崩月のオルターイーゴ ~魔女の撃鉄~

宮間かんの

短編

sp1▽パイロット版(仮)

パイロット版とは:

 本編に入る前の短編で『大体こんな話ですよ』というお試しみたいな感じ。

 この作品、助走部分がちょっと長いので、お試し版でも入れときます。

/── 作者注釈 ──/





 週末の地方都市。


 終電が近づく深夜手前ともなれば、街は酔っ払いであふれかえる。

 休日前夜のサラリーマン達は、誰もがアルコールで顔を赤らめ、あちこちで調子外れの歌や笑い声を響かせ、日頃のストレスを発散していた。


 そんなにぎやかな川岸のさかからやや離れた、ビジネス街の一角。

 オフィスビルの屋上で、ネオンライトが華やかな巨大看板に隠れるように、夜空を見上げる小柄な人影があった。


 その小柄な人影は、オーバーサイズの青いウインドブレカーを着込んでいるため、外套コートのように全身がすっぽり包み込まれている。

 さらには、目深まぶかにフードまで被っている。


 まるで正体を隠そうとする、変装じみた格好かっこうだ。


 不意に、その人物の耳元で、プッ、と通信機が機械音を立てた。

 そして、ノイズ混じりの音声がイヤホンを通して聞こえてくる。


『こっちは準備オッケー。

 いつでも行けるわ』


 明るい女の声。

 次に、低く野太い男の声。


『俺も、今配置についた』


 再度、最初の女の声に切り替わる。


『アヤトは、まだ時間かかりそう?』


「ちっ、おい……っ」


 アヤトと呼ばれた小柄な人物は、周囲を見渡し、舌打ち。

 通信の応答の声を、低く小さくする。


「何度も言わせるな、名前は止めろ」


『あー、はいはい。

 じゃあ ── マスターの準備はまだかしら?』


「いや、今ちょうど『くも』を置き終わった」


 アヤトは、階下の夜景に目をやりながら、屋上の落下防止フェンスに近づいて、もたれかかる。


 すると、今度は野太い男の声が、耳元の通信機ごしにたずねてくる。


『雲ねえ……なんだ、雨でも降らすのか?』


「ああ、ちょっとな」


『あんまり派手はで真似まねはするなよ』


「まあ、相手次第だ」


 アヤトは、フェンスにもたれたまま、再度、空を見上げる。


 夜半の空に、美しい月がぼんやりと浮かぶ。

 『満月』だというのに、『欠けた』月。

 みにく傷跡きずあとさらす、なかばほど砕けた月が、雲の合間であわく輝いていた。



 ── 月が砕けて、四半世紀しはんせいきが過ぎた。

 今や九州の夜は、吸血鬼が闘争を続ける、修羅しゅらちまただった。





▲ ▽ ▲ ▽





 人気のないオフィスビルの、ライトの消された一室。

 小会議室らしき手狭な室内に、人影が二つっていた。


「んん……っ」


 うめきとも取れる押し殺した吐息と、かすかな衣擦きぬずれの音が響く。


「ダメ……もう、やめてっ」


 抱き合っていた人影の片方が離れ、呼吸を整えるように、小さな息を繰り返す。


 窓からの月明かりをけるように、数歩退しりぞいたのは若い女性。

 化粧っ気もなく、伸びた黒髪を後ろに一つ束ねただけの、地味な格好の女性事務員だった。


 もう一方は、威厳いげんがあると言えば聞こえは良いが、不機嫌なまま表情が固まったような中年男性。

 彼は、スーツのふところから取り出したタバコにライターで火をともすと、数度、紫煙しえんを吐いてから、暗い情念じょうねんもった声を出す。


杉坂すぎさかくん。

 呼び出した理由は……分かるな?」


 中年男は、先ほどの口づけの感触を反すうするように、自分のくちびるでる。

 対して、女性は小さく首を横に振った。


「課長、もうやめましょう。

 この間だって、『これで最後にする』っておっしゃったじゃないですか」


 彼女の、控えめな抵抗の言葉に、男は目を血走らせた。


「最後?

 最後だと?

 今さら、何を言っているっ」


「……お互い、少し距離を置いた方がいいと思います。

 課長の奥様だって、感づいてますよね?

 最近、様子がおかしいって……」


 杉坂という事務員の女性が、どこか言い訳のように付け加えた言葉に、男は激昂げっこうした。

 不倫ふりん相手から関係解消を求められた上司は、目と口の端をつり上げ、激しい剣幕で問い詰める。


「お前、この、自分から誘ってきたくせにっ

 次は、葛西かさいか?

 それとも、営業の甲斐かいか?

