第18話 ドクター前島 茂

出勤時に秘書のラムダから1億円の残高が記入された通帳を見せられた前島はかつて自分の全盛期の年収1億を超えていたのではあるがさらにこれが「月1億円」と聞いて驚いた。


「なんと、いきなり全盛期の年収の12倍か・・・」


午前中、前島はラムダを伴って国立ヒペリオン中央病院の見学に来ていた。


すべてが大理石で作られた荘厳な作りと緑が広がる公園のような中に建てられた病院にまず驚かされた。


「すごいもんやなぁ、全くどこにこんな金があるんや」

広い廊下を病院長に連れられて各設備を見て回る前島。


その建物だけでなく日本の病院と変わらない設備やそれ以上の最高技術を持って作られた医療器械にもう一度驚いた。


「これはドイツの最新式のMRIやなぁ。これはアメリカのクソ高い測定器や。高価すぎて日本でもあまりお目にかかる事はないな」


「そうですか。ドクター前島に褒めていただけて光栄です。私たちは国民の生命を守るために最高級の医療設備を備えております。さらにハード面だけでなくわが国の豊富な石油と天然ガスの資源を販売した利益によって国民のほとんどは医療費はゼロになっております」


「ドバイやサウジと同じやな。そうか・・・やっぱり油の出る国はやることが違うな」


「それと、医療に携わる人間たちの教育も国立ヒペリオン医科大学でしっかりやっていこうと思っております」


「そうやな、いくらすばらしい機械であってもそれを扱う医者の気持ち次第では100%の能力を発揮することはできないからな」


「はい、ドクター。日本には古来から『医は仁術』という言葉があると聞いております。これは医療に従事する人間はまずは人の心がなければいけないとわれわれは捉えていますがいかがですか?」


「そうやな、そう願いたいものやな」

と前島の顔が急に曇った。


「我々は医学生に技術取得の前に『ヒポクラテスの誓い』と日本の『医は仁術』という概念を必ず叩き込むようにしています」


「そうか・・・ええ心がけやな」


「しかしドクター前島、世界でも5本の指に入る脳外科医のあなたがなんでまた医学を辞めたのですか?」

彼女自身も医者であるラムダが興味深く前島に尋ねた。


「まあな・・・いろんなことがあったんや・・・」


前島は3年前のある事件を思い出していた。


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1993年、大阪市内 ムラサキ十字本社


「ちょっと、前島先生待ってください!困ります。そんなに慌てて一体どこへ行かれるんですか?」


「やかましい!販売部長を出せ、今すぐや!」


「ちょっと待って下さい、その部屋は社内の者しか入れない部外者立ち入り禁止区域です。」


社員が制止するその言葉にも構わずドアを蹴破るほどの勢いで開ける前島。


「オイお前ら!正気か?こんな加熱処理されていない輸入血剤を本当に患者に投与してるのか?大村部長、コラ、なんとか言え!」


「これはこれは、前島先生。どうしたんですか急に怒り出して?」


「質問に答えろ!」


「大丈夫ですよ先生。今のところ大きなトラブルの報告はないし、まあ言ってみればうちのドル箱ですわ。」

長身でメガネをかけた大村という部長がめんどうくさそうに答えた。


「なんやと?一体おまえたちは厚生省にはどないな報告をしとるんや?」


「まあまあ先生落ち着いて下さい。そんな大声出されなくても聞こえております。逆にその厚生省からは使用の許可が出てるんですよ」

激昂して向かってくる前島を両手で制止しながら大村が言う。


「なんやと?お前らはプロの薬屋やろが、そんなことして患者の将来を考えた事があるんか?もしもだ、エイズとかその他、今わかってない病気が輸血によって発病したらどないするんや!」


「ですからその可能性も含めて行政が使用許可したんですよ」


「大村部長、あんたの子供がその薬を打たれたことを考えてみい!国民はみんな厚生省と薬品会社を信頼してるんやぞ!これはもう会社ぐるみの殺人やぞ!わしの専門は脳外科や、いっぺんお前等の頭かち割って脳味噌の検査したるわ!」


「まあまあ、そんな目くじらたてるほどの問題じゃあないでしょう」


「こんだけ言うてもまだわからんのか?お前等、全員死ね!アホ!」


その後前島は独断で許可を与えた厚生省まで談判に赴いたが、結果は惨憺たるものであった。


臨床実験の結果、「発病の懸念なし」という事と都内の医科大学教授の「使用に際して安全」というお墨付きをもらっているから大丈夫との意見であった。


東京から帰りの新幹線の中、隣に母親と並んで座っている小さな子供を見ながら前島は思った。


「この国は終わりや、国民はなんも知らんと医者と薬屋と厚生省を信用してなんのことはない連中のええモルモットにされとる・・・あまりにも哀れや」

そっと隣の子供の頭をなでた。


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新大阪駅に着いた前島は芦屋の自宅には帰らずにそのまま西成行きの地下鉄に乗り込んだ。


その後加熱処理がなされていない輸入血剤を投与された多くの子供たちがエイズにかかってしまったことは多くの国民の知るところとなり大問題となった。


世界の名医といわれた前島は次の日からメスを持つことはなかった。

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