第八章

第八章① 彼を変えるものは

 ベブルは街道に立ち、遠くにある廃墟を眺めていた。


 宮殿の跡――。


 デルンの宮殿だ。


 宮殿は古い廃墟となっていて、確かにファードラル・デルンがこの時代に存在しないということを物語っている。


 穏やかな風が吹いた。


 街道の先は草原地帯になっている。草花がなびいた。デルン宮殿は、その地帯の遥か向こうだ。そこで、ただの歴史的遺物となっている。


 これはこれでいいんだ。ベブルはそう思った。一方の問題なのは、この現代で、魔王がどうしているのかということだ。


 折角過去——百二十年前の世界で、ファードラル・デルンの切り札である怪物、“アドゥラリード”を撃破したのだ。これで、魔王側と大魔術師デルン側の戦力は互角、もしくは魔王側の優勢となっているはずだ。


 それなのにだ。


 この現代で、誰に魔王の事を訊いても、知らない、あるいは昔話の類だとして軽く流されてしまう。


 不老の身体を持つと言われる魔王は、どうやら現代に存在していないらしいのだ。彼は、この百二十年の間に、誰かに殺されてしまっているようだ。


 では一体、誰に?


 デルンに? そんな馬鹿な。


 ベブルはかぶりを軽く横に振った。


 デルンは確かにかなりの使い手だが、あのザンがデルンに負ける筈がない。

 

 『未来人』たちに? ――それはいよいよありえない。


 どうやらやはり、俺より賢いやつらに訊くのが良さそうだな。


 そう思って、ベブルは再び歩き出す。


 彼は四日の行程ののち、学術都市フグティ・ウグフに到着した。


++++++++++


 人間の世界、アーケモスにおいて第二の規模を誇る学術都市、フグティ・ウグフ。


 街の中央には噴水があり、その周りを商店が取り巻いている。遠くを見やっても商店。果てしなく街が続くように見える。


 この街は学術都市というだけあって、至るところに知的な設計がされている。噴水から出た水が街をぐるりと一周廻って戻って来てまた噴水によって打ち上げられる仕組みや、各商店の看板が業種別に色分けされ、また形が統一されている規則などはその代表だ。しかし、人口が多いため、当然学術一辺倒ではない。商店街も多くあるし、街の外側には農業地区もある。


 太陽は街の向こうに沈もうとしている。もうすぐ、夜がやってくる。



 ひとりの女性が、花束を抱えて、ひとりでにこにこしながら街を歩いていた。彼女は食料品店の前で止まると、店の中の商品を、視線を軽く二、三往復させて見て、すぐに決めて店主に注文した。このうえなく上機嫌なようで、物を買うのに悩んだ素振りはない。単なる衝動買いに近い。


「よう、お前か」


 そんな彼女に声が掛かった。彼女が見ると、そこにはベブルがいた。


 この幸せな時に現れた、邪悪の使者。


 その表現がぴったりだった。


「確か、お前は……、ヤッヅ……カルドレイ、カルドレイだったな」


 ベブルはそう言いながら、彼女の傍までやって来た。


「リ、リーリクメルドさん……でしたね……」


 ヤッヅは怯えながらも、やっとのことでそう言った。


 どんなに横柄な態度を取っていても、相手を魔術師だと知っていれば『魔法名』で呼ぶ。ベブルには一応だが、そのあたりの心得はあった。その他の部分では滅茶苦茶だが。


「またちょっと用事があってな」


「時空のことですか?」


 ヤッヅはできうる限り、丁寧な発音と態度に心掛けた。彼を怒らせてはいけない。こんなところで死にたくない。ただ人と話をするだけで何を大げさなと、彼を知らない人には言われそうだが、この真剣な思いは、あながち間違いでもない。


