第七章⑤ 古の黒い風

 ナデュクはディリアやウェルディシナの方へは行かずに、ファードラル・デルンがザンと戦っている方へ走った。


「回復要員を先に潰したぜ」


 ナデュクはザンに杖を構えながら、ファードラルに言った。


「よくやってくれた。期待以上だ」


 ファードラルは笑った。


 ザンはファードラルとナデュクとに挟み撃ちにされている。強力な魔術師と麻痺や石化の魔法を使う魔術師。圧倒的に不利だ。


 ザンは魔剣でナデュクに斬りかかる。挟み撃ちをされた場合の解決策として、弱い方を一気に片付けてしまおうと考えたのだった。だが、彼の攻撃は空振りする。思うように身体が動かせない。どうやら“毒の魔法”を受けたようだ。彼の周りにだけ、毒の霧が一瞬充満し、そして消えた。


 そんな馬鹿な! ザンは思った。俺は確かに、麻痺や石化といった変わった魔法を使う『飛沙の魔術師』に注意していたはずだ。そして、奴は何の魔法も使わなかった……なのに何故……。


 ナデュクが言う。


「わからねえ、って顔してるな。だけどな、この俺が使える魔法が、偉大な魔術師様に使えないなんて考えるのは、チト無理があるんじゃねえの?」


 そうか……。この“毒の魔法”を使ったのは、『飛沙』ではなく、デルン……。


「だいたい、俺が使ってるこの、毒や麻痺なんて魔法は、古代アーケモスで使われていた、古の魔法なんだぜ。俺が『未来人』だからって、俺の使う魔法が未来の魔法だなんて、安易に思っちゃマズイわけよ」


 ナデュクは両手をパラパラと振って見せた。


「今も未来も、古代に魅せられる者はおる、ということであるな」


 ファードラルがそう言った。


「そういうこと」


 ナデュクは杖を構え、呪文を唱えた。そして、ザンを石に変えた。


「また一丁あがり。魔王もたいしたことはないな」


「われら魔術師は、無駄に力をぶつけ合うだけが能ではないからな」


 ファードラルはナデュクの台詞に対して、そう言った。


「だが、あんたは、魔術師として、空前絶後の『ぶつけ合う力』だって持ってるんだろ?」


 ナデュクは笑った。


「然り」


 ファードラルも笑った。



 強烈な破壊音を響かせて、またもや部屋の壁が破れ、今度はベブルがこの部屋に吹き飛ばされてきた。ベブルは倒れたが、またすぐに叫びながら立ち上がった。そして、“アドゥラリード”に向かって駆けて行く。


 最強の防御を持つ怪物は壁を突き破ってこちらの部屋に戻ってきた。怪物は魔力を高め始めた。強烈な光が、その怪物を守っている魔力障壁を包んでいた。


 ベブルがその怪物の至近距離に到達した。その拳が奇妙な風切音を鳴らした。例の『力』を纏った攻撃の証だった。しかし、その攻撃が怪物のバリアに当たる直前、怪物は全魔力を解放した。


 ゼロ距離射程での“アドゥラリード・キャノン”に跳ね飛ばされ、ベブルの姿は、一瞬でこの部屋から消え去った。天井にも、床にも、壁にも巨大な穴を開け、もはやベブルがどこへいったかわからない。もしくは、この場で消滅したか。そう考えるのが自然だった。


 しかし、“アドゥラリード”が飛びながら、それ自身が今開けた穴から地下に潜っていったところを見ると、どうやらベブルはその先にいるようだ。



 天井が破壊された。天井が破壊されれば空が見えるはずなのだが、そうはならなかった。そこには魔法の結界が存在し、宮殿の中の空間と外の空間とを分断していた。ここへ来たときにザンが言ったことのとおりだ。


