第八章⑨ 彼を変えるものは

 ウォーロウは生魔法学科のある棟の廊下を慎重に歩いていた。廊下は人が多く、学生たちが頻繁に行き来している。ここで突然『紅涙の魔女』と鉢合わせる可能性もありうる。


 それにしてもと、ウォーロウは思った。学生たちのローブは、白も黒も、銘々好き放題に改造されている。改造ローブは禁止されているというのに……。いや、禁止されてい、と言うべきなのだろうか。僕が着ているような、正当派なローブも多く見受けられるが、違うタイプも多い。もしかすると、異なるタイプのローブが公式に売り出されているのではないか。


 不意に、霧が立ち込めてくる。


 まさか……ここは屋内だぞ!?


 ……『飛沙』か!


「よう、よく来たな、ウォーロウ・ディクサンドゥキニー」


 間違いない。『飛沙の魔術師』ナデュク・ゼンベルウァウルの声だ。フィナさんが情報を探しに行った対象のはず……。


 ウォーロウの周りは純白の霧の世界になった。そして、そこにナデュクが現れる。飄々としていて、まったく構える素振りが見られない。


 ウォーロウは右手に鉄の杖を呼び出し、それを回転させて、構えた。


 ナデュクは手をひらひらと振って見せる。


「そう構えんなって。一対一じゃ、お前の勝ちなのは解ってるよ。俺が勝てるのは、つるんだときだけだ」


「なんの用だ?」


 ウォーロウは厳しい口調で言った。


「それはこっちの台詞だろ。そちらさんが学外から来てるんだ。いや、もっと言えば、時代外かね」


「とぼけるな」


「やれやれ……。だが、間違いじゃないんだぜ。俺たちの敵が、俺たちの本拠地にやって来てる。それなりにお出迎えするのは、当然のことだと思うがな」


「お前のところには、フィナさんが行ったはずだが」


「ん? そうだったのか。いや、俺は、君を見つけただけだからな。『紅涙』はここにはいないから、俺が代わりに出てやらにゃと思ったわけさ。君が一番、俺らの方になびきそうだからな」


「なんだと?」


「他の連中は、フィナ・デューメルクを始末しようと安易な方に流れるだろうな。だが、俺は、危険視すべきなのは、ベブル・リーリクメルドの方だと思っている。フィナちゃんは、君が好きにすればいい」


 ウォーロウは構えを解いていない。


「そもそも、お前たちは何をするつもりなんだ? わざわざ過去に来て、人を殺すなんて」


「別に、一般人を殺すのは目的じゃないぜ。あくまでも、リーリクメルドを殺す目的に付随して起こったことだ。だいいち、そんなに多くの過去の人間を殺してみろよ。俺たちには直接の影響はないが、ここでの研究仲間が消えたら気分悪いだろう? それに、親戚一同皆消えたら、周りから見れば俺は出所不明の人間だ。違うか?」


 ウォーロウは黙っていた。目の前の敵の言うことに間違いはない。本当に全ての人間の死が、ベブルを殺す目的に伴ったかどうかはさて置いて。


 ウォーロウは口を開く。


「じゃあ訊く。何故、フィナさんとベブルを付け狙う?」


「それについては、明日また来てくれるか? 俺の研究室に来れば、全貌を話してやろう。奴を殺さなければならない理由を。勿論、リーリクメルドとデューメルクは抜きでな。知れば気も変わるぜ。俺たちに手を貸す気にな」


「……どうだろうな」


 ウォーロウがそう答えると、霧が晴れていく。霧と共に、ナデュクの姿も消えていく。廊下を行き来する学生たちが再び現れる。慌てて、彼は杖を消した。


++++++++++


 フィナは研究棟『ランガ』―――古代魔法研究科のある棟にやって来た。


 この研究棟の学生は、男も女も、髪を三つ編みにしている者が多い。頭の三箇所、四箇所に三つ編みをつくっているのはざらだ。これは、古代アーケモスの魔術師たちに流行ったものだ。この研究科に所属しているナデュクも髪の一部にいくつか三つ編みを作っていた。古代魔法に傾倒していると思われるファードラル・デルンも同じくだ。


 そして、フィナも三つ編みだ。彼女の場合は、彼らのように髪飾り的に三つ編みにしているのとは違って、ただ単に、長い髪を纏めるために編んだだけだが。


 フィナは棟内一階の案内板の前に立ち、古代魔法研究科の区画を探した。すると、声が掛かる。


「どうされました?」


 フィナは警戒しながら、振り向いた。するとそこには、黒髪の女性が立っている。


 『紅涙の魔女』か?


