#002:強引な(あるいは、ダメとの対峙)

「そろそろ自分帰ります。帰って適当なもの食べて寝ます」


 さて、気持ちを切り替えて明日に望まないと。バッグを担ぎ直して僕はその場を立ち去ろうとした。


「待てよ少年、エントリーはあさって締切だ。今日やっとかんといかん事もある」


 長髪男は構わず言うが、僕も構ってなんかはいられない。


「いやいやいや、なんですか? 自分は出るなんて言ってませんし、その、なにコンテストでしたっけ、聞いたこともないですし」


「出てみないか。少年のダメぢからなら、頂点を掴める可能性が高い」


 ダメ力だと?


「自分はダメ人間とは思ってませんし、そんな力も無いですし。ましてやその力を使って何かをやろうとする想像なんてまったくもって思い浮かびませんし」


「『自分はダメ人間ではない』。ダメ人間は皆そう言う」


 くくく、と長髪男がしてやったり顔で言うが、相手にしてはいけない。


「本当に帰るんで」


 踵を返し、立ち去ろうとする僕。もう何か今日はいろいろありすぎてあかん。あかん感じだ。帰って本当に早く寝てしまおう。


「少し話をしようじゃないか、少年。酒でも飲みつつ」


 しかし背中にでろりとまとわりつくような声。まだ言うか。僕ははっきりと拒絶の意を示そうと、再びその謎の男に向き合うものの、


「俺はアオナギ。自由人だ」


 変人だ。かかわってはいけない。隙をうかがえ。必ずチャンスは来る。逃走のチャンスが。


「少年。君は今まで何かを成し遂げたことはあるかい?」


 しかし構わず、長髪男は濁った、しかし鋭い目で僕を見据えてきた。


「……ずっと逃げてきたはずだ。現実から。現実の自分から」


 会ったばかりの人間に何がわかるってんだ。僕は少しイラついてきた。


「だったら何だっていうんです? 逃げない人なんていない。みんな多かれ少なかれ逃げてるはず」


「そうだ。逃げている。目を背けている。それが普通だ現実だ。だが……」


 再び人の顔先に形容しがたい色の指を突きつけてくる。そして、


「自分のダメなところに向き合い、そしてさらけ出し、しがらみから自由になる。ありのまま、自分のダメの全部を武器にして戦う。それこそが『ダメ人間コンテスト』」


 またも自信ありげな顔つき。ぐうう、疲れる。


「『日本一』になるチャンスなんて今後ないぞ。今しかない。俺らと組まないか。少年、君には眠っているダメの才能がある」


「ですから! ダメダメ言わないでください。告ったのをしくじったからって、それを見られてたからって、ダメ何とかなんて決めつけられるのは心外です。そのダメコンテストですか? 自分はやりませんから」


 僕も負けじと、きっ、と睨みつけ言い切る。こういった輩に曖昧な態度は禁物だ。


「……わかったよ。少年。だがせっかく知り合ったんだ。酒なりメシなりちょいと寄ってこうや。そこでちょいと話でも。おごるからよぉ」


 長髪男、アオヤギはふいと力を抜いたかと思うや、まだそう食い下がるが、


「お断りします。帰るんで」


 今度こそきっぱり背を向けて立ち去ることにした。だが、


「逃げるのか少年。男らしくねえなぁ」


 そのひとことにキレた。この発言は……聞き捨てならない。


「男らしくない? いい加減にしてくださいよ。男は逃げたらいけないんですか? 女は逃げても? ふざけんな。それに自分は逃げてない。ふざけた、くだらないことに関わらないようにしているだけです」


 向き直りながら、多分に顔に怒りを込めて僕は言い放った。しかし、


「いや? 逃げているんだよなぁ、今この瞬間も。いいのかな? そんなグズグズに日々を送ってていいのかな? ここらで一発、スカンと生きてみようぜ。輝くんだよ、瞬間に。そんな吹っ切れ方、こっから先いったらどんどん難しくなるぜえ」


 アオヤギは僕の剣幕にも動ぜず、相変わらずの勧誘姿勢でまくしたてる。何だろう、このしつこさは。他人が拒絶の態度を思いっきりとっているっていうのに引かないのか。何なんだ。なんだか僕は少しおかしくなってきてしまった。こんな押し、されたこともないし。


「どうした少年?」


 少し微笑んだ僕の様子に、ちょっとビビッたような顔のアオヤギ。やった。初めて優位に立った。


「いや、何か。久しぶりに腹から声出したなと。しょうがないですね。話だけ、聞きますよ。酒でも入れながらね」


 折れた、わけではない(と思いたい)。ただ普段から四方八方からじりじりと迫る閉塞感って奴に少しづつ押しつぶされようとしながら、大学とか友人とか、これからの就職とか、当たり障りないよう無難に無難に……生きてきたのは事実だ。


 何かが変わる予感。そんなものを感じていた。それが想像をふた次元くらい踏み抜いたものであるということは、この時の僕には慮れなかったけれども。


「オーイエス。俺たちゃ無敵だ。無敵のトリオ誕生だ」


「いやいや、話とお酒だけですって。それに『俺ら』とか『トリオ』ってもうひとりいるんですか、その……変人じみた人が」


「駅前の『ボイヤス』に移動だ。そいつもそこで待ってる」


 僕の問いには答えず、アオヤギは両手をジーンズに突っ込み、背を曲げた姿勢でよたよたと駅の方向へ歩き始めた。しょうがなく僕もそれに続く。


 ……この選択が、


 ……この男の誘いに乗って飲みに行った事が、


 後の僕の人生を大きく変えることになるとは思いもしなかったわけで。


 僕の人生の歯車は、耳障りな音を立てながら廻り始めようとしていた。


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