 だれに乗り換えるつもりだ、この尻軽め」


 上司のすごい剣幕に、女性は身を震わせ、思わず身を守るように片腕を上げる。

 だが、中年男性にその手首をつかまれ、壁際に押しつけるようにせまられた。


「いや……っ」


 女性事務員・杉坂は、眼を閉じて顔を背ける。

 しかし、中年男は構わず、相手のあごをつかみ、無理矢理に顔を寄せる。


「── はーい、ストップ」


 ガチャリとドアが開くと同時に、そんな声が割り込んだ。

 さらに、暗がりの小会議室に、ライトが点けられる。


「── なっ!?」


 部下らしき女性に迫っていたいかめしいサラリーマンは、まぶしさに目をしばたたかせながら、ドアを開けた闖入者ちんにゅうしゃを見て、思わず絶句。

 そして、どこか呆れたような声を上げる。


「…………なんだ、お前はっ?」


「ふふっ」


 問われた相手は、無言でルージュの鮮やかな唇をすぼめ、軽くウインク。


 ── それは、バニーガールだった。


 すらりと、長身の美女が、露出の多いセクシーな服装で、開いたドアにもたれかかっていた。

 黒髪に映える赤いウサギ耳状の飾り、肩なしレオタードのような赤いインナー、脚線をいろどる網タイツ。

 そんな水着同然の格好では、夏の夜とはいえ肌寒いのか、上に白いロングジャケットを羽織っている。


「……デリバリーの、風俗嬢ぉ?」


 地味な事務員・杉坂が、見るからに派手な格好の女を、どこか小馬鹿にするようにつぶやく。

 すると、隣の中年上司が得心とくしんしたように、ひとつうなづく。


「ふん、なるほど、な。

 だったら相手を間違えているぞ。

 お前の配達先は、ここじゃない。

 立て込んでいるんだ、さっさと出て行け」


 犬でも追い払うような手振りを受けて、バニーガールの美女が酷薄こくはくに笑う。


「だから、ダメだってばっ」


 そう告げると同時に、半身はんみでドア際に立って彼女の身が、ひるがえった。


 ── ドンっ!、と窓際に何かがぶつかり、ビィィン……ッ、と震える。


 不倫男女の間を引き裂くように、長い棒が投げつけられていた。


「な、な、な…………っ!」


 中年男性は、口をパクパクと鯉のように開閉しながら、真横を通り過ぎた棒を、視線で追う。

 そして、棒の先端に手の平くらいの刃物が付いてるのを見て、驚愕きょうがくの声を上げた。


「── う、うあぁっ!?」


 すっとんきょうな叫びで座り込む男に、黒髪の美人バニーガールが微苦笑を向ける。


「オジさん気づいてないけど、もう貧血の一歩手前よ。

 それ以上『吸われたら』、完全にバカになっちゃうわよ?」


「す、吸われる……?

 それは一体、何のこと ── うぅっ!

 あぁ……ぁっ!?」


 中年男性は、血の気の引いた顔で呆然としていたが、不意の頭痛に米神こめかみを抑えてうめき始める。


「── チぃ……っ」


 忌々いまいましそうな舌打ちは、事務員の女性。

 彼女は、気弱で地味な仮面をかなぐり捨てるように、目尻をつり上げる。

 そして、バニーガールを警戒するように距離を取り、小会議室の中央へ移動する。


 黒髪の美人バニーガールは、窓際に歩み寄り、刃の付いた長棒 ── 白いやりを引き抜く。

 そして、頭痛に苦しむ男性上司と、猫のように背を丸めて警戒する女性事務員を交互に見て、小さくため息。


「なるほど、確かに。

 男って女に言い寄られると、わきが甘くなる生き物なのね……。

 ……うちのマスターだけかと思ってたわ」


 バニーガールは、そんな独り言の後、白柄の槍を担いで女事務員へ歩み寄る。

 すると、女事務員は警戒するように後退して、人が変わったような低い声でうなる。


「何だ、キサマ?」


 女事務員は、タイトスカートとハイヒールという動きにくい格好にもかかわらず、後方への一足飛いっそくとびで小会議室のテーブルに飛び乗った。

 常人離れした、野生の獣のような驚異の身体能力だ。

 さらに彼女は、尋常じんじょうではない事に、その瞳を血のような赤色に染め、強烈な眼光を向けてくる。


「ヒトの狩り場を横取りするつもりか?」


 シャ~~ッ、と蛇のようにのどを鳴らす。

 すると、大きく開いた口の、上の八重歯が長く伸び、肉食獣の牙のように変化した。

 さらに、彼女が中腰で構える右手は、五爪が血の色に染まり、ナイフのように鋭く伸びた。


「── な、なんだ、これは……。

 彼女は、一体……どうなっているんだ?

 俺は、幻覚でも、見ているのか……?」


 頭痛にさいなまれる中年上司は、不倫相手の人間離れした豹変ひょうへんぶりに、夢うつつを疑う声。


 黒髪のバニーガールは、目線だけで振り返り、端的に説明する。


「まあ単純に、吸血鬼に『かされていた』だけよ」


「きゅ、吸血鬼……っ!?」


 言葉を失う男の様子に、長髪のバニーガールは面白がるように、フフッ、と笑う。


 すると、小会議室のテーブルの上で中腰に構える女が、忌々いまいましいと目尻と口元をつり上げた。


「キサマも吸血鬼だろうが!

 人間エサ肩入かたいれするつもりかっ!?」


「ごめんなさい、わたし混血種ハーフだから。

 吸血鬼の常識とかルールとか、そういうの、わからないのよね」


 バニーガールは小さく笑ってそう答えると、身の丈ほどの槍を両手で構える。

 そして彼女は、喉元のどもとのインカムにささやくように合言葉キーワードを告げる。


外装駆動Jドライブ強化装甲形態アーマー・モード……」


 すると、彼女が羽織っていた白いロングジャケットがうごめき、全身に巻き付き、引き絞るようにシルエットを変形させる。

 エナメル質で、ぴっちりとボディラインを強調するそれは、SM皮衣装ボンテージ・スーツのようでもある。


「……変身した?

 なんだキサマ、子供番組のヒーロー気取りか?」


 怪訝けげんそうな女子事務員の言葉に、SM皮衣装ボンテージ・スーツに姿を変えたバニーガールが、楽しげに笑って答える。


「アハハッ、ヒーローですって?

 ハズレどころか真逆だわ。

 わたしは『魔女』 ── 悪魔の娘にして、地獄の王の従僕じゅうぼくよ?」


「地獄、ねえ……。

 こんな小日本シャオリーベンなんて、生温なまぬるいい国の連中が?

 甘っちょろいヤツばかりの、ノホホンと生きてる盆暗ぼんくらが?

 何がジゴクだ、笑わせるなっ」


 事務服の女は、眉をひそめ口元を片方つり上げ、不愉快そうにせせら笑う。

 魔女と名乗った女は、たたみかけるように挑発する。


「そんなに心配しなくても、大丈夫よ?

