第332話 ●「ライン平原の戦い2」

「これほど早く対策を考えてくる人物がいるとは驚きですね」


 エウシャント領ライン平原。

 北方貴族連合と対峙しているバルクス軍側の本陣用テント内でバルクス軍軍令部長であるリスティア・バルクス・シュタリアはその言葉とは裏腹にそこまで驚いた風でもなく呟くとお茶を一口含む。


「ここに来て四日。さすがに想定外って事ですか? リスティ義姉さん」


 一緒にお茶を飲んでいたクイが尋ねる。


「北方貴族連合……いえ、ラスティア殿はこちらの戦力をある程度把握しています。

 そんな彼であれば、二倍の戦力程度ではこちらを正攻法で防ぐことは不可能とよく理解しているでしょう。

 とすれば彼が取るべき戦法はこちらが長期戦を避けようとしていることを利用しての遅滞戦術。

 いずれどこかでゲリラ戦などによる消耗戦を強いてくるとは予想していたけど……まさか初戦からとは予想外でしたね」


 そう苦笑いする。

 クイはテントの入り口から外へと視線を向ける。戦場が一望できるこの場所からは自軍の部隊の陣形がよく見える。

 統率された部隊陣形を見るたびにリスティの力量を嫌ほど思い知らされる。もっともそれが分かる事がクイ自身も優れた才能を持っている証左なのだが。

 だが肝心な敵軍の姿を視認することが出来ない。


 いや、そうではない。遠視魔法の『ホーク・アイ』を使うことで何か動いているものを見ることが出来る。

 それは恐らく兜であろう。その兜は銀製ではなく動物の皮を鞣して作られたのだろう統一感の無さから正規軍ではなくその殆どが民兵のようだ。


「あれがエル兄さんが言っていた塹壕……ですか。なるほど確かに攻めづらいですね」


 塹壕――戦争において、敵の銃砲撃から身を守るために陣地の周りに掘った穴や溝の事である。

 その始まりは西暦六百年ごろと言われ、野戦において本格的に使用され始めたのはアメリカの南北戦争とされる。

 中でも有名なものと言えば第一次世界大戦時の西部戦線と呼ばれるベルギー南部からフランス北東部にかけての戦線であろう。

 その尽きることなき消耗戦となった戦闘は、連合側に四百八十万。ドイツ側に至っては不明とされるほどの多くの犠牲者を出す結果となった。


 この世界でも塹壕というものがないわけではない。多くの町村は、魔物や野盗から自分たちの生命や資産を守るために壁を築き上げ、堀や塹壕でその周りをかこっている。


 ただそれは動くことのない町村だからできる事である。本来このような平原に塹壕を作ることは資金や労力から鑑みても珍しい。

 しかも過去の歴史上でも魔法による爆風から身を守ることが前提であるため、掘るのではなく盛り土が大半で塹壕自体は大きくても五十メートルほどの規模である。 盛り土を作るために掘った穴が結果的に塹壕として使われていた。というのが現実的である。


 クイが見える限りでいえば、少なくとも二百メートル規模の塹壕が十メートル間隔で五か所。しかもそれが三重構成でそれぞれが縦の塹壕で直結している。

 上から見れば「王」の形に見えるだろう。そして食料や物資などはこちらの射程外になる後方の塹壕から補給するようになっているようだ。

 これほどの重厚な塹壕は過去の歴史を見ても初めてであろう。


「こちらの銃への対策としては塹壕は正解ですからね」


 銃の進化とともに塹壕が本格的になり現代においても使用されている――自衛隊でも野営訓練で塹壕堀りが行われている――事が有効性を証左している。


 そうやりとりしている中で左前に展開していた騎士部隊が塹壕に向けて前進を始める。

 各騎士団に定期的に塹壕に対して圧力をかけるように指示している一環である。


 それに対して塹壕からは兵たちが僅かに顔を出して何かを構える。


「あれも厄介と言えば厄介ですからね」


 クイが苦笑いしながらリスティに呟く。

 敵兵が手にするのは小型弓。いや、どちらかというとクロスボウに近い。

 だがそこから打ち出される矢のスピードと威力は通常のクロスボウよりかなり早く強い。


「こちらでテスト開発していた情報の流出先が分かりましたね」

「えぇ、予想通りではありましたね。終わり次第流出元の対応が必要ですね」


 敵兵が使っているクロスボウは、通常のクロスボウのように弦の力だけではなく風の魔法の応用で矢――鉄製は使用できないので木製または銀製に限られる――をさらに加速させるように開発されたものだ。

