くように言ったあと、彼女はまた、ふふっと笑った。鼻息が肩に掛かる。

 背中を撫ぜながら、彼女は呟く。


「大丈夫、大丈夫」


 あやされる様に言われて、胸が満たされて。俺は子供みたいに声を上げて泣いた。

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