 貴女もすぐに味わえるから。

 生き地獄って物が」


「── ふざけるなぁっ!」


 事務員の女は、怒りの声と共に、小会議室のテーブルを蹴って飛び出す。

 肉食獣が襲いかかるようなジャンプと共に、ナイフの如き右手の五爪が空を裂く。


「甘いわっ」


 対して、白いSM皮衣装ボンテージ・スーツの魔女は、それ以上の驚異的な身体能力を見せつけた。

 4メートル近い小会議室の上端まで飛び上がり、天井のコンクリートを蹴って勢いを増し、鋭い斜め降下攻撃を行う。


 深夜のオフィスで、超常の力を持つ女二人が、十字に交錯した。


 ── 勝ったのは、白ボンテージの魔女。


「くぅ……あぁ……っ」


 女吸血鬼の、事務服に包まれた右腕のひじから先が切断され、空中を回転する。

 断面から、ドバァドバァ、と脈打つように鮮血がき出した。


「── ひ、ひぃ……っ」


 中年上司が、情けない声を上げた。

 不倫相手の右腕が飛んできて、丁度、座り込んだ大股開おおまたびらきの間に転がりこんだのだ。


「くぅ……っ」


 敗者の女性事務員は、切り飛ばされた右腕を押さえる。

 出血を止めるために、右手のひじの上を左手で強く握りしめると、苦痛に耐えるような震える声を絞り出す。


「狩り場あらしめ、覚えていろ……っ」


 杉坂という女性吸血鬼は、上司の元に駆け寄り、そのまたの間に落ちた右腕を回収する。

 切り落とされた腕のブラウスそでを口にくわえて、そのまま部屋から飛び出ていく様は、まるで子猫を口に下げて逃げる母猫のような姿だ。


「……ゆ、ユメだ……こんな事、ユメに違いない……

 ……決算前で残業続きだったから……きっと居眠りしてしまって……

 ……そうだ、きっと……そうに違いない……」


 中年上司は、大股開おおまたびらきで座り込んだまま、ブツブツとつぶやいている。

 目の前で起こった事がショッキング過ぎて、現実とは受け入れられなかったようだ。


 その間に、黒髪の魔女がまとう、白いSM皮装束ボンテージ・スーツのようなエナメル布地がゆるみ、ロングジャケットへと戻る。

 再びバニーガールの格好に戻った魔女は、その男の前に立つと、営業スマイルのような作り笑顔を浮かべる。


「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど?」


「な、なんだ……っ

 お、俺を殺しても、何の得にもならないぞっ

 給料もボーナスもほとんど妻に握られているんだ!

 貯金なんて、家と車のローンと、子供の大学費用で、ほとんど残ってない……っ」


「いやいや、そういう事じゃなくてね?」


 バニーガールは、彼と視線を合わせるように中腰になると、猫撫ねこなで声でたずねる。


「オジさんに、参考に聞きたいだけなんだけど。

 ── 人間同士と、吸血鬼相手、両方経験したんでしょ?

 つまりね、奥さんとさっきの女、どっちとのSEXの方がよかった?」


「── はぁ……!?」


 突飛で予想外の質問に、中年男が大口を開いて、目をぱちくりさせる。


 そんな彼女の耳元に、ノイズ混じりの呆れ声が響く。


『なんて事を聞いてんだ、お前は……っ』


「えー、だって、気になるじゃない?」


 バニーガールは、あさっての方向を向いて、通信相手に答えた。





▲ ▽ ▲ ▽





 ── ガンガンガンガンッ、と薄暗い廊下にハイヒールが折れそうな、激しい足音が響き渡る。


「クソクソクソぉ……っ!」


 先ほどまで、杉坂という人畜無害の地味な女性事務員を演じていた女吸血鬼は、くぐもった声で悪態をつく。


「ようやく見つけた狩り場だったのに……っ

 まだ味わっていない生血エサがたくさんあったのに……っ」


 女吸血鬼は、切り落とされた自分の腕を口にくわえたまま、未練みれんなげき。


 彼女は、コンクリート壁面を蹴って力尽ちからづくで方向転換しながらオフィスビルを走り抜け、勢いよくエレベーター乗り場に駆け込んだ。

 操作パネルに飛びつき、無事な左手で、『上昇』『下降』のボタンをせわしく連打する。


「チぃ……っ

 全然うごかない、どうなっているんだ……っ」


 女吸血鬼は、3機あるエレベーターの操作パネルと、階層表示を何度も確認する。


 いくつもの会社が入っている貸しオフィスのビルとはいえ、今日は週末前で、しかも深夜の時間帯だ。

 昼間に比べれば、ほとんど利用者がないはずなのに、いつまでもエレベーターがやって来ない。

 それどころか、どの表示も、同じ階から動いていない。


「こんな夜中に、メンテナンスしているのか……?

 チぃッ、チぃッ、真面目すぎるだろ小日本シャオリーペン……っ」


 焦れた女吸血鬼は、エレベーター隣の防火扉を開き、非常口を兼ねている階段を覗き込む。


 わずかに迷って、下り階段に一歩足を踏み出す。

 すると、ぞくり、と悪寒が走った。


 ── コツ……コツ……コツ……と、階下から響いてくる、かすかな足音に、異様な圧迫感を感じたのだ。


「まさか……あの女の仲間か……?」


 女吸血鬼は、すぐさまきびすを返すと、一転して上階へと駆け上がる。

 最上階の非常ドアを開けた先は、落下防止の金網フェンスが張られた、コンクリート張りの屋上。


「── はぁ、はぁ、はぁ……ふぅ……」


 事務員の女は、吸血鬼に生まれ変わって、久しくなかった呼吸の乱れを整えながら、屋上を見渡す。

 街明かりでかすむ夜空の下に、林立するビルが墓石のように並んでいる。


(……さて、どうやって脱出するか……)