 そう思ったが、違った。そこにいた髪の長い女性は、フィナに対して全く敵意を持っていない。両手を腹の前で重ね合わせて、背筋を伸ばしてそこに立って微笑んでいる。


 『アカデミー』の学生ではない。


 この女性は例の、魔術師の白いローブを羽織っていない。巻き布型の深緑のワンピース。フィナの時代のラトル方面にあった衣服の簡略版のようだ。そして、帯は赤い宝石が飾られている。袖なしの服からは二の腕も外気に晒されていて、その上から、両肩が出るように設計された外套を羽織っている。端整な顔立ちの優しい上品な微笑み顔に、特徴的な泣きぼくろ。


 フィナはじっと黙って、その女性を見つめていた。


 その女性は、自分がフィナに内部の人間だと思われてはいないのだと悟る。


「わたくしは、ここにはよく来るのです。外部の人間ですけれど。ですから、ご案内して差し上げられますわ」


「古代魔法研究科」


 フィナはそう言った。だが、彼女には他に気になるものがある。その女性の髪飾りと、羽織外套の留め金、腰の装飾品に描かれている印。


 同じ事をその女性も思っているのだろう。彼女は逆に、フィナの胸当て、草摺――ラトルの外に出るときには身に付けている簡易な防具に記されている印を見ていた。


 両者は同じものだ。


 その女性がフィナに訊ねる。


「あの……。貴女のお名前は……?」


 フィナは思った。ここで正直に名前を言っていいものかと。そういえば、『紅涙の魔女』は、未来において、フィナ・デューメルクという名は有名であると言っていた。なぜ有名なのかが不明な以上、本名を言うのはあまり賢明ではないかもしれない。大騒ぎされて、他人の注目を浴びてはいけない。例の『未来人』たちに見つかってしまうおそれがある。


「シウェーナ」


 フィナはそう名乗った。それは、彼女が昔読んだ物語に登場した人物の名前だった。


 それから、遠慮がちに、その女性は訊ねる。


「あの、魔法名は……、ないのでしょうか?」


「まだ」


 まだ魔法名が付けられていないということだ。実際、『アカデミー』でも、多くの者が魔法名を得ていないので、おかしなことではない。魔法名は、魔術師の能力が一人前になったと認められたとき与えられるものだ。


 ただ、魔法名のある者は魔法名で呼ばなければならないしきたりがあるので、失礼のないようにその女性は訊いたのだった。


 フィナは偽名に魔法名を付けなかった。それは彼女が、周囲からは一流の魔術師と認められているに関わらず、いまでも未熟な『魔術師見習い』のつもりでいる心境の現れだった。


「それは失礼しました」


 その女性は気まずそうに頭を下げた。それから彼女は、手を自分の胸に当てて自己紹介する。


「わたくしはスィルセンダ。スィルセンダ・ヴェリングリーン。ルメルトス派の魔術師です。……さあ、研究科はこちらですわ」


 スィルセンダは手で進路を示して歩き始めた。


 フィナには、スィルセンダが背を向けたときに見えたが、彼女の長い髪は下の方で丸い水晶の飾りで束ねられていた。その飾りは、フィナ自身が三つ編みを止めているものによく似ている。光に当たって碧緑色に輝く艶やかな黒髪さえも。



 フィナはスィルセンダに付いて歩いた。暫く歩いた頃、スィルセンダは彼女にまた質問をする。


「シウェーナさん、魔法をどちらで?」


 どこで学んだのか? と訊いているのだ。何でもない質問だ。ただし、ここが『アールガロイ魔術アカデミー』でなければだ。


 『アカデミー』にいる魔術師に向かってそういう質問をするのは、本来おかしなことだ。『アカデミー』にいるのだから、当然、ここで学んでいるものだと見なすのが普通だ。だがフィナは、スィルセンダが何故そう訊いたのか、明確に見当がついていた。彼女の胸当てと草摺りに描かれた印のせいだ。


 この印は、ルメルトス出身の魔術師が自らの装飾品に刻む印だ。そして、フィナもスィルセンダも、同じ印の付いた物を身に付けている。


 だから初め、フィナがスィルセンダを見たとき、目の前の女性は自分の遥か後輩に当たる人物なのだとすぐにわかった。


 だが、スィルセンダにしてみれば、当然シウェーナ(フィナ)は自分の同年代の人間だと思っている。なのに、同門であるように見えるシウェーナをこれまでに見たことがない。それは変だ。


 階段を上りながら、フィナは答える。


「『アカデミー』」


「では……その印は……」


 フィナは何も言葉を返さずに、首を傾げてみせた。


 すると、スィルセンダは当惑したように理由を説明する。


「あの、その印は、ルメルトス派のものである証……とよく似ているのですが……」


 似ているどころではない。まったく同じだ。そこを敢えて、スィルセンダは相手に失礼のないようにぼかしたのだった。


 フィナはまた、首を傾げる。


 演技だ。だが、無表情でやっていると、そうは見えない。それは、本人もよくわかっている。


 ふたりともが沈黙した。


 スィルセンダはいよいよ困ったようだ。


「ご存知なかったのですか?」

 

「まあ」


「よ、よく似ていますけれど、きっと何か、違う物を描かれたのでしょうね」


 スィルセンダはそうして、自分から持ち出したこの話題を無理矢理終了させた。

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