第41話 私も、参ります!

 五稜郭を攻略すると、弁天台場も難なく手に入った。箱館湾から退避していく船を見送ると、榎本艦隊がその後を陣取った。明治政府軍が知らせを聞きつけて援軍を送り込んでくるまでに、我々は松前城を落とすつもりだ。陸の総司令は大鳥圭介で、それを補佐するのは自然と土方になった。榎本武揚は艦隊を指揮している。


「これより陸軍歩兵部隊は松前攻略に進む。先程も話したが、五稜郭と弁天台場は補修が必要だ。私はその指揮をとる。それから土方くん」


 大鳥はそこまで話すとゆっくりと土方に振り返った。土方は五稜郭には残らず松前を落とす要となっていた。


「今回の松前城攻略は君が総司令だ。七百の兵士を預けるわけだが……」

「大鳥さん、短期決戦で落としてみせますよ。敵の援軍が来る前に松前を攻略し、五稜郭凱旋をしてみせましょう」

「頼もしいね。榎本艦隊も援護のため松前に向かうらしいよ」


 大鳥隊の半分を五稜郭と弁天台場に残し、残りを土方隊に補い松前を目指すことになった。五稜郭と弁天台場では万一の襲来に備えて大砲を設置したりと忙しいのだ。


「島田さん、相馬さん、お気をつけて」

「鉄之助くんも」

「はい。ありがとうございます」


 やはりここでも土方隊に戻ることは叶わず、私は大鳥隊の一員として五稜郭に残ることになった。


「出発致す!」


 私はまた土方の背中を見送った。


(土方さん!)


「まったく、土方くんも強情だね。テツ行ってくるよ、くらい言ってあげればいいのに」




 私は大鳥について五稜郭の改修や大砲の設置の補助をした。とは言え、言われたことを作業する人間に伝えるだけだ。弁天台場では数台の大砲を取り付けた。その時、榎本艦隊が江差に向けて出発したのを見送った。私は土方を独りにしないと誓ったのに、こんな離れた場所で成功と無事を祈ることしかできない。悔しくて悲しくてやるせなかった。


「市村くん、戻るよ」

「はい」


 大鳥は村医者の家に生まれた。もともとは武士ではないそうだ。若い頃にあとを継ぐために見習いをした経験もあるようだ。しかし、才能ある大鳥は出先で様々な刺激を受け今に至る。詳しくは聞かなかったけれど村医者の息子が三十を過ぎて幕臣となったのだ。よほど優秀でなければありえないことだ。異国の言葉も操るこの男の将来はどうなるのか。この戦争がすべての行方を決めるのだろう。


「それにしても、どうして土方くんは自ら前に出るんだ。大将がヤられたらその隊は終わりだよ。僕にはあのやり方は受け入れられないね」


 大鳥の指揮のとりかたは土方とまるで違った。現場で戦略を組み立てるのではなく、事前に下調べをしある程度の攻防を想定して動く。戦力を効率よく生かすやり方だ。土方は逆で、その時その時の相手の出方を見て戦術を変えていく。その分、戦闘能力の高いものが必要となる。土方は大将でありながら自らが前に出て戦いながら進む。大鳥は後方に控え指示を出す。本来なら大鳥のやり方が普通だ。


(機がもう少し早ければ、幕府も違ったかもしれない)


 大鳥も榎本も恐ろしく賢い。統率力は今まで会った人間の中でも群を抜く。あと二年早くにあの艦隊を率いて戻ってきていたなら……。今一歩、遅かったと私は感じている。


「ところで君たちは想い合っているんだろう」

「君たちとは」


 興味深そうに大鳥は私にそう問いかけてきた。


「だから、君と土方くんだよ。どうするんだい。この先、戦争が終わったら」

「何を仰っているのか理解できないのですが」

「戦争が終われば君はそんな格好をしなくともよくなる。堂々と女として生きられるよ。そうすれば君は土方くんと夫婦になれる」

「ふっ、夫婦!」


 大鳥はとんでもないことを私に言った。私が土方と夫婦になれると。考えてもみなかったことに動揺して歩む足が止まる。列を作り歩む兵士たちが怪訝な顔をしながら横を通り過ぎていった。


(私が、土方さんと……えっ)


「あっ、ちょっと。市村くん! こっちに来なさい。ああ、君! 馬を此処に繋いでおいてくれたまえ」


 なぜか慌てた大鳥に腕を掴まれぐいぐい引かれ、道の端の林の中に連れて行かれた。大鳥は眉を下げ困り果てている。


「あのっ」

「あゝ……参ったな。僕が悪かったよ、だから早く戻してくれないか」

「戻す」

「顔だよ、顔。まさかこんなに愛らしい顔になるとは、思わなかったよ」

「顔……え! ああっ」


 私は大鳥に背を向けて顔を両手で覆った。今更遅いことは分かっている。でもそうするしかなかった。


(不覚だ! 私は大鳥に何を晒しているんだ! うぅ……どうしよう)


