第27話 その姿、鬼の如し

 一度は撤退した新政府軍も諦めることはなく、新たに軍を立て直していると情報が入った。援軍が到着したのだ。


「君が新選組の土方くんかい」


 土方のもとに現れたのは幕府直属の陸軍歩兵部隊を率いる大鳥圭介という男だった。江戸無血開城を受け部隊をまるごと率いて江戸を脱出し、宇都宮城攻略に参戦したのだ。


「そうですが、何か」

「随分とつれないね君の上司は」

「えっ」


 愛嬌のある笑顔と一緒にその言葉は私に向けられた。幕府のお偉い方なのに、あまりにも軽い雰囲気で私はどう返事をしたらよいか迷った。


「おや、男の子にしては可愛らしい眼をしているね」

「なっ、うわっ」


 すると今度は背を屈め、私の顔を覗き込んできた。全く知らない男から、いきなり間合いを詰められて思わず仰け反った。


「大鳥さん。こいつに構わないでくれ」

「おっと失礼。土方くんの部下があまりにも可愛らしくて、ついいじめてしまったよ。さて本題だ。攻め落とした城の件だけどね。城内に火を放たれたお陰で、目当てにしていた砲弾を得ることが出来なかった。ご存知の通り江戸城は開け渡されてしまって武器の調達は望めない。せっかく手にしたこの城も、護り抜くのは困難という状況だ」

「諦める。ということですか」


 大鳥の分析に土方の眉が激しく歪んだ。せっかく落とした城を、簡単に諦めようとする大鳥に怒っているのかもしれない。


「僕が言いたいのは、見極めだよ。これ以上やっても勝算がないのなら無駄に足掻かない。こちらの兵力には限りがある。何故かあちらは、湯水のごとく武器が湧いてくるみたいだからね」

「貴方の言い分だと、この戦い自体が無駄だと聞こえる」

「そう聞こえたなら申し訳ない。ただ、長引くよ……これは。僕たちはもう南下できない。残るは会津、仙台、陸奥。ここが落ちたらどうなるか、分かるよね」


 大鳥が言わんとすることは私にでも分かる。東北が万が一降伏したら、私達は完敗だ。最悪は戦わずしてそれを受け入れることになる。土方は何も言わず、黙って大鳥が言うことを聞いていた。


「とにかく、ここでもう一戦やる。それでだいたいが分かるさ。榎本さんもそろそろ江戸を抜けるだろうし、それ次第かな」


 幕府の艦隊を率いる最高司令官の榎本武揚という男も、江戸無血開城を受け、品川から脱出しようとしているらしい。勝海舟は平和的な解決を求め疾走し、それを受け入れられない者たちはこうして北へやって来る。最後まで、徹底抗戦をするつもりなのだろう。


「艦隊が、江戸を抜けるんですか」

「もう江戸は取られちゃったからね。でも、簡単に譲れないでしょう。幕府がどれほどの資金を費やして、あの艦隊を造ったと思っているの。僕が率いる歩兵部隊だって、イギリスから学んだんだ。やすやすと敵にくれてやるバカな考えはないよ」


 江戸が落とされても尚、こうした動きをするということは、この戦争はどちらかが滅びるまでやるということだ。今更ながらとてつもない恐怖を感じた。だから私は、土方がどう思っているのか知りたかった。この恐怖をどうにか薄めたかった。




 そして、翌日。宇都宮城での第ニ戦が始まった。



「撃て――っ」


 激しい銃戦、そして大砲が投入された。前回のように刀を交えて戦うことが難しい。なかなか近寄ることができないのだ。城を取った幕府軍ではあったが、燃えてしまった城内では身を隠すことさえ難しい。激しく揺れる地面、舞い上がる土煙に思うような戦いができない。


「くそっ、このままでは落とされるな」

「副長」


 新政府軍の武器の威力は前回とは比べ物にならなかった。たった二、三日の間に大砲を持った援軍が多数やってきたのだ。


「東が落とされたぞー!」


 嫌な伝令が耳に入ってきた。


「下がるな! 進め!」


 士気が落ちていくのを嫌い、土方が先頭に立ち敵陣に向かって走った。銃弾が足元を走り抜けるような場所でも土方は怯まない。私も後について走る。


「テツは俺より前に出るなよ!」

「はい。心得ております!」


 どんな顔をして刀を振り上げているのかは見えない。ただ、普通の人間ではないような気迫と勢いで、銃を構えていた兵士たちを土方は斬った。遠くで「退け」という声がした。これは大鳥圭介の声だ。しかし土方には聞こえないのか、どんどん前に進んでいく。