 そう考える彼女に、新手の声がかかった。


「── よう、遅かったな吸血鬼?」


 声の主は、右手のフェンス際に立っていた。

 青い長衣を着てフードを被った、小柄な人物が、待ち構えていたとばかりに両手を開く。


 女吸血鬼は、新たな追っ手に舌打ちし、犬のように鼻を鳴らした。


「── チぃ……っ

 ……このにおい、ただの人間ではない……この血に香る、かすかな異臭……。

 キサマ、異能者いのうしゃか?」


「さすが、鼻がきくな」


 相手の賞賛しょうさんの言葉に、女吸血鬼は冷笑を返す。

 彼女は、口にくわえていた切断された右手を、左手で持ち直して、改めて口を開いた。


「ふん、異能者いのうしゃの血はマズいからな。

 誰だって、一度でも口にすれば、その匂いを忘れない。

 あんな物 ── ドロ水でもすすった方が、よほどマシだっ」


 女吸血鬼は、言葉のなかばで味を思い出したのか、ペッ、とつばを吐き捨てる。


「おい、言われてるぞ?」


 青い長衣の男が、あさっての方を向いて告げる。


「何の話だ……?」


「いや、こっちの話。

 気にするな」


 女吸血鬼が怪訝の表情をするが、相手は小さく肩をすくめる。


「── で?

 その臭虫カメムシ野郎が何のつもりだ?」


「『ちょっと捕まえてくれ』って、知り合いに頼まれたんだよ。

 目障めざわりだったんだろ、お前が」


「ふん、異能者いのうしゃごときの分際で、大口おおぐちたたく。

 もしも、そのクサくてマズい血に、吸血鬼がひるむとでも思っているなら大間違いだぞ?」


 女吸血鬼はそう言いながら、切断された右腕の断面をめ回し、傷口同士をくっつける。

 数秒とせずに、槍の傷跡きずあとが消え去り、指先すら動き始めた。


「もし、キサマがさっきの女の仲間だというなら……」


「大人しく降参してくれるか?」


 女吸血鬼は、牙をむき出しにする満面の笑顔で、答える。


「── ハハッ、バカかお前ェ?

 腹いせに、なぶり殺しだ!」


 再び、女吸血鬼の爪が血色に染まり、ナイフのように鋭く伸びた。





▲ ▽ ▲ ▽





 交渉が不発に終わり、小柄の男はため息を一つ。

 季節外れに着込んだ長衣のポケットから両手を出し、小さく肩をすくめる。


「何でも安請合やすうけあいするもんじゃねえな。

 ザコ1匹捕まえるのに、どれだけ手間がかかるんだか……」


 青い長衣の異能者は、ぶつくさ言いながら、もたれかかっていた金網フェンスから身を起こした。


 女吸血鬼は、眉を寄せて、怒りの声を上げた。


「誰がザコだ!?

 ── シャァァ~~ッ!!」


 まるで毒蛇のような声をあげ、女吸血鬼が野獣のような敏捷性びんしょうせいで間合いを詰める。


 ── ガシャンッ、と鳴った。


 吸血鬼の凶爪を、寸前で受け止めたのは、くさりをいくつも交差させて作られた、鉄製の防御網。


 青いウインドブレカーの小柄な男、小田原おだわら アヤト。

 『鉄鎖てっさの魔術師』の異名を持つ ── 文字通りの、鉄の鎖使くさりつかいだ。


 しかし、その防御網に攻撃を止められた女吸血鬼は、余裕の笑みを浮かべる。


「なるほどなっ

 下等な異能者の分際で、吸血鬼の私を前に、ふてぶてしい態度。

 よほど胆力のある奴と思えば、コレのせいか?」


 女吸血鬼は、目の前に張られた防御網の鉄製環リングを血色の爪刃でつつき、せせら笑う。


「だ・か・らァ?

 鉄製のくさりだから、鉄使いだから、鉄壁てっぺきの防御とでも言いたいのか?

 バカめ、この私を、そこいらの低能な連中と一緒にするな」


 女吸血鬼は、見せつけるように左手を持ち上げ、その5指からも赤爪の刃を生やした。

 そして両手の合計10爪を、鎖で形成された編み目に突き込むと、両手でこじ開けるように左右に引く。


 ── キィッ、キィッ! と甲高い音と共に、鉄の防御網が簡単に断裂された。

 女吸血鬼は、これ見よがしに、コンクリート上に落ちた鎖の破片や、リングの欠片を、ハイヒールのつま先で蹴り払う。


「ククク…っ、これが不死身の吸血鬼、それが夜の世界の支配者、その真の力。

 それを『こんな物』ひとつで、本当におさえつけられると思ったのか?」


 女吸血鬼は、べろり、と猫のように爪刃をめて、あやしく微笑ほほおえむ。


「この私に『雑魚ザコ』などと、ふざけた口をきいた事を後悔させてやろう!」


 一歩一歩、ゆっくりと距離をつめる女吸血鬼の声は、怒りと嗜虐しぎゃくにじませる。


 しかし、防御を破られた男は、泰然とした態度を崩さない。


「『こんな物』ひとつやぶったくらいで、そんなに得意になられてもなあ……」


 アヤトが微苦笑びくしょうしながら片手を上げ、もう一枚、防御網を作り出す。

 青いウインドブレーカーのそでから、数条すうじょうの鎖が飛び出し、からみ合って、人の背丈くらいの蜘蛛くもの巣のような防御ネットを組み上がる。


「『能者のうしゃが、無駄な足掻あがきを……っ」


「いや、人間むのうしゃじゃなく異能者いのうしゃだよ、俺は」


「そんな、やせ我慢がまんも今の内だ。

 ひざまづき、みっともなく命いをさせてやる……!」


 女吸血鬼は、左右の爪を順に振り回し、2枚目の鎖のネットを薄布のように引き裂いた。

 そして、邪悪に笑い、高らかに叫ぶ。


「それとも、あの女 ── 魔女とか言った奴を待っているのか?

