第9話 異世界只者転生

 高木甘斗たかぎ あまとは、その日トラックにねられた。

 巡る走馬灯と、意識の中に流れ込んでくる声――。


「よく聞きなさい、アマト。私は、天秤の女神ヴァランス」


 美しい女神の姿が浮かび上がり、そんな声が響いた。

 女神ヴァランス、どこか東洋的なイメージを抱かせる美人であった。


「お前は、この世界で死を迎えましたが、これから《剣と魔法の異世界》で勇者となるのです。勇者として、世界を救うことになるでしょう」


 ――あ、来た! ついに自分にも来た、異世界転生というやつが!


「あの、女神様! チートは? 勇者になる祝福とか特典があるんですよね?」

「では、ゆきなさい。勇者アマトよ――」

「待って、なんもないんですか? え? あああぁぁぁあぁぁぁぁっ……!」


 胸の昂ぶりとチートないのという失望、そして落ちていく感覚。

 アマトは、闇の中に落ちていく。無意識に女神に向かって手を伸ばし、意識はゆっくりと混濁して途切れていった――。


        *     *     *


「――……あああああっ! ……あ、あれ?」


 目が覚めた、小汚い宿のベッドの上である。天井に向かって右手を伸ばし、いつの間にか拳を握り込んでいた。

 なんかあれから、食って飲んだあと、記憶がない。未成年なのでアルコールを口にするのははばかっていたが、記憶がない。

 知らない間に飲んで酔いつぶれたのかもしれない。

 隣では、ゴルガスが大いびきで寝ていた。やっぱり仮面を外していない。

 さっきのは、《剣と魔法の異世界》に転移する前に垣間見た光景だ。

 女神様から勇者として選ばれたのだが、よくよく思い出してみるとチートも祝福も特典も授けてくれなかった。結構ケチなんじゃないのか。

 生まれ変わって現代人としての前世の記憶を持ちながら、勇者として生涯を一からやり直すという転生でもなかった。

 とりあえずは、ファンローラがいるので今のところは心配ないのかもしれない。

 カーテンがばあっと開いて、日光が差し込んでくる。ちょっと眩しい。


「おはようございます、勇者様!」


 ファンローラが挨拶してくれた。

 一応、『髄脳不全亭』の二階にある同じ部屋に泊まることになった。

 年頃の女の子とひとつ屋根の下どころか、同じ部屋に年頃の男子高校生と賞金首のかかった盗賊の頭目が一夜を過ごすことになったのだが、特に何も起こらなかった。

 ファンローラの寝込みを襲ったところで、殺されるのでおかしなことはできない。


「おはよう……」

「起きたか。ひさびさによう眠れたわ」


 寝ぼけまなこで答えた。ゴルガスも起きたようだ。


「いい朝ですよ。勇者様、ゴルガス」

「ああ、うん」

「それで姫様よ。まずは宝珠オーブを取り返しにいくのか?」

「はい、勇者様が来てくれるから必ず取り返せます」


 にこり。何一つ疑ってはいない。


「いや、待って待って! 僕、女神から勇者って言ってたのは確かだけど、チートもアイテムもなんもないんだよ?」

「ですから、それは何も心配いりません。一緒にいてくれさえすれば……」

「傍らにおるだけでよいとは、勇者とは楽なクラスのようだな」


 やり取りを見ていたゴルガスも笑っている。

 しかし、寝るときも仮面を外せないというのは不便そうだ。


「だが、"無双烈姫”よ。その宝珠オーブの在り処はわかっておるのか?」

「十年前、王国の滅亡によって散逸しました。ですが、“神眼魔王”の手に一つがあることは確かです。残りの三つも、必ず探し出します」


 確か、宝珠オーブは地水火風の四つがあるとファンローラは言っていた。

 いわゆる四大元素だ。ファンタジーだとよくあるやつである。

 その《オーブ》のがなんなのかはわからないが、精霊力の調和とか不思議なパワーとか、そういうものを与えてくれるアイテムとかなんだろう。

 ファンローラはその奪回を目指しているとアマトは理解している。


「それ以外には、宛がないのか。路銀が足りるとも思えん。結局、飲んで食った分も宿代も、わしの懐から出ているのだぞ。食うや食わずで勇者を見つけたのがせいぜいであったろうに」

「んー、そうですけど……」


 飲み食いした代金は、ゴルガスに払ってもらっている。金は基本的にない。

 盗賊の親玉だけであって、懐具合はいいようだ。


「何をするにも金はいる。食料も水もな。旅と言うなら、なおさらだ。……まっ、その金も十年前ほどには価値がないがな」

「厳しすぎませんか、この異世界……」


 普通、異世界と言ったらモンスターが溢れ、ダンジョンがあっても現代知識とか無双できる程度のはずだ。

 だというのに、今の只者アマトにはあまりできそうなスキルがない。


「じゃあ、お金を稼ぎましょう。ギルドに行けば、何かお金になる仕事もあるんじゃないですか、“金剛鉄鬼”」

「そうかもしれんな、“無双烈姫”」

「ええと、その四文字熟語みたいなのはなんなんですかね? “神眼魔王”とか“魍鬼百計”ってのもいましたよね?」

「一端の武侠なら、二つ名か仇名がつくものだ。その仇名は、それぞれの技や名声に関わる意味が込められておる」

「まず、その“武侠”ってのはなんなんですかね?」

「そこからか」


 ゴルガスも呆れている。そう言われても知らないのだから仕方がない。

 アマトは、Webの異世界ファンタジー小説は読んでも、いわゆる金庸や古龍といった書き手が発表するような武侠小説とかは読んだことがない。

 香港アクション映画がヒットした時期とも世代が違う。


「武侠というのは、侠……おのれの信条や信念で動くものをいう。そいつが武術を用いれば、武侠よ」

「はあ……」


 武侠とは、アジア圏で流行した武侠小説に端を発する言葉である。

 侠とは、侠客を意味する。起源を辿ると古い言葉だ。

 日本では、やくざ者ややさぐれ者の美称として使われる事が多いが、中国では春秋時代から、法で縛られることを嫌うも、受けた情や恩は必ず返すというような義侠心に満ちた人物たちのことを指した。

 漢の高祖劉邦りゅうほうも侠客であったと言われ、司馬遷しばせんが編纂した歴史書『史記』にも遊侠列伝が立てられている。社会通念上の正義と一致せず、博打や盗みもするが、貧しい者や弱い者を助け、恩着せがましい真似をしないなど、一声あれば馬車千台が集まるような侠気あふれる者たちの逸話が記されている。その中で、司馬遷は「世間は任侠を知らぬが、やくざ者や下っ端と見下すのは悲しいことだ」と嘆いている。

 ……のだが、アマトはもちろんそんなことは知らない。

 とりあえず、強くて四文字熟語風の仇名があるのが武侠なのだなと簡単に覚えた。


「……じゃあ、ギルドに行ってお金になる依頼を探しましょう。それで路銀をいっぱい稼いで、宝珠オーブと仇を探します」

「仇かぁ……」


 国王であった父と王妃であった母を、ファンローラは殺されている。

 痛ましいことであるが、もうちょっと可愛らしい信条もあってほしい。国を平和にしたいとか、みんなを笑顔にするとか。

 しかし、そういう余裕が育まれなかったのかと思うと可愛そうではある。

 当面の目標は決まった、冒険者ギルドに行って依頼をこなすという極めて異世界冒険でのオーソドックスなことをするのだ。

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