大越凛太朗【hopeful②】
大仲へ通してから、常備されている缶コーヒーと土浦の駄菓子屋から五十本入りの大袋で仕入れたんまい棒を出してやる。チーズ・明太・コンポタを揃えてあるが、いかにも性格の悪そうな女だし三番手のチーズ味で十分だろう。
「どうぞ」
適当な作り笑いを浮かべながら出してやると宮代の娘は如才なく頭を下げるだけだった。当然のように会話は無く、間をもたせる為に何となく点けた大型ディスプレイには先週のレース映像が延々と流れている。
そもそもちせの客なのだからちせが応対するべきなのだが、当の本人が夕飼の準備をやると言って聞かないのだから仕方がない。
対面に座ってんまい棒を咥えていたら、
「こういうもの、よく食べるんですか?」
お世辞にも友好的な感じでは無かったが、そこは気付かないふりをする。
「お嫌いでした?」
「いえ、食べた事が無いので」
なら今食ってみりゃ良いじゃねえか、と言ってやりたくなるが口に出す事はない。
「それは勿体ない、こういう安いお菓子も案外美味しいもんですよ」
トレセン随一のんまい棒愛好家である御大がこの場にいればこの女の命も露と消えていたのだろうが今日は月曜、御大は馴染みの将棋道場へ出勤中だ。性悪だけに悪運も強いのかも知れない。
「ウェイトコントロールで困りませんか?」
「んまい棒で?」
何言ってんだこの女。
「こうしたお菓子はほとんどが糖質だと伺っているので、身体作りには不必要なものかと」
栄養素の事まで口にし始めたので表情を窺うと、大真面目な表情でんまい棒のパッケージを睨んでいるようだった。これほど真剣にんまい棒を睨みつける人間を見る事はこれから先も無いのではないかという位に、チーズ味の銀色の包みと向き合っている。
「そうだとしても、一本二本でどうこうなるような生活はしていませんよ」
その表情に呆れながら続きを齧っていると、チラリと観察するような視線をよこしてから、意味深な物言いだった
「騎手にも色々な方がいらっしゃるんですね」
自分の所のお抱え騎手と比較して、俺を見下しているのかも知れない。
「総司は身長ある分減量がキツイだろうからな、そりゃ俺とは違うよ」
「鎬さんだけではありません」
「クリスはそもそも外人だからんまい棒に馴染みが無いだけだろ。あと、サブは食いますよ」
「我々が依頼している騎手という意味でもありません」
宮代の娘の奥歯にものが挟まったような言い方が癪に障り、徐々に返す言葉が荒くなっていた。ふとその事に気が付くと、もしかしたらこれをきっかけに宮代の権力でトレセンからんまい棒が排除されるのではないか。んまい棒を口にするような騎手は馬に乗る資格無しというお触れが出されてしまうのではないか。そうなればさっき食べている事を教えてしまったサブも失職だ。サブよすまない――などと下らない考えが浮かんでは消えていく。
宮代の娘は手にしていたんまい棒を机の上に置き、俺の瞳をまっすぐに見つめるようにしながら、淡々と語った。
「馬に乗る技術をより高め、馬に乗る為の身体を作り、常に現状よりも上を見て、生活の全てを馬中心に考える。私はそれこそがプロフェッショナルな騎手の姿だと思っています」
「宮代さんの基準は面白いな、騎手はんまい棒食ったらダメなのか」
「んまい棒はさておき……我々は騎手を見て騎乗を依頼する、それだけのことですよ」
クソ真面目な風にクソ真面目な事を言われて頭にきたので苛立ちを隠さずに茶化してやると、更にその上からクソ真面目に返された。
そうして宮代の娘は俺から視線を外すと、レース映像を流しているディスプレイに向く。
「東スポ杯の映像はありますか?」
この流れでそれを口にするということは、なるほど、天下の宮代グループを代表して俺の騎乗を添削してやろうという意図らしい。赤点落第を免れ得ない騎乗であった事は自覚しているが、こうまで言われては騎手として逃げ出す訳にもいかない。即座にリモコンを操作して映像を流す。
「細かい所まで言うつもりはありません、私達の馬ではありませんから」
「言いたきゃ言って構わないさ。プロだからな、素人に言われるのも仕事だよ」
「……そう、なら巻き戻して」
素人という言葉を敢えて強調してやったら案の定気に障ったらしい、珍しく取り乱した態度が見えたのでいい気味だと笑ってやった――のは束の間だった。
俺からリモコンをひったくった宮代の娘は一時停止を繰り返しながら問題点を次々と指摘していく。
「ここ、進路を変えるタイミングなんでしょうけど、腰が泳いで重心がブレてます。同じような所が他に二点ありましたけど、体幹が弱いとか以前に馬への配慮が足りません……ここも、不必要に鞭を持ち換えてますけど、馬上の動作は最小限に抑えるなんて新人でも知ってる基本でしょ、馬には不要なストレスです……あとはここ――」
道中の細かいミスを一つ一つ指摘され、それらは言われてみれば思い当たる箇所ばかりなのでぐうの音も出ない。
「総じて騎乗が雑です。馬が賢いから折り合いが付いてますけど、他の馬ならまず喧嘩になって競馬にならないでしょう」
ディスプレイの映像を第四コーナーで止めると、宮代の娘はそう言って俺を睨んだ。ヘタクソの三流騎手が馬の能力で勝っていい気になってるんじゃない。その目は確かにそう言っている。