「何だ、残りは犬だけか」


 ファードラルが、シュディエレと戦っているオレディアルたちを見て、そう言った。ベブルは“アドゥラリード”に圧されている。ザンとソディは石になった。ウォーロウは気絶している。ヒエルドは対象外だ。


 シュディエレとの戦いを傍目に見ているナデュクは、ディリアに言った。


「おい『蒼潤』、魔法の働きをなくしてしまう魔法を使えよ。そうすれば、この犬に掛かってる魔法も消せるんだろ?」


「危険が大きすぎるわ。あなた、私自身が魔法だって事、知ってて言ってるんでしょう? もし失敗して、このディリムにその魔法を跳ね返されたら、わたしが消されてしまうのよ!?」


「ああはいはい。そうだったよな」


 ナデュクは溜息をついた。こうなると、シュディエレは三人がかりで叩き殺すしかない。時間はかかるが、絶対に負けはない。


 それよりも、とナデュクは思った。アールガロイ師をどうしようか。彼がいると大犬がしぶとくて厄介だ。この建物から追い出す? どうやって? ここでは内と外とが分断されている。追い出すことができるのはデルンだけだ。殴って気絶しておいて貰う? そんなことをして、もし死なれたら『アールガロイ真正派』が存在しなくなってしまう。それはまずい。“麻痺の魔法”をかける? 呪文を封じるなら確実に、舌が動かないようにしなければならない。少しやりすぎると、呼吸ができなくなって死んでしまう。これもだめだ。じゃあ、“眠りの魔法”、これだ。いや、しかし、師自身に“反射の魔法”が掛かっていたら? それよりも、彼はもう呪文を唱えないのではないか? “反射の魔法”と“護りの魔法”はもう既に有効だ。これ以上同じ魔法を大犬にかける必要はない。放っておいてもよいのではないか?


 ヒエルドは頭を殴られて気絶した仲間を、そして魔法で石像に変えられた仲間たちを見ていた。これまでの戦いの間、彼はずっとそうしていた。その瞳には、哀れみと痛みが湛えられていた。


 ヒエルドは何かを呟いていた。そして、ひとしきり言い終わると、彼は口を噤んだ。それから、叫んだ。呪文だった。誰も聞いたことのない呪文だった。


「なんだ!?」


 ナデュクはとっさに両腕で自分の身を守っていた。ヒエルドが光り輝いていたのだ。何かが起こるのは確かだ。


 しかし、ナデュクの身には何も起こらなかった。光は止んでいた。


 ただ光っただけ……? そんな馬鹿な……。


 だが、その光の効果はすぐにわかった。倒れているウォーロウ、石になったザンとソディ、そしていまも戦っているシュディエレ、それぞれの身体が淡く光ったのだった。すると、ウォーロウは無傷となり意識を回復し麻痺も取れ、ザンとソディは石化が解けて解毒もされ、身体の傷もすべてなくなっていた。シュディエレも身体の傷をなくし、失いかけていた力を取り戻した。


