第47話 決死のアボルダージュ

 作戦はこうだ。回天が掲げたのはアメリカという異国の旗で星条旗と言うらしい。異国の船を装って相手を油断させておいて接近する。直前に我が国の旗に代えて奇襲を仕掛けることになっている。卑怯にも思えるこの作戦も、海戦術のひとつであるらしく他国ではあり得る話らしい。


「海賊のやる作戦だ。だが、手段を選んでいる暇はない」

「はい」


 回天が敵の甲鉄に接舷されたら、私たちはすぐに甲板に飛び移り戦闘を開始する。今は回天の甲板上で背を屈め、身を隠して潜んでいる。手には刀と小銃を握って。


「あれか、低いな」


 土方の言う方を見ると、沖合に物資補給で来たであろう甲鉄の姿があった。土方が言うようにその船体は平たく海面に近い場所に甲板があった。そばに行けば回天から見下ろすことができる低さだ。


「土方さん、艦長がお呼びです」

「すぐに行く。テツ、おまえも来い」

「はい」


 艦長室に行くと海軍奉行の荒井もいた。奇襲であるため接舷というよりは、体当たりに近いので海に投げ出されないよう綱で体を縛るなど対策をしろと。損傷や負傷者がかなり出るであろうと、最後の確認をされた。いよいよ決死の作戦が始まる。私たちは持ち場に戻って、全員に投げ出されないように伝えた。土方が帆を見上げる。


「来るぞ」


 星条旗が素早く降ろされ、我が国の旗が代わりにはためいた。速度を落としながら回天が甲鉄に接近する。横付けされると思っていた私たちは回天の予想外の動きに翻弄された。


「しっかり綱を握れー! 当たるぞ!」


 ドドーン……ガリガリガリ


 聞いたことのない大きな音が鳴り、同時に船体が激しく揺れ、回天は船首部分を甲鉄に乗り上げた。その反動で数名の隊士が甲板上を転がって行く。


「テツ! いるか!」

「はいっ。ここに!」


 土方は私の姿を見るとほっとしたように大きく息を吐いた。するとその時、甲鉄の側で警戒にあたっていた春日という艦が奇襲を知らせる空砲を放った。急がねば!


「突撃!」


 回天から隊士たちが甲鉄に飛び移るため接舷場所に移動した。そこは思っていたよりも高い位置で、甲鉄の甲板が遥か下に感じた。かなりの高さから甲鉄を見下ろす形となり、隊士たちは躊躇った。まともに飛び降りたら、脚の骨が折れてしまうだろう。


「回天は外輪船だから横からの接舷を回避したのだろう。相手は鉄の塊だ。あれがやられたら回天は海を走れねえ」


 なるほど。直前の艦長の判断だったと知った。飛び降りる事のできない隊士たちは綱を降ろして試みる。そうこうしていると、甲鉄が装備しているガトリング砲が火を吹いた。


 ダダダダダ……ダン! ダダダダダダ!!


 ほんの一瞬で前方にいた隊士が標的となり倒れる。体に何発もの弾を受け皆、即死だった。


「くそっ」


 さすがの土方も焦る。まだ、誰も甲鉄に移っていないからだ。後から合流すると言われていた高雄はまだ来ない。止まぬ砲撃に身を伏せるのが精一杯だった。このまま一太刀も浴びせることもできずに終わるのか。それはあまりにも惨めだ。私なら飛び移るのも難しくはない。


「土方さん。私が道を開きます! ついてきて下さい!」

「おい、何を言っている!」


 私は大丈夫だと訴えた。しかし、土方はなかなか首を縦に振らない。このままでは何もできずに終わってしまう。


「土方さん。俺と市村が道を開きます。俺たちは小柄なうえ、誰よりも素早く動くことができます。ここで使わずして、いつ使うのです!」

「……分かった。前を頼む、絶対に死ぬなよ!」

「「はい!」」


 私は沢とともに弾の間を縫って甲鉄に飛び移り前方で砲撃を指揮する兵士を斬った。その隙きに土方が飛び降りて、その後から続々と隊士たちが続いた。硬い甲板の上で響く砲撃の音と刀の音が耳に刺さる。踏ん張る足場は感じたことのない硬さと冷たさがあった。早く、操縦室に進入しなければ!


 ドドーン……パンパンパン、ダダダダダダ!


 とうとう周囲にいた敵の艦隊の戦闘準備が整ってしまった。私たちは四方から攻められた。


「駄目だ! 戻れ!」

「なぜです! もうそこを突破すれば! 操縦室はすぐそこに!」


 土方の制止に納得がいかなかった私は食いかかるように反論した。すると土方は私の腕を強く掴んで引きずるように後退した。


「なぜっ!」

「見ろ! 回天が撤退態勢に入った!」

「まさかっ」


 四方から浴びせられる砲弾をこれ以上は受けるわけにはいかない。榎本艦隊で脚の速い回天もこれ以上はもたないと判断したのか逃げるためには今、退くしかない。


「戻れー! 回天に、戻れー!」


 伝令の声を聞き、綱を握って這い上がる隊士たちに容赦なく敵の砲撃は続いた。私と沢は高く跳躍し、上から隊士たちの引きげを助けた。土方も相馬もなんとか回天の甲板に上がった。次第に回天は後退をし、接舷していた場所が離れていく。甲鉄の船尾まで進んでいた隊士は間に合わない。敵の艦の砲弾を浴びその身を沈めていく。目の前でその残酷な景色が流れていった。