俺は何も言い返す事が出来ずに唇を噛んだ。素人のイチャモンレベルであれば適当に笑って流すのだが、宮代の娘が指摘した内容はプロとして正しい意見だったのだ。
実際に指摘された内容は邦彦さんやクリス、それに総司といったリーディング上位勢であれば無論の事、それなり以上の技術を持つ騎手であれば当然のようにこなしている内容であり、それが出来ていないのは俺の未熟故だろう。
「概ねご指摘の通りだ、精進するよ」
それでも言われっぱなしではムカつく。手に握っていたんまい棒が袋の中で小さな音を立てて砂のように砕けていくのが解った。
「素人という評価は取り下げて頂けますね」
「そうだな、それなりに見る目はあるかもな」
精一杯の抵抗で吐き捨ててやると、淡々と指摘していく中で落ち着きを取り戻したのだろう、宮代の娘は勝ち誇るでも無く当然という風に続けた。
「私、嫌いなんです。貴方達のそういう驕りも、怠慢も」
抑揚は付けず、あくまでも淡々と、静かに心臓へ杭を打つように。マウントを取られた状態で聞く宮代の娘の言葉は痛かった。
「言いたい事、まだあるんだろ」
自分から催促したのは、厩舎人としてのせめてものプライドだったかも知れない。このまま無言でやり過ごそうとするよりはいっそボロクソに言われた方がまだマシだ。
そんな俺を見て、小さな息を吐いてから、宮代の娘は再生ボタンを押す。
ディスプレイには最後の直線が映し出されている。俺が左前を鞭で撫でるとレラがフォームを崩し、瞬間スタンドが悲鳴のようなどよめきに包まれた。
「これは、走法の矯正ですよね?」
見事に正解を言い当てられ、一瞬頭の中が空白になった。パッと見ただけであれば騎乗ミス、鞭の呼吸が合わなかったと受け止めるだろう場面を何故そう見る事が出来たのか、その尋常ではない分析力に恐ろしさすら覚える。
「いや……ただの騎乗ミスだよ。勢いを付けようとして呼吸が合わなかった」
意識して表情を変えずに答える。こうなってみるとボロクソに貶されていた事が却って有難かった。元から暗い表情だった分だけ余計な演技をする必要が無い。
ふとディスプレイの映像が止められ、宮代の娘はみたび俺を見た。
「距離延長を意識しての事か、それとも何か他の要因か、それは定かではありませんが、鞭を入れる前後でストライドとピッチが明らかに変わっている事は確認しています」
至極当然のように語る宮代の娘の姿に、彼女がこの映像を何十回も繰り返して検討したのだろう事にようやく気が付いた。
「……仮にそうだとしても、敵陣営のアンタに本当の事を答える義理は無い」
「まあ、そうですね。この質問は失礼でした」
もう少し食い下がられる事を想定していた立場としては拍子抜けするほどに、驚くほどあっさりと彼女は引き下がった。それでも、核心部分を知られないのならばそれに越した事はないだろう。
レラは全力で走れない――そんな情報は間違っても敵に知られてはいけない。
「この件で私が言いたかった事は二つだけです」
彼女はそんな風に続けた。
「一つは、必要な矯正だとしてもプロならばもっと丁寧にやるべきだという事」
これについては全く以てご尤もだ。先程までの指摘と同じくぐうの音も出ない程の正論であり、返事をする訳にはいかないが腹の中で肯定するしかない。
「もう一つは、貴方にはこのミスを馬主に説明する義務があるという事」
予想とは別方向の内容が出てきたので思わず表情を見返すと、彼女はこれまでのどんな表情よりも真剣に、目に力を込めて、俺のことを睨んでいた。
「貴方達みたいに馬を商売道具くらいにしか思ってない人間には理解出来ないでしょうけど、私達にとって、馬はそんなに簡単な存在じゃないの」
その言葉には明確な敵意が込められていた。出会ったばかりの人間に対して向けるにはあまりに根の深い感情が漏れ伝わってくる。
「そこまで言われる筋合いは無い」
敵意に触発されて引き出された言葉には余裕が無かった。視線もおよそ女性に向けて良いものではなくなっていただろう。
それなのに、彼女は動じる事無く言い返してくる。
「彼女、泣いてたのよ。重賞を勝った直後なのに、彼女は泣いていたの。他の馬主はともかく、あの子がこの馬のことで泣く理由くらい解るでしょう」
或いは、ハナから俺の事など相手にしていないのかも知れない。相手にしていないからこそ怖がる必要も無いのだ。
「次にまたこんな思いをさせるなら、彼女を説得してでも転厩させて乗り換わらせます。手配は私が全てやる、ウチの施設を使って貰っても構わない」
こうまでハッキリ宣言されると、その意思を疑う事はできなかった。実際に決めるのはちせであって目の前の女にそんな権利は無いのだが、それでも、もしこの女がその気になって誘えばちせはそれに従うだろうという確信めいた予感があった。
この女の提案はちせにとっても、きっとレラにとっても、損な事ではない。
「解らないな、そこまでしてやる義理なんて無いだろう」
「彼女は私の友達だから。それで不足なら、そうね、私が貴方達を信用していないから……とでも言っておきます」
そう言えば満足するんでしょとでも言いたげな、当てこするような物言いで、そこら辺の女と変わらない、幾分頭のワルそうな口調で、けれどもだからこそ今までで一番人間らしい、そんな彼女に怒る事は出来なかった。
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