 なるほど、時間稼ぎが目的か……フフフッ

 なら、その前に、この『赤爪チーチャオ』で切り刻んでやろうっ」


「…………」


 その間に、アヤトは左に3歩素早く後退し、同時に再度、防御網を産み出す。

 すると女吸血鬼は、両手の赤い爪を何度も走らせ、鎖の防御網を細切れにする。


 ── 魔術師は無言で後退しつつ、次々と鉄鎖で防御網を生み出す。

 ── その防御を次々と赤爪で切り裂き、喜悦きえつの表情で追い詰める女吸血鬼。

 そんな、単調な攻防が何度か繰り返される。


臭虫カメムシ野郎め。クサい血を垂れ流して、虫みたいにもがくがいい」

「…………」

「このワタシは、最上位の<血統主ルート>に次ぐ<上位眷属じょういけんぞく>、セカンドだぞ?」

「…………」

「それを、異能者ごとき下賤げせんの分際で、高貴な吸血鬼に逆らったんだ。

 相応そうおうばつをくれてやろう」

「…………」

「おのれの愚かさを後悔しながら死ね」


 ── 鎖の防御網が、5・6回切り裂かれた頃か。

 青い魔術師・アヤトが後退すると、ガシャンッ、と屋上端のフェンスにぶつかる。


「…………」


「フフフッ

 さあ、終わりですよ、異能者のお客様ァ?

 あの下品な格好かっこうの、売春婦ビッチなお連れ様がいらっしゃる前に、ご用件を済ませましょうか」


 女吸血鬼は、急に思い出したかのように、事務員らしい慇懃いんぎんな言葉使いをして、スカートの前に手を組み、ゆっくりと45度に頭を下げる。


「本日は、おしいただきまことにありがとうございます。

 わたくし杉坂すぎさかが、お客様の地獄行きのお相手をさせていただきます。

 現世げんせ最期さいごの苦痛と恐怖を、息絶いきたえる瞬間まで存分ぞんぶんにご堪能たんのうください。

 また、来世でのご健勝けんしょうとご活躍かつやくを、スタッフ一同、心よりお祈り申し上げます」


 ビジネスマナー通りのお辞儀じぎを終えると、右手の爪をさらに長く、地面に着くほどに伸ばす。

 女吸血鬼が、ハイヒールを鳴らして一歩進み出ると、ガリガリッ、と5爪の先がコンクリートの床面を削り、5本ならんだ傷が刻まれる。


「……なあ、ところで ── 」


 青い魔術師がようやく口を開くと、女吸血鬼は、くくっ、とのどを鳴らす。


「なんだ、今さら命乞いのちごいか?」


 彼は、そんな侮蔑ぶべつの声には応じず、フェンスにもたれかかったまま、天をあおぎ、夜空を見上げて問いかける。


「── なんで、屋上に引っ張り出したと思った?」


「ん……?」


「だから、屋上なんて『フェンス越えたらすぐに外に逃げられる』だろ。

 それなのに、なんでわざわざ屋上へ誘導したと思う?」


「── え……?」


 女吸血鬼は、思わずの声をらし、改めて相手を見つめる。

 すると、青い魔術師は見上げている方向を ── すなわち、天を指差した。

 女吸血鬼が、それにられて上空を見上げる。


「な、なんだ……?」


 吸血鬼の人外の視力が、人間にはまだ視認しにんできない程の、はるか上空に焦点しょうてんを結ぶ。

 市街地の人工光が届かないほどの高度、うっすら星のみえる薄闇の空の上に、月や星とは違う別種の輝きを見つけたのだ。


「な、なァ、アァ ──」


 それは、徐々に大きくふくらんで ── いや、違う、こちらに向かって落ちてきている。

 鈍色の巨大な塊 ── まるで隕石のようなとんでもない物が、こちらに迫ってきている。


「── なんだアレはア、アイヤ~……っ!?」


 女吸血鬼は、度肝どぎもを抜かれ、震える声を上げる。


 その様子に、青い魔術師は、悪戯いたずらに成功した子供のような、意地悪いじわるな笑みを浮かべる。


「わざわざわなを張った場所に来てくれたんだ。

 感謝・感激・雨・あられ。

 くす玉とか宴会用爆竹包パーティ・クラッカーの代わりに、鎖のゲリラ豪雨を用意してみたんだが」


「ふぅ、ふっ、ふざけるなぁっ」


 アヤトが茶化ちゃかすように言うと、女吸血鬼は呂律ろれつのあやしい怒声を上げながら一目散いちもくさんに逃げ出した。


 彼女は慌てて昇降口へ駆け寄り、いつの間にか締め切られたドアにしがみつく。

 カギのかかっているそれを、ガチャガチャと、人間離れした力で押したり、引いたりするが、鋼鉄製のドアは簡単にやぶれない。


「クソクソクソぉ……っ!」


 女吸血鬼が、再度上空を見上げる。


 ── 落下してきている、無数の鎖の塊。

 夜気をうならせ、くだりゅうのようにくねりながら、下降してくる無数の鈍色の一群いちぐん

 夜半といっても、そろそろ人間の視力でとらえられる距離まで迫っていた。


 加速度的にふくれ上がる様子から推測すると、この屋上の空間が埋まる量だ。


「くぅっ

 『死なば諸共もろとも』という事か!?

 『神風玉砕バンザイアタック』大好きすぎだろ小日本シャオリーベン!!