「副長!」


 近くにいる私の声も届かない。敵の兵士は次々と現れ、斬っても斬ってもキリがない。体力が尽きたときが負ける時だと思い知らされる。


「っく……、覚悟っ」


 私はいったい何人斬ったのか。纏わりついた血を振り払ってまた斬った。沖田の刀も限界を迎え、とうとう一撃で倒すことができなくなった。仕方なく鞘に戻し脇差しを代わりに抜いた。刀身が短い分、間合いを詰めなければ届かない。


「副長、副長!」


 気づけば私は土方から遠く離れた場所にいた。その土方の姿を見てはっとする。


(鬼っ――! 鬼がいる)


 まるでその姿は人とは思えぬほどの殺気を放ち、手向かうものを片っ端からあの世へ送り出していた。あれは土方ではない。鬼に取り憑かれた武士が我を失い暴れている。


ターンッ、ターンッ


 続けざまに鳴った銃声に私は心臓が止まりそうになった。土方が片膝をついてうずくまったからだ。


(まさか、撃たれた!)


 私は走った。その間も銃を構え、土方を狙う兵士がいた。私は懐に隠していた短刀を投げる。


ズッ……


 左の胸に命中。しかし、とどめは刺しきれていない。


「副長っ!」

「くっそ……ぐ」

「ふくっ、あっ」


 見れば脚から大量の血が流れていた。それを見た私は、自分の血の気が引いていくのを感じた。土方が死んでしまう。怖い、嫌だ、いなくならないで! そう叫びそうになるのを必死に堪えた。常世兄様ならどうする。落ち着け常葉、土方は死なない。心の中で言い聞かせながら自分の襷を取って土方の太腿を縛った。先ずは止血だ。できるだけきつく縛る。


(止血のツボを……どこだ、どこにある)


「嫌だ、嫌だー! 副長っ」

「テツ」

「副長!」

「お前、襷を取るやつがあるか。味方に斬られるぞ」

「だ、大丈夫です。それより、ここから退かなくては。副長、私の肩に掴まってくださっ……うっ」


 脚に力が入らない土方はとても重かった。


「置いていけ」

「はっ、何言ってるんですか! 置いていきませんよっ。副長が死んだら、私も死ぬんですから」

「お前はバカか……助けを呼んでくればいいだろう」


 周りを見渡したけれど、助けを呼ぶには城を降りるしかない。殆どが先程の大鳥の声で撤退していったからだ。誰かを連れて戻っても、土方が死んでいたらなんの意味もない。


「嫌です。私が離れた間に、誰かにヤラれるかもしれないじゃないですか!」

「おい、泣くな」

「泣いていません!」


 私は何とか土方を連れて身を隠せる場所に移動した。このままではいけないのは分かっている。でも、どうしたらいいのかが分からない。なんて役立たずなんだろう。土方の脚から流れる血は止まらない。目を閉じた土方の額からは大量の汗が流れる。痛みと戦っているのだと思う。


(常世兄様ならきっと止血もできるし、痛みを和らげる術を心得ている)


「どうして、どうして私には治癒の術さえ操れないのっ……ううっ」


 ただ溢れ出る血を手で押えることしか出来ない。


(お願い、止まって……止まって)


 泣いても何にもならない。分かっているのに涙は後から後から溢れてくる。だから女は役立たずなんだと、邪魔なんだと言われる。


「止まれ……止まれ」


 押えた指の間からも、どくどくと溢れる土方の血は驚くほど温かい。


「イヤっ、お願い。逝かないでっ」


 土方の呼吸がだんだん遅くなり、顔はどんどん白くなっていく。何もできない自分が憎い! 私は無意識に土方の体を抱きしめた。私の命と交換してもいい。だから、どうかこの男を生かして欲しい。強く、強く抱きしめた。まだ死んではいけない。やらなければならない事がたくさんあるから。お願い、逝かないで! 逝かないで!




『副長いませんか! 市村くん、いませんか――!』




 すると微かに男の声がした。誰かが確かに、私達を呼んでいる。私は土方をそっと寝かせ、崩れた城壁に跳び乗った。そこから見えたのは、土方が江戸に残してきた島田魁だ。


「島田さんっ 島田さんっ!」

「市村くん!」


 土方を助けられる! そう思った。

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