「しまった! 究極の治癒魔法か!」


 ナデュクは叫んだ。ファードラルはもともとヒエルドを馬鹿にしていたし、『未来人』たちはヒエルドがあまりにも何もしないので、彼がまだ魔法を学ぶ前なのだと思っていた。


 実際、ヒエルドはろくに魔法を学んでいないのだが、彼には魔法を学ぶ必要などないのだ。彼は、必要に応じて魔法が使えるようになっていく。そういう手合いの天才なのだ。


 オレディアルはシュディエレに斬りかかったが、その一撃は、今度は大犬によって完全に弾き返された。全くの無傷だ。“護りの魔法”が強化されている。


「こうなったら、アールガロイ師を黙らせるしかあるまい!」


 オレディアルはそう言って、魔導銃剣を持ってヒエルドの方に向かおうとした。だが、それをウェルディシナが止めた。


「『星隕』! やめろ! 何をするつもりだ! アールガロイ師に攻撃するな!」


「だが、このままでは埒が開かない」


「もう一度奴らを倒せばいい。今度は確実に息の根を止めろ。いくら治癒魔法でも、死んだ者は生き返らせられないからな」


「そうだとしても! あの完全治癒魔法は厄介だ。あの魔法を先に封じておく必要がある」


 珍しく、オレディアルが激昂していた。


「だからと言って、我らの師に危害を加えることなど許さんぞ、『星隕』!」


 ディリアが口を挟む。


「そうよ『星隕』! 『真正派』を消滅させるなんて許さない!」


「仲間割れか」


 ウォーロウの声がした。オレディアルが気付いたときには、もう遅かった。彼はウォーロウに、鉄の杖で頭を殴られ、倒れた。不意打ちだったために、一撃で昏倒したのだ。


 シュディエレが横合いから、ウェルディシナに噛み付いた。彼女は驚き、痛みに悲鳴をあげた。彼女の左腕は、完全に大犬の口の中にあった。



「“闇の魔法ケラノスラネイア”!!!」


 ファードラル・デルンは魔力を高め、“闇の魔法”をヒエルドに投げつけた。


 ヒエルドの周囲に、闇の空間が広がる。そして、それが彼に向かって集束し、闇の魔力で彼を蝕もうとする。闇が晴れたとき、彼は倒れていた。だが、死んではいない。それに、意識もあった。ザンがそこへ駆けつけ、魔力障壁で彼を守ったのだ。だが、ザンの魔力障壁だけでは防ぎきれず、強烈な痛手を被ったのだった。ザンもまた、闇による損傷を受け、片膝をついた。ファードラルの魔法は、彼に対しても十分な威力を持っていた。


 ソディがザンに治癒魔法を投げ、ザンはすぐに立ち上がり、ヒエルドを守るために魔剣『ブランヴォルタ』を構えた。ヒエルドは自分自身に治癒魔法をかけ、よろよろと立ち上がった。それからまた、全員に魔法をかけた。


「シュディエレ」


 起き上がり、ヒエルドは大犬を呼んだ。大犬はウェルディシナの腕を食いちぎろうとしていて、ディリアに杖で何度も殴られていた。だが、主人の声を聞いて、すぐにその腕を解放し、主人の元へと戻った。


 それからヒエルドはウェルディシナの腕に治癒魔法を投げて傷を一瞬で治すと、申し訳なさそうに、「ごめんな」と呟いた。



「集団戦では頭を叩け!」


 ウォーロウはそう叫んだ。彼はいつのまにかファードラルの真近くにいた。そして、ファードラルに向かって氷の呪文ルリアスケラスを唱える。


「させるか!」


 ナデュクが急いで、ウォーロウに向かって“麻痺の魔法”をぶつけた。


 だが、それは呪文を唱えた者に真っ直ぐに跳ね返ってきた。身体が痺れて動かなくなったのは、ウォーロウではなくナデュクの方だった。


「お前……何故……」


 ナデュクはそう、途切れ途切れに言った。彼は身体に力が入らず、その場にへたり込んだ。


 それには戦いに集中しているウォーロウの代わりに、ソディが答える。


「先程、ヒエリン殿が呪文を唱えただろう。おそらくあれは、我々全員にかけた“反射の魔法”だったのだろう」


「小賢しいわ!」


 氷の魔法を受け止めたファードラルは“解除”の呪文を唱え、その魔法をウォーロウにぶつけた。“反射の魔法”がその“解除の魔法”を跳ね返そうとするが、ファードラルの魔力に押し切られ、“反射の魔法”が解除される。ファードラルの魔力はあまりにも強大だ。これにはウォーロウも驚いた――半分ほどは予想していたが。


 ウォーロウは魔力障壁で身を守りながら退がった。ファードラルはその場に留まり、呪文の詠唱を始めた。彼の魔法なら、ウォーロウを魔力障壁ごと片付けるのはわけないことだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る