 あんなチビと心中なんて冗談じゃないっ」


 事務服の女は、そう叫び、思い出したように『赤爪』を振るう。


 ── ギャギャギャッ、と金切り音が連続し、真鍮製しんちゅうせいのロック機構周辺の鋼鉄板が、三角に切り抜かれる。


 女吸血鬼は、ドアを引っ張り、昇降口へと駆け込んだ。





▲ ▽ ▲ ▽





「── フハハっ

 そんなに死にたいなら、ひとりで勝手に死ね臭虫カメムシっ」


 女吸血鬼は昇降口から振り返ると、フェンスにもたれかかった青い長衣の魔術師へ吐き捨てる。


 そして、階下へ退避たいひしようとして ──


 ── カツンッ、という足音ひとつに、ピタリと硬直こうちょくする。

 石になったように動きを止め、しかし顔中に滝のような汗をかきながら、階段を上ってきたばかりの、巨大な気配の主に目を向ける。


「……あ……あぁ……あぁ……っ」


 女吸血鬼は、まるで陸上に打ち上げられた魚のように、パクパクと口を開閉し、うめくように絶望の声をらす。


 その『相手』が彼女と同族だから ── 吸血鬼同士だから理解できた。


 先ほど『混血児ハーフ』だの『魔女』だの、うそぶいたバニー姿の女以上の圧迫感。

 それは、見た目が屈強だからという、そんな単純な話ではない。

 たくましい男肌から立ち上る、濃厚で、強烈な『血』の香り。


 その血の、古さ。

 その血の、濃さ。

 その血の、芳醇ほうじゅんさ。

 少なくとも、10年以上の鬼籍歴キャリアだ。


 鬼籍数年の自分の『血』とは成熟度が違いすぎる。

 格の違いが歴然れきぜんとしすぎている。


 ── ザッ、とその男が、足を踏みならして階段の最後の一段を上りきる。


「ふん……タイミングが良いのか、悪いのか」


 低い声のぼやきと共に、巨漢が一歩前に出る。

 それだけで、筋肉の壁が立ち塞がった、と錯覚するほどだ。


 女吸血鬼は、呆然とした声を漏らし、気圧されるように一歩後退する。


「あ……うぅ……ぁっ」


 さらに言えば、彼女の吸血鬼の ── 『血を吸う鬼』としての ── 特殊な知覚が、その男のゆっくりとして力強い鼓動こどうと共に循環じゅんかんする血と、それに秘められた魔力の強大さを察知さっちした。


 例えるなら、深山の渓谷けいこくけずるように、岩肌にぶつかり飛沫しぶきを散らす、大河たいがあらぶる源流。

 まるで、激しく水の流れを断崖だんがいの上からのぞき込む時にた、内臓がしぼむような心地だ。


(── 『こんなの』、勝てるわけがない……っ)