「撃ち返せ!」


 土方自らカノン砲を操り、最後まで抵抗をした。機関故障で漂っていた高雄を横目に、私たちは箱館に向けて撤退。三十数名の隊士死亡と、艦長である甲賀も死亡が確認された。艦長は腕や胸に砲弾を受け、それでも舵を離さなかったそうだ。その後、頭部を弾が突き抜け即死。回天の舵を引き継いだのは海軍奉行の荒井だった。


 煌々と登る太陽がこれほど憎いと思ったことはなかった。海を超えてきた宮古の海は暖かな日差しとまだ見ぬ春の花の香りが吹き乱れていた。惨めな気持ちが込み上げてくる。もうこの地は春真っ只中なのだ。






 箱館につくまで私は甲板を歩いて回った。仲間の状態が心配だったからだ。無傷の者は少なく、背を柱に預けた隊士たちの顔は蒼白していた。腹や腕からは血が流れ虫の息の者もいる。こんな悲惨な結果に私は震えた。治療の手段もこの艦の上にはない。軍医などいないからだ。


「大丈夫ですか。止血しか出来ませんが、もう少しで着きます。耐えてください」


 お爺から学んだ止血のツボを押し、鉢巻などの布で強く縛った。隣では沢も同じことをしている。嘲笑うような日の光に私たちは力を落とした。


「鉄之助くんっ……無事、だったか」

「相馬さん!」


 声がする方を見ると、ぐったりと体を横たえた相馬の姿が目に飛び込んだ。私は相馬のそばに行って体を確認した。相馬は太腿に怪我を負っており、そこからの出血が多く思えた。


「まずい。止血をっ」

「すみません。自分ですべしところを」

「力が入らないでしょう。ご自分では無理ですよ。かなり強く縛りますが、我慢してくださいね」

「う、ああっ」


 屈強な男でも声を上げるほどの痛みに、私は怯みそうになった。それでもなんとか力を緩めず傷を布で覆い、その上を縛った。こんなにも苦しそうにしているのに相馬は仲間を気にかける。


「皆は、大丈夫ですかっ。くっ、ひ、土方さんは」

「土方さんはほぼ無傷ですから、ご心配なく。その他の皆さんは……かなり酷い有様です。砲撃を体で受け止めてしまいましたから……」


 そこまで言うと相馬は唇を噛み締めた。拳を甲板に押し付けながら顔を俯かせた。今回の作戦は何もできなかった。甲鉄に乗り移ることも叶わぬまま散っていった者のほうが多い。そして、甲鉄に取り残された仲間もいる。ここにいる者は悔しさと情けなさで押しつぶされそうになっていた。





 箱館についた頃、高雄が明治政府軍に拿捕され投降したと知らせが入った。瀕死に近い状態でなんとか帰ってきた回天は慰めの言葉で迎えられる。敵艦を奪うはずが味方の艦を奪われ、多くの仲間を失った。榎本軍のアボルダージュ作戦は失敗に終わった。この作戦がここでの戦争を早めたかもしれないと口にはしないけれど、そう思ってしまった。



「ご苦労だった。怪我をした者は十分に休んでくれ。今日明日に始まる戦争ではない。安心して治療に専念して欲しい」


 土方はそう隊士たちを労った。



 その晩、私は土方の部屋を訪ねた。指揮をとった土方は、皆を思い心に大きな打撃を受けているに違いないと思ったからだ。


「土方さん。お茶をお持ちしました」


 声をかけてもいつもの入れが聞こえてこない。私は扉に手をかけ返事を待たずに開けた。もう一度、土方さん! と言おうとしてすぐに口を閉じた。着替えもせず、窓の外を微動だもせずに見つめる姿があった。私は静かに扉を閉めて、机の上に湯呑を置いた。コト、という音に土方ははっとして振り返った。


「いたのか」

「申し訳ありません。お声はかけたのですが、返事がなかったもので。その、勝手に」

「すまない。聞こえていなかった」


 静かに土方は窓から離れ、私が置いた湯呑に手をかけた。そして口元に持っていく。湯気が土方の頬をかすめ天井へ上がっていった。目を伏せた土方があまりにも痛々しく思え、私は我慢できずに土方の前に進み出た。


「なんだ」

「土方さん! 土方さん!」

「おいっ」


 私はその胸に顔を押しつけ土方に抱きついた。あの時はぴくりともしなかったのに、土方は一瞬ぐらつき一歩後ろに下がった。私は背に回した腕に力を入れる。そして、その背を何度も何度も撫でた。私が慰めの言葉を口にすれば、きっと土方は惨めになる。だから、せめて気持ちだけでも側にいると伝えたかった。もう、一人で抱えないでほしいと。


「それでも、慰めているつもりか」

「そんなつもりはっ」

「笑えよ。なんてザマだって、笑え」

「笑えるわけっ」


 土方の顔を見上げると、気持ちの読めない表情をしていた。能面のような無を表したような顔だった。私は思わず土方の胸を拳で叩いた。こんな土方は土方ではないと言う気持ちで。


「土方さんはっ、大莫迦です! なにが笑えですか! 笑いたいなら、ご自分が笑ってください! ばかー!!」


 最後は泣きながら叩いた。軍服の釦に関節がガツガツと音をたていつしか痛みを伴ってきた。


「テツ!」


 まるで我に返ったように土方は声を出し、私の手首を掴んだ。私は動きを封じられてしまう。


「血がでてるじゃねえか! 莫迦やろう……大事にしてくれ。頼む」


 そして、最後は弱々しい声でそう言った。


「大事にするのは、土方さんの方です。お願いですから何処にも行かないでください」


 心、ここにあらずの土方が怖くて仕方がなかった。体はここにあるのにまるで居ないような顔をしていた。


「悪かった」


 そう土方は言い、私を抱きしめ返した。気のせいだろうか。微かにその肩は震えていた。

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