 とはいえ、リスティ達にとってはこの武器は正式採用を目指したものではなく領内にいるスパイをあぶりだすことも考慮したものである。

 風の魔法に使われている魔法陣についてはマリーによって複数準備されそのどのパターンが使われているか? によってその流出元が分かるように設計されている。


 また、たしかに通常のクロスボウに比べると威力は向上しているがそれでもバルクス騎士団が正式採用している鋼鉄製の鎧を貫けない威力で設計されているため、鎧の繋ぎ目に当たりでもしない限りこちらを負傷させることは出来ない。


「こちらにとっては脅威となるほどではありませんが……さすがに数が揃うとそれなりの効果はありますね」

「あちらもそれを理解しているんですしょうか?」

「そうでしょうね。集中放火させることによるハラスメント効果はありますからね」


 ラスティアとしては、こちらを倒すことではなくその武器の利便性の良さを取ったのだろう。

 練度の低い民兵にとっても、弦を引いてそこに弓矢をセットして打ち出すだけに工程をシンプル化したあの武器であれば弓ほどの訓練は必要としない。

 風の魔法によるサポートも魔力が枯渇すれば、通常のクロスボウとして使用するだけにすればいい。


 そして射撃の精度は捨て、複数人に同時に撃つことが出来るように訓練したのだろう。

 その一矢一矢は大雑把なものであるがそれが数十人、数百人による同時発射となると脅威度が上がる。


 現に奇跡的(こちらとしては悪運にも)に鎧の繋ぎ目に矢が刺さり治療のため後退する騎士が続出する。


(まぁ、こちらとしては無理する必要はありませんからね)

 

 とはいえそれは、リスティからの指示通りの動きではある。

 その程度の軽度の負傷であれば治癒魔法であっという間に治癒することが出来る。

 しかもこの五年間ほどで騎士団内に治癒士の増強を行ってきたバルクスにとっては大きな負担とはならない。


 むしろ定期的に圧力をかけられているエウシャント軍側の疲労の方が大きいだろう。

 それでも塹壕による恩恵は彼らの精神的な支柱になりつつあるといえるだろう。


「リスティ義姉さん。一つ質問してもよいですか?」

「ええ、良いですよ。クイ」

「エウシャントへと続くルートは確かにこのライン平原を通るのが一般的ではありますが、その他にも二か所ほど主要なルートがあります。

 なにもこのルートに固執する必要はないのではないですか?」

「そうですね。確かに行軍に適したルートは他に二つあります。ですがこちらとしてもあちらとしてもこのライン平原しかありえないのです」

「それはどうしてでしょうか?」

「まず一つ目のルートは、近隣に小規模とはいえ魔物の巣が幾つか存在しているのです。

 もちろんバルクス騎士団であれば余裕で対応できますが、問題は補給路に対して潜在的な脅威が残ったままになるのです」

「……なるほど、魔物の巣は破壊しても復活することがある。そうなると武装に劣る輸送隊を防衛するために騎士団を割く必要が出てくる。そうなるとただでさえ数が劣るバルクスとしては困難なルートとなります」


 そう答えるクイにリスティは微笑みながら頷く。


「はい、正解です。そしてもう一つのルートも季節。しかも冬から春になるにつれて雨が降りやすくなり泥濘化しやすい環境なのです。そのルートが安定するのは春から秋の間」

「長期戦を考慮していないこちらとしては進軍スピードが落ちてしまうのですね。ありがとうございます。理解しました」


 そうクイはリスティに頭を下げる。その姿にリスティは思わず頭を撫でたい衝動に駆られるがぐっと我慢する。

 それを誤魔化すように一つ咳払いをすると


「さて、こちらとしてもあの・・準備がそろそろ完了するでしょう。

 あちらも塹壕への依存も十分に高まった頃でしょうし動くとしますかね」


 とクイに笑顔で語るのであった。

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