 女吸血鬼にできるのは、声を殺してなげき、蛇に出くわした子ネズミのように震える事だけ。


 女吸血鬼の前に立った相手は、見上げる大岩のような、鍛え抜かれた大男。

 不似合ふにあいに、寺の僧侶のような格好をした、禿頭とくとう巨漢きょかん

 きれいにり上げた頭に、稲妻のような古傷が走り、右のまゆを貫いている。


 彼は、どこか苛立いらだたしげに、独り言をもらす。


「全く、アイツめ……最近さらに雑になってないか」


 ── ふと、サングラス越しに瞳があった。

 女吸血鬼は、おびえの感情が暴発し、衝動的しょうどうてきに攻撃をり出していた。


「ひィ~~~いぃっっっ!?」


「── っ!」


 野太い声が、鋭く応える。

 女吸血鬼は、何をされたかも分からない。


「ガハぁ……っ」


 ただ、腹部に衝撃と、自分がバッティングされた野球ボールのように軽々と吹っ飛ばされている事から、何かしらの攻撃を受けたと推測するしかない。


 そうして、屋上へ押し戻され、コンクリート床の上に背中から叩き付けられる。


「── あ…ぁっ

 ……ぅ、ぁあ……っ」


 腹部と背中のすさまじい痛みにもだえ、涙にうるむ赤瞳で天をあおぎ見れば、そこには夜空と ── あと数十メートルにまで迫った鈍色の落下物。


 そこに、呑気な声がかかる。


「おっ、お帰り。

 仕掛けた罠がムダにならずにすんだな。

 ── 『流鎖りゅうさ変節へんせつ大瀑布だいばくふ』って言ってな、結構手間がかかるんだ、コレ」


 青い魔術師が、フェンスにもたれかかったままの体勢で、ぼやいていた。


 彼の言う術名の通り、天空から迫る『大瀑布だいばくふ』 ── 巨大な滝壺たきつぼに吸い込まれる落下水流を思わせる、鎖の大量落下。


 先ほどの痛撃で身動きを封じられた女吸血鬼は、視界を埋めつくす鈍色にびいろの群れを、呆然と見上げるしかない。


「ひぃぃいぃ……!」


 思わず上げた悲鳴すら、その後の轟音ごうおんりつぶす。


 ── ドシャァン!、と落雷じみた大音響と衝撃。


 夜のオフィスビルに、局地きょくち的な地震のような縦揺たてゆれが響く。

 屋上を埋めつくすように、無数の鎖が濁流だくりゅうのようにあふれかえった。





▲ ▽ ▲ ▽





 巨漢きょかん僧侶そうりょは、夜気やきを大きく吸い込んで、ため息を一つ。


「── ったく。

 今日はまためが甘いぞ、お前。

 嬢ちゃん達と仲いいのは良い事だが、代わりに惚気のろけすぎで腕が鈍ったんじゃねのえか?」


 野太い男の、重く低い声が、夏の闇夜に響く。


 場所は、先ほどのオフィスビルの屋上だ。

 そこを埋めつくしたくさり大瀑布だいばくふが片付き、何事もなかったような様子の場所で、3人が立ち話をしていた。


「かもな。

 最近はヒトの面倒みるのがいそがしい。

 それで、自分の事がおろそかになっていると言われれば、まあ間違いないな」


 他人事ひとごとのように答えたのは、青い長衣の魔術師・小田原アヤト。


「おいおい、頼むぜ。

 『金』とは言え、3歳鬼さいき程度の<上位眷属セカンド>だぞ」


 巨漢は、背負っていたくさりかたまりを引き上げらす。

 人間大で鎖のぐるぐる巻きになった、ミノムシかミイラかというそれは、先ほどまで追い回してた女吸血鬼だった。


 そう言われて、小柄な魔術師は、皮肉そうに片眉かたまゆと口元をゆがめる。


「『この程度』にあっさり逃げられた、とか良い笑い物だな?」


「アホか、笑えねえよ。

 最初に『遊びは無し』って言ったろうが。

 上層部うえから任された、こっちの立場も考えろよ」


「『事情は聞くな』とか言って、いきなり引っ張ってきたくせに、何言ってやがる」


「じゃあ説明してやる。

 だが、相当そうとうに長い上に、表の政治だの、裏社会のパワーバランスだの、色々込み入ってて、かなり面倒臭い話だぞ?」


 ── それでも聞くか?

 そう巨漢きょかん僧侶そうりょ意地悪いじわるげな表情で確認すると、あんじょう、小柄な魔術師はうんざりした表情で首を横に振る。


「そんなややこしい話、俺の頭脳おつむで理解できる訳ねえだろ。

 大学受験の勉強が、数学Bでつまづいてるくらいなのに」


 なお、数学Bは高校2年生の科目で、数列・ベクトル・確率分布あたりである。


「まあ、結局はそういう訳だ。

 『うちの総大将そうだいしょう』が事を進めるのに必要な、パズルのピースだ」


「社長さんの切れ者っぷりも、相変わらずか。

 お前も、色々付き合わされて、大変だなぁ……」


「まあ、な。

 だが、下駄げたあずけた以上、いて行ける所まではいていくさ」


 男二人がそんな軽口かるくちわしていると、残りの一人、バニーガール姿の女性が、くさりのミイラを指でつつきらしながら、巨漢きょかんたずねた。


「でも、この子。

 途中まで、真剣にウチのマスターに勝てると思ってたのよね?

 『わたし達』からすれば、ちょっと冗談みたいな感じなんだけど……」


 巨漢の僧侶はサングラスした顔を、ちらり、と小柄な魔術師に向けて、苦笑。


「まあ、魔術師という名がむなしくなるくらいに、『脳筋のうきん権化ごんげ』みたいなヤツと、最後まで真っ向から殴り合ってたからな。

 多分、『このままの調子なら十分勝てる』とか思ったんだろうな……」


 すると、バニーガール姿の女は、深々とため息をつき、眉をひそめる。


「……普通、手加減されてるとか考えないのかしら?」


 巨漢の僧侶は、皮肉そうに口の端を持ち上げ、答える。


「俺も『最近の若い連中』みたいな年寄りっぽい言い方したくないが、ここしばらくは騒動が少なくなったせいで、危機感がないヤツ増えたからな。

 こんな『化け物』と ── 戦闘型の<血統主ルート>ですら鼻歌交じりにねじ伏せるような埒外らちがいの異能者と ── 衝突するカチあうなんて考えもしなかったんだろう。

 …………まあ、『自分の影を追いかけてる子猫』でも見てる気分だったが……」


「ネコみたいな爪してたしね。

 脳ミソもネコ並だったのね?」


「そこまで言わんが。

 嬢ちゃんも手厳てきびしいなあ……」


 僧侶そうりょが苦笑すると、バニーガール姿の女は、ピンッ、と人差し指を突きつけ、強い声で訂正する。


「『嬢ちゃん』じゃなくて、『紅葉もみじ』よ!」


 巨漢の僧侶は、面食らったような表情の後、少し笑って謝罪する。


「ああ……悪い悪い。

 そうだな、『紅葉もみじ』さん、だったな……っ」


 彼は、自分の古傷の走る禿頭とくとうを、ピシャリッ、と無骨で巨大な手で叩き、話を続ける。


「しかし、まあ、鉄の特徴とくちょうと言われれば、普通はその強度だ。

 だったら、『鉄使い』は防御が取り柄と思うもんさ。

 ── 普通は。

 『程々ほどほどに重いし、簡単に手に入る』とかいう理由で使うとは、まあ思わんよな。

 ── 普通は。

 さらに、『比重が水の約8倍で、かさばらなくて良い』とかうそぶくヤツがいるとは思わんだろう。

 ── 普通は」


 巨漢の台詞は、呆れ混じりの声だった。

 それを受けて、女はもう一人の男にたずねる。


「ちなみにマスター。

 今日の決定打フィニッシュって、どのくらいだったの?」


 紅葉もみじと名乗った、バニーガール姿の女は、青い魔術師の後ろに回って抱きつく。


 小柄な青年は、長身美女との身長差で、後頭部を豊胸の間に埋めるような形になる。

 彼は、幸せな感触に一瞬は鼻の下を伸ばしたが、すぐに『マズい事を聞かれた』と視線を虚空こくうに飛ばし、そっけない声で答える。


「いや、今日はゼンゼン。

 えっと……10トンくらい?

 ちょっとした観光バスくらい、かな?」


 アヤトは、半疑問形を駆使して誤魔化そうとした。

 しかし、禿頭とくとうの巨漢は深々とため息をつくと、サングラス越しに険しい眼を向けてくる。


「嘘つけ。

 あんだけ加減しろって言ったのに、またやりやがったな、お前!