 私はがくりと膝を折り背を曲げた。


「ぼ、僕は何も見ていない」

「大鳥さん……」


 もとに戻ったら言ってくれと大鳥が私から少し離れた。後ろから見ると大鳥の耳は真っ赤になっていた。



 暫くして、ようやく私は平常心を取り戻し、大鳥の前に行き頭を下げた。


「すみませんでした」

「いや、さっきのは僕が悪かった。なるほど、土方くんが離したがらないのがよく分かったよ。いや、あれは他の者が見たらまずいよ……まずい」

「そんな、ひどい顔でしたか」

「ひどいなら良かったけどね。僕ですら動揺したよ」


 私は土方以外の人間に常葉の顔を見られてしまったことに落ち込んだ。もしも土方がこのことを知ったら……。


「もったいないね……本当に。早くこの戦争は終わらせないと」


 大鳥がずっとなにかブツブツ言っているけれど、私の心中はそれどころではなかった。松前から土方たちはいつ戻ってくるのか、できるなら私もここを飛び出したい。この状態では不安で不安で仕方がなかった。


「はぁ……市村くん」

「はい」

「あの馬を君に貸すよ」

「えっ」


 大鳥が突然、木に繋いだ黒い馬を指差して言う。頭を指で掻きながら参ったなと何度も繰り返しながら。いったいこの馬を私に貸してどうしようというのか。


「よく分かったから。土方くんも君も、本気だってね。まあ、君に関してはちょっと僕では手に負えないかな」

「あの……」


 大鳥が真剣な面持ちで私に命令をした。


「至急、土方隊に合流したまえ!」

「え、あ、えっ」

「土方くんと松前城攻略をするんだ。もしも攻略に手こずったらこの事、みなに明かすからね」

「よいのですか!」


 大鳥は諦めたように言う。君が土方くんを補佐しないと暴走して彼は死んでしまうよと。私は大鳥に深く頭を下げた。


「ありがとうございます!」

「やれやれ、僕はとんでもない人間を部下にしようとしたもんだ」


 私は馬の紐を木から外してすぐに跨った。鐙で腹を軽く蹴ると大きく駆け出す。


(土方さん! 私も参ります!)







 およそ一日半の遅れを馬で走り続けて取り戻そうとした。早く土方と合流したかったからだ。もうこれ以上は馬がもたない、そう思った日も暮れた頃。ようやく知内に入った。もしかしたら宿陣している場所かもしれない。あたりを大砲を引きながら行軍した形跡があったからだ。


(追いついた……たぶん)


 私は疲れ果てた馬を連れて小川で水を飲ませ、手綱を引いて歩いた。


「無理をさせて、すみません。まともな餌もやらずに。恐らくこの先にいるはずです。そうしたら、ちゃんとしたものを貰います」


 馬の首や鼻先を撫でると、ぶるるっと震わせ分かったと返事をされた気がした。


「ふふっ。おまえはいい子だね」


 嫌がらずに走り続けてくれたこの馬に労いの言葉をかけたその時!


ガサッ……


 遠くの闇で黒い影が枯れた枝を踏み、その音に一瞬動きを止めた。私はそれは敵であると判断した。偵察の人間かと思ったけれど、それにしては人数が多い。刀と小銃のどちらも手にして静かにある同じ方向に向かっている。


(まさか、夜襲!)


 私は馬をその場に繋ぎ、気配を消して黒い集団の背後に回った。先読みはできないけれど、耳はいい。離れていてもある程度は拾える。


『ここで、半分でもいい……旧幕府軍の息の根を止めろ』

『承知した』


(やはり、夜襲だ!)


 そう確信したときには体が勝手に動いていた。私は地を蹴り木の枝に飛び乗った。その集団の人数を把握したかったのもあるし、何よりもその事を土方たちに知らせたかった。


ヒューッ! 


 指笛を鳴らした。


「くそ! 見つかったか! やれ!」


 潜んでいた男たちが、刀を抜いた。私は素早くその集団の中心に飛び降りて自身も刀を抜く。


(早く気づいて!)


パーンッ! パーンッ! パーンッ!


 乾いた銃声が鳴り、一気に戦いの火蓋が切られた。夜襲に気づいた陸軍隊が次々と武器を手に現れた。


「奇襲だ! 奇襲だ!」


 人数からみれば土方が率いる陸軍隊が断然有利だった。わらわらと現れる陸軍隊に敵が慄く気配がした。


「貴様かぁ!」


 一人の男が私にそう叫んだ。恐らく、おまえが知らせたのかと言っているのだろう。男が手にしていた小銃を構えた。銃口は迷うことなく私に向けられる。


(沖田先生! 私に力をお貸しくださいっ)


 私は腰に差した沖田の形見に手を伸ばす。


 パン! パンッ――!


 耳元が熱く燃える。


「テツー!!」


 ずっと聞きたかった男の声が響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る