空中都市トウキョウの少女歌劇団(1)

 西暦二〇一九年二月。

 空中都市国家トウキョウ市は、当地開催二度目のオリムピックを翌年に控え、何としてでも競技場建設を間に合わせようと、鉄骨を叩き地を掘る突貫工事の音が、街中のあちらこちらから冬の空へ響いていた。

 ……とは言えオリムピック本番までは、まだ一年と半年ある。

 天空の江戸っ子がどれだけちだとしても、さすがに今から百メートル走の順位を賭けようという気にはならない。

 十九年二月の頃、トウキョウ市民の耳目を集めていたのは、はるばる空中都市国家ハチドリ市からやってきた『黄玉トパーズハチドリ少女歌劇団』という名の少女レビュウ団だ。

 世界中に何百何千とある少女歌劇団の中でも、その演出の素晴らしさ、歌と踊りの美しさでは十本、いや五本の指に入ると噂の歌劇団……それが初めてこの空中都市国家トウキョウ市にり立ったというのなら、是非ぜひとも一度おがんでみたいと思うのは人情。

 公演場所である天空トウキョウ大オペラハウスの券売場には、切符売り出しの三日前から徹夜覚悟の長蛇の列が延々と伸び、あわてた支配人が急遽きゅうきょ整理券を印刷して配ったというのだから、市民の熱狂ぶりも相当だ。

 歌も踊りも特上の美少女ばかりを百人近くそろえた〈黄玉トパーズハチドリ少女歌劇団〉の中で、ひときわその才能を輝かせていたのは、看板美少女ダンサーにして歌手、そして女優でもある美園よしぞの三音子みねこ。当時まだ十八歳。

 すれっからしの評論家もうなるその歌声は、まるで極楽浄土に響く鈴の音のよう。

 ステージを右に左に軽やかに舞うその姿は、羽衣をまとう天女か、蝶のはねを背中に生やした西洋妖精フェアリィか。

 あくまで細く長くスラリと伸びた手足と華奢な肩。細いうなじ

 赤ん坊のようにスベスベと滑らかな肌。

 ツヤツヤと黒光りする髪。

 端正な、それでいて派手さと華やかさもある顔立ち。

 大きな瞳はその奥に処女と娼婦両方の魂を宿し、始終うるうると濡れ輝いている。

 グラヴュア雑誌の紙面でその姿を見るたびに、天空トウキョウ市民たちは老若男女を問わずそろってめ息をき、「こんな天使が実在するなら、一度で良いから見てみたい」とつぶやいた。

 注目の美園よしぞの三音子みねこをはじめ、踊り子、楽団、世話係、衣装係、照明・大道具・小道具係、ボディーガード、あわせて三百人の大所帯が遥々はるばるハチドリ市から飛行船に乗って空中都市国家トウキョウ市に上陸したのが一月の半ば。

 それから舞台の準備と稽古に三週間をかけ、さあ、あと三日で初日本番という水曜日の朝、大オペラハウスの支配人のもとへ一通の手紙が届いた。

 差出人は、住所不明の『怪物ばけもの太郎』

 悪戯ふざけるのも良い加減にしろ、と塵芥ゴミ箱へ投げかけた支配人だったが、それでも念のためと思い、封を切って中身をあらためた。

 三つ折りの便箋を広げて書かれた文を読み進めるうちに、支配人の手がブルブルと震えだした。

 いわく……


 * * *


黄玉トパーズハチドリ少女歌劇団の看板女優マドンナ美園よしぞの三音子みねこは我が魂の妻である」

 ――中略――

「雑誌にグラヴュア印刷された彼女の美しい肢体を一目ひとめ見た瞬間、われ稲妻いなづまに打たれたような衝撃と共にそれを確信した。この女こそ、我が運命のひとである、と」

 ――中略――

「しかし、天空トウキョウ市の片隅で土竜もぐらの様に生きる一介の貧乏学生に過ぎぬわれが、遥か遠く空中都市ハチドリで歌い踊る美しき女神をこの腕に抱くなど不可能とあきらめ、悶々と虚ろな日々を送る他なかった」

 ――中略――

「天は我を見放さなかった」

 ――中略――

美園よしぞの三音子みねこが天空トウキョウ市の土を踏むこの千載一遇の機会を逃すわけにはいかない。必ずや公演の舞台で我が運命の女を刺し殺し、その同じやいばを自らの心臓に突き立てて我も命を絶つと宣言する。そして死後転生した来世で三音子みねこと夫婦の契りを結び、一生涯仲睦なかむつまじく暮らすことを誓う」


 * * *


 要するに無理心中の予告文だった。

 オペラハウスの支配人は、ロビー横の支配人室を行ったり来たりウロウロしながら考えた。

 一体いったいこれをどう解釈すれば良いのだろうか?

 タチの悪い悪戯いたずらか?

 それとも、この天空トウキョウ市の何処どこかに気の触れた孤独な文学青年がひそんでいて、毎夜、危険な妄想を膨らませながら、美園よしぞの三音子みねこがステージ上に体をさらす日を、今か今かと待っているのだろうか?

(ここは一つ、安全を第一に公演を中止するか?)

 しかし初日舞台は三日後に迫っている。

 ここで臆病風に吹かれて急遽きゅうきょ取りめにしようものなら、公演を心待ちにしている全トウキョウ市民を敵に回す事になろう。

 決定を下した支配人の自分は石を投げられ、とてもじゃないが、この空中都市まちには居られなくなる。

 第一、既にこの大事業には莫大な費用を投げ込んでいる。

 三百人からの大所帯を呼び寄せるための契約料、渡航費用、リハーサル・本番・休養を含む五週間にも及ぶ滞在期間の宿泊費用、リハーサル場所の借り賃……これら全て、この天空トウキョウ大オペラハウスの持ち出しだ。

 それでも既に完売した切符ティケット料金を合わせれば経費を補ってなお充分な利益を立てられるが、全公演中止はすなわち全切符ティケットの払い戻しにも応じるという事だ。歴史あるこの大オペラハウスさえ、三日とたず倒産するだろう。

 ……では公演を決行するか?

 しかし万が一、この危険な予告状が本物で、美園よしぞの三音子みねこに危害が及んだら?

 彼女は単なる〈黄玉トパーズハチドリ少女歌劇団〉の看板女優ではない。

 百年に一人、いや千年に一人の美貌と才能をあわせ持った世界の至宝。

 殺されれば当然のこと、少し傷ものにされただけでも劇団側は莫大な慰謝料をオペラハウスに請求してくるだろう。

 そうなったらそうなったで、酷薄な天空トウキョウ市民が、危険を低く見積もった責任を支配人たるこの自分に負わせるのは目に見えていた。

 どちらに転んでも奈落の底という危ない綱渡りを、たった一通の手紙に強いられ、天空トウキョウ大オペラハウスの支配人は、ダラダラ流れる脂汗あぶらあせを白いハンカチでぬぐい拭い、毛足の長い絨毯の上を行ったり来たりウロウロ歩き続けた。

 三十分も支配人室の中を歩き回った末、とうとう支配人は何かを決意したような顔でグッと奥歯をみ締め、胡桃材ウォールナット一枚天板の大机に置かれた黒電話の通話器を持ち上げた。

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