「今回はそうじゃない。今回は歴史の話だ。そんなに詳しい話じゃなくていい。魔王のその後が知りたいんだ」


「魔王の『その後』……?」


 ヤッヅには当然、その言葉の意味がわからなかった。


「ああ、悪い。魔王……ザンがデルンを倒したあとに何があったのかと思ってな」


 ベブルはそう訂正したが、この言葉にも、ヤッヅは首を傾げる。


「魔王と魔術師デルンはで滅んだんですよ?」


「相討ち!?」


 ベブルはヤッヅの発言に声を荒らげた。この瞬間、彼女は両目を固く瞑り、首を竦めた。彼への恐怖心はどうしても消えない。


 そのとき、彼女はあることを思い出した。


「そういえば、デューメルクさんとディクサンドゥキニーさんが『アカデミー』にいらっしゃいましたよ。ディスウィニルク君に用がある、と」


 それを聞いて、ベブルは頭の中で情報を整理した。


 つまり、無表情な根暗女フィナ・デューメルクと、むかつく生真面目野郎ウォーロウ・ディクサンドゥキニーが、『アールガロイ真正派』の変人と謳われる爽やかな兄貴に会いに来ているということか。用がある、ってのはどういうことだ? 確かに、何を訊いても知ってそうな、何か訊けば有効な方法が返って来そうな相手ではある。それに、人脈もあるらしい。


「じゃあ、俺をそこへ案内してくれ。あいつら、どこにいるんだ? ディスウィニルクの部屋か?」


 彼はヤッヅに訊いた。


「……おそらくは。研究棟か、寮かはわかりませんが……」


「まあいい、どっちでもいいからとりあえず案内してくれ」


 ベブルの態度は投げ槍だった。彼にとっては、どちらにいるかを真面目に考えるのは無駄なのだ。両方に行けばいいのだから。


 一方、ヤッヅはこの恐ろしい状況の中で密かに、しめた、と思った。これでまた、ディスウィニルク君に会う口実ができた。昼間、彼の妹に会ったときには、彼女が彼の部屋を知っているために、案内という名目で彼に会いに行くことはできなかったから。


「早くしてくれよ」


 ベブルが言って、彼女は我に返った。そして慌てた様子で、答える。


「わかりました。こちらです」


++++++++++


 ベブルとヤッヅは『アールガロイ・アカデミー』の敷地内に入った。もう日が沈もうとしているというのに、南部構内の広場には沢山の人がいた。皆、なにか研究のことを話しているようだったが、そうではないただの取り留めのない話をしている学生たちも多くいた。


 ベブルたちふたりは、南部広場を真っ直ぐと北に抜け、中部構内へと差し掛かった。その入り口に、魔術師のローブを着た老人の銅像があった。これについては以前、ベブルはヤッヅから聞いていた。この『アカデミー』の創始者、アールガロイ師の銅像だと。


 ベブルは、並んで歩くヤッヅに声を掛ける。


「なあ、おい」


「な、なんでしょう?」


 ベブルは銅像を指差す。


「あれは、ヒエルド・アールガロイの像で間違いないんだな?」


「ええ、そうですよ」


 ヤッヅは答えた。彼女は内心ほっとする。ベブルが口を開く度に、いちいち、何を言われるものかと冷や冷やしているのだ。こんな精神的苦痛を対価にしてまでルットーに会う口実が欲しいのだから、大したものだ。


「しかし、以前お教えしたときには、魔法名だけだったはずですが。アールガロイ師の個人名をどこかでお調べになったのですね。ああ、今は歴史学の勉強をなさっているのでしたね」


「まあそんな感じだ。新しい方法でな。まるで大昔の人間から直接話を訊くような感覚になれる、取って置きの方法があるんだ」


「素晴らしいですね。歴史学を専攻している人たちに教えてあげたい方法ですね」


 ヤッヅはそう言った。



 このときヤッヅは、ベブルは実はちゃんとした、学問に興味のある人だったのだと思った。そういえば前も、曲がりなりにも、時空論について訊きに来たのだったではないか。あの時は、わたしの理論にも、それなりに興味を示したではなかったか。そしていまは、歴史研究の新分野の開拓をしている。……多分。


 当然、実際のベブルには学問への興味などあるはずもない。彼は歩きながら、じっとヒエルド・アールガロイの銅像を見つめていた。歴史に興味があるのではない。彼はただ、実際に出逢った、友人の像を見ているだけだった。


 これが、ヒエルドの年取った姿か……。


 この銅像には、以前ベブルが見たときと、大きな違いがあった。


 銅像の台座が遥かに大きくなっていたのだ。


 それも当然だった。この『アールガロイ像』は、『魔法生物ディリム像』の大犬を傍らに従えていたのだから。

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