 ちょっと立ってられないくらい、縦揺たてゆれしたぞ。

 このビルが倒れてねえのが、不思議なくらいだ。

 大体、20メートル四方しほうあるようなビルの屋上が、高さ2メートル近く埋まったじゃねえか。

 これが例え水だったとしても、ゆうに800トンえてるぞ。

 何が『観光バスくらい』だ。

 ジャンボジェットでもそんなにいかねえぞ。

 今日ばかりは、日本の耐震設計を見直したわ」


 まさに巨漢きょかんらしい、重低音じゅうていおんとどろく怒りの声。

 アヤトは、そんな非難ひなんを聞き流し、小さく笑って両手を軽く広げる。


「いやあ、だって。

 『うっかり殺さないように』手加減しているってのに、何か調子乗るし。

 鬼籍年齢キャリア2~3年そこらくせに、えらそうな事言いやがるし。

 できたてホヤホヤの結晶武器を見せびらかして、やたらデカい面するし。

 そういうの、思いっきりボコにすると、スカっとするじゃん?」


 軽い口調で誤魔化そうとするアヤトに、巨漢の僧侶は苛立いらだたしげに舌打ちして、オウム返しする。


「『するじゃん?』じゃねえよ、このチビっ!

 大体お前、力任ちからまかせの脳筋戦術のうきんせんじゅつで、何事もざつなんだよ。

 俺がアイツ止めなかったら、どうするつもりだったんだ?」


「うるせえな、ハゲ。

 普通に、下の階に鎖を流し込んで、追いめていけばいいだけだろ。

 そのために、わざわざビルを補強したのに」


「やめんかい。

 無関係の人間も残ってるって言ったろうが。

 そもそも、『ビル補強しないと壊れるようなデカい術は使うな』って最初から言ってるだろうが!?」


「いやぁ~……ほら俺、最近、腕ニブってきただろ?

 ちょっとかんを取り戻そうかと」


 アヤトが、先ほど言われた嫌味を使って言い訳するが、一蹴いっしゅうされる。


「やかましい。

 そんなの、誰もいない山の中でぶっ放してこい」


 巨漢の僧侶は、唾棄だきするように告げる。

 そして、鎖で雁字搦がんじがらめのミイラ状態になった、女吸血鬼をかつぎ直し、きびすを返した。


「── さて、先に帰るぜ。

 俺も、上層部うえに報告とか尋問じんもんとか、色々いそがしいんだ。

 お前は、じょう ── ……あ、いや、紅葉さんと、ラーメンでも食っていきな」


 先に帰ろうとする巨漢の背中へ、アヤトが思い出したように疑問を投げかける。


「そういえば結局、その<まよ>って<華咬鬼かこうき>だったのか?

 スギサカとかどうこう言ってたのは偽名か?」


「ああ、大陸からの流れ者で、偽造パスポートの名前だ。

 メイド・イン・チャイナの、フロム・チャイナ。

 ── 100%、<華咬鬼>ブラッド・チャイナだ」


 巨漢の僧侶は振り返らず、片手を上げて去って行く。


 そして、オフィスビルの屋上に残ったのは、青い長衣の魔術師と、バニーガール衣装の上に白いロングコートを着込んだ美女の、二人だけになる。

 アヤトは、先ほどから後ろから抱きついたままで、自分の頭の上にあごを置いた美女にたずねる。


「今日はやけにくっつくな?」


 紅葉という名のセクシーな長身美女は、彼のかたあごに手を回し、いっそう強く抱きつきながら答える。


「色々な意味でアピールしておいた方がいいかと思って。

 さっきの人、高尾たかおだっけ?

 あの人なんでしょ、アヤトの元・愛人あいじんって」


「元・相棒あいぼうな。

 アイジンじゃなくて、アイボー。

 アイツどう見ても男だろ、どういう勘違かんちがいだ……」


「でも、『おしりを預かってた』とか言ってたじゃない?」


「止めろ、同性愛ゲイじゃねえぞ。

 『しり』じゃねえ、『背中』だよ。

 男同士で預けたり、預かったりするのは」


Ohhhhオォ~~ sorryソーリー ……

 ニホンゴ、トテモ、ムズカシ~デ~ス」


「うさんくさいカタコトやめろ。

 お前も白雪も、都合が悪くなると言葉が分からないフリするな」


 アヤトが呆れのため息をつき、自分の首にまさわれた女の手の拘束こうそくはずそうとするが、しかし力が強すぎて外れない。

 アヤトは、降参するように紅葉の腕を軽く叩きタップしながら、告げる。


「なんだよ。

 そろそろ暑いぞ?」


「ん~……くっついてると、ちょっとムラムラしてきたのよね。

 ── 血、吸っていい?」


「ラーメン食った後な」


「ええ~っ

 ニンニクくさいのイヤなんだけど」


「安心しろ。

 俺がニンニクくさい時は、大体お前もニンニクくさい。

 同じ物食ってるんだから、当然だろ」


「もぉ~、そういう問題じゃな~いっ

 食べる前に吸っちゃダメぇ?」


「だから、空腹くうふくの時に血を吸うのは、止めろって。

 大体、さっきの<華咬鬼かこうき>も、『異能者の血なんてマズい』って言ってたぞ?」


「大丈夫よ。

 アヤトの血ってとろけるほど美味しいから。

 これってやっぱり、愛情とか想いを感じるから?」


「はぁ……愛情表現のたびに貧血の頭痛か……冗談じゃねえな」


 そんなやり取りと共に、2人って階段を下る音が響き始める。


 砕けた月の照らす、魔の領域・月下。

 そして、吸血鬼の闘争が続く修羅しゅらちまた、九州。


 そんな異常な世界に属する、異能者とハーフ吸血鬼という異色の恋人カップルもまた、普通の人間達と同じように週末の夜を楽しむのだった。





/── 作者注釈 ──/


 どうせ短編書くなら、しばらく出番のない『青系最強』でも出しておこうかと。

 しかしあんまり活躍書くと、どっちが主人公かわからなくなるので大分自重していただいてます。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る