第七章

第七章① 古の黒い風

 ファードラル・デルンの宮殿の中にある研究室では、幾つも並んでいる長いテーブルの上に、何種類もの薬品が容器に入れられて置いてあった。


 ファードラルはそれらには見向きもせず、何か赤い薬品の入った瓶を手に持ってくると、何やら薬草を煮ている鍋の中にそれを入れた。


「それが例の長寿の薬かい?」


 ファードラルに話し掛けたのは『飛沙の魔術師』ナデュク・ゼンベルウァウルだった。彼は自分よりも遥かに――実際には四倍も――年上の人間に対しても、その軽薄な態度を変えようとはしなかった。彼は薬品の置いてあるテーブルのひとつに腰掛けた。


 魔術師用の白ローブに身を包んだ銀色の長髪の青年、ファードラル・デルンは、そう言われて一瞬だけ視線を彼の方にやり、それからまた鍋の中を見つめた。彼の外見は不老不死の薬によりずっと若いままで、外見は二十歳代中ごろであるナデュクとさほど変わらない。


「失礼だぞ、『飛沙ひさ』」


 その部屋に入ってきた『星隕せいいんの魔術師』オレディアル・ディグリナートがナデュクを咎めた。


 だが、ナデュクは悪びれない


「気持ちの問題だろ。人を見下しながらおべっかを使うやつもいるし、俺みたいに、態度は悪くても最大限の尊敬を持って相手をとらえているやつもいる。あんたならどっちがいい?」


「精神も、態度も、紳士的にあるべきだ」


 オレディアルはぴしゃりと言い切った。


「気にするな。俺は別にそんなものは気にせん」


 ファードラルが口を開いた。その口調には別段感情が篭っている雰囲気はない。


 ファードラルは鍋を手に取り、沸騰している薬をカップに注いだ。その薬は、どろどろと粘性がある液体だった。それから、彼はその薬を躊躇いなく一気に飲み干した。これは彼が毎日やっていることだ。


「ほらな。偉大な魔術師は違うんだぜ」


 ナデュクはオレディアルに言った。


「……まあいい」


 オレディアルはため息をつくと、歩いて、ファードラルのほうに更に近づいた。すると、ファードラルはオレディアルが話し掛ける前に、視線をカップから移さずに、口を開く。


「例の者たちのことであろう――『未来』において、俺を殺したという」


「そのとおりです。彼らはじきにここへ来るでしょう。魔王とともに」


「一網打尽にしてくれるわ」


 この台詞で初めて、ファードラルの口調に熱が篭った。テーブルに乱暴に置かれたカップが音を立てる。もうすぐで割れるところだった。


「我々もそのつもりです」


 オレディアルはそう言った。


 ファードラルは何も言わずに研究室内を歩き、部屋の入り口の扉のところまで行った。そこで、扉の傍らの台の上に置いてあった、魔術師用の箱型の帽子を手にとる。そして、かぶる。


「期待しておるぞ」


 ファードラルはそう言って、部屋の扉に触れた。そうすると扉は自動的に開く。


 オレディアルはその言葉に、「はっ」と短く答える。そして彼らは三人とも、その部屋を出た。扉はまた、自動で閉まる。そして、更に自動で鍵が掛かった。


++++++++++


 ベブルは眩い光に包まれていた。


 何も――光のほかは――見えない。


 浮遊感に包まれていて――身体が引き伸ばされる。


 『声』が聞こえてきた。


 身体じゅうの骨を震わせるような、響く声が――。

 

 ―― ベブルよ


 ―― 我が子よ


 ―― わらわを受け入れよ


 ―― 妾を受け入れよ


 お前は一体何者か、ずっと答えないで来たよな?


 だが今、俺はお前の正体を知ってるんだぜ。


 神界レイエルスの偉い神様だってんだろ?


 俺は聞いたんだぜ。レイエルスの、他の神様にな。

 

 どうした?


 何故答えない?


 ―― 妾は万物の母である


 一番偉い神様はこのアーケモスをつくったってんだろ。


 それくらい、俺だって知ってる。ソディの奴よりも、うんと偉い奴がだ。


 おまえはそれなんだろ?


 だから俺の母親だとか吐かしてやがる。

 

 ―― 妾は万物の母にしてお前の母である


 ―― そう、それが最も相応しい


 ―― そう、それが


 ―― それが


 ―― それが


「もうすぐ着くぞ!」


 魔王ザンの声がした。


 視界に新たな光が飛び込んでくる。それは、地上世界の風景を映し出した太陽の光。彼らはアーケモスの地上に戻ってきたのだ。


++++++++++


 大地に、光の筋が大きな円を描いた。そして、そこに巨大な光が塊となって出現し、弾ける。そして、すぐにそれは人の形となった。ベブルたちだった。


「本当に一瞬でしたね」


 ウォーロウが言った。彼はすでに、ここで起こるであろう戦いに備えて、鉄の杖を手にしている。


 ベブルたちは、黒魔城からデルンの宮殿まで行くには、ボロネ村を経由しフグティ・グフの街を通って行くのだと思っていた。だが、ザンは素晴らしい装置を持っていた。魔導転送装置だ。


 これを使えば、身体は光に包まれて、一瞬で目的地に行くことができるのだった。ザンいわく、アーケモス上の殆どの場所に移動可能だ。出発するときにザンは携帯用の遠隔制御装置を持って来たので、帰りにはまたザンに頼めば黒魔城まで帰ることができる。この装置のおかげで、先日ウォーロウがつくった、ボロネ村でのコネはとくに必要なくなった。


 ベブルたちが到着したのはデルン宮殿から少し離れたところで、平原が広がっているところだった。見やれば遠くに宮殿の正面玄関が見える。


「あれが、デルンさんのお城やねんな」


 ヒエルドが彼方にある巨大な建造物を眺めながらそう呟いた。彼の傍らには魔獣ディリムのシュディエレがおり、彼の手に背を撫でられてじっとしている。


 ベブルは首を軽く回していた。骨が鳴る。それから肩を回すと、右の拳を左手の平に打ちつけた。パアンと音が鳴る。そして言う。


「さあてと、さっさと片付けて来ようぜ」


 ザンがデルン宮殿のほうを見やる。それからその目が睨み目に変わった。


「扉が開くぞ。俺たちがここに来ることはお見通しだったか」


「仕方ない。相手は魔術師だ」


 保持神ソディが言った。彼は自分の手を腰の剣に掛けていた。


 ここに来たメンバーは彼ら五人と一匹だけだ。フィナは未だ気を失ったままで黒魔城の寝室に寝かされている。破壊神フリアは、フィナの介抱という仕事をザンに押し付けられ、彼女もまた黒魔城にしぶしぶながら残っている。


 フリアが残ったのが『しぶしぶながら』であるのももっともだった。もともと、デルンの勢力とは、ザン、ソディ、そして彼女を足して丁度均衡していたのだから。敵勢力が増えているのに彼女が参加しないのでは、心許ないのは当然だ。


 デルン宮殿の扉が開いた。そこから出てきたのは魔剣を持った兵隊たちだった。彼らはベブルたちの方に対して構えて、陣形を整えた。そのころには、扉はすでに閉まっていた。


 ベブルはにやっと笑って彼らの方に拳を構えた。まだかなり距離がある。両陣営ともに、まだ攻撃は仕掛けない。彼は言う。


「やっぱりこいつらか。……だがこいつらは、なんで魔導銃とやらを持ってないんだ? 前に戦ったときには持ってたぞ」


 ザンが訝しむ。


「何を言ってるんだ? 魔導銃はまだ、アーケモスでは発明されていない。文明の進んだヨルドミスやレイエルスにしかないんだ。俺の城にあるのも、それの残りだ。アーケモスでは、あと二百年しても発明されないだろう……まさか、百二十年後にはもうすでにあるのか?」


 ベブルは肯定する。


「ああ。奴ら、それでバンバカ撃ってきやがったぜ」


 その言葉にザンは驚いた。連射が可能ということは、少なくとも初期型の性能を上回っているからだ。


「まさか、未来がそれほど速く進んでいくとはな」


 ザンは苦笑いした。しかし、ここでウォーロウが口を挟む。


「待ってください。それなんですけど、僕たちが魔導銃というのをはじめて見たのは、『未来人』のが最初だったんです。それで、次に見たのがデルンの地下研究施設で、復活したデルンの部下たちが持っていたんです。魔導銃は、僕たちの時代には、もともとなかったものなんです」


 ベブルが同意する。


「ああ、確かに。俺は武器の類には詳しくないが、あんな便利な武器は聞いたこともなかったな。闘技場での参加者も、誰もそんなものは持ってなかったし」


 ザンは手を顎に当てる。


「そうか。なるほど。大体わかってきたぞ。アーケモスにおいて、魔導銃の発明を大幅に早めたのは、デルンだ。もっとも、奴がいなかったとしても、緩やかに開発されていったのかもしれないが」


「それで? どうする? いつまでもここに突っ立ってるわけにはいかんだろうが」


「それもそうだな」


 そう言ってザンは何かの呪文を唱えた。すると彼の右手に、漆黒の大魔剣が現れた。その魔剣の銘は『ブランヴォルタ』という。


「あかんって!」


 やっぱりな。ベブルは思った。ここで話に割り込んできたのは、思ったとおりヒエルドだった。彼は昨日、「デルンを説得する」と言っていた。


「なあ、いっぺん僕がデルンさんと話してみるから。そうしたら、わかってくれるかもしれへんやん」


 思ったとおりだ。


「説得、ったって」


 ザンは頬を掻いた。人選はもっとよく考えてするべきだった。彼はフリアを危険な目に遭わせたくないから彼女を置いてきた。しかし、彼女の代わりに連れてきた者には、まったく戦う意思がない。完全なミスだ。


 ベブルが溜息をつく。


「好きにしろよ。だがとりあえず、死なないようにしろよな」


「わかった」


 ヒエルドは微笑むと、シュディエレを連れてデルン宮殿の方へと歩いて行った。

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