第252話 ■「南方の悪夢1」

 第三騎士団が出発してから遅れること一日。


 アルーン要塞に向けて第一騎士団と鉄竜騎士団はエルスリードを出発した。

 それに随伴するは僕とリスティ、アリス。そして僕の側付を勤めるユスティである。


 エルスリードについては、クリスを領主代行。アリシャとリリィを領主代行補佐。ベルを留守居役とした。

 ちなみにメイリアについては、男爵家相続の事後処理とクイとマリーの来年早々の帰還の作業を考えて一緒に帰還としたため、未だ王都に滞在している。


 アルーン要塞まで通常は三週間ほどであるが、魔物に襲われないよう夜間は安全な町に滞在する事を考慮した行程の場合である。


 今回は急を要するため、町に寄るのは最低限として野営をしながらの行程となった。

 その分、危険性は増すけれど六千人の集団に襲撃してくるような無謀な魔物はさすがに居らず予定通り十二月十九日に僕たちはアルーン要塞に入城した。


 到着してまず驚いたのは、ボーデ領側に広がる難民キャンプの数である。

 同じ王国内でも他領に移動する場合、領主の承認印が押印された手形が必要となる。

 もちろん領主が一つ一つに押印するなんて不可能だから大きい町であれば大概手形を申請購入できる場所がある。


 手形は防犯のためであるけれど申請購入による収入は領主にとって馬鹿に出来ないのだ。


 今回の魔物襲撃はボーデ領の領民にとっては考えてもいない事態だっただろう。

 手形の申請購入なんて悠長な事をやっているわけにもいかず這々ほうほうの体で逃げてきたため領境にこうして留まらざるを得なかったのだ。


 第六騎士団の皆も他領の人間とはいえ魔物襲撃の危険に晒したままとすることは心苦しかっただろう。

 けれど領主の了承も無しに独断で動く危険性を理解してくれていたようだ。


 せめてもと騎士団の半分に緑旗――人道支援を目的とした一時的な領土侵犯を認めさせる旗――を掲げながら難民キャンプの端で警護をしていたらしい。


「アリス。直ぐにでも特例による仮手形の発行準備を開始してくれ」

「はい、直ぐにでも」


 そう言うとアリスは帯同した執務官たちに頷く。事前にやるべきことの共有が出来ているのだろう。執務官たちは僕に一礼して部屋から出て行く。


「さてと、ガイアス団長、リカル副団長。状況を教えてもらえるかな?」


 僕は第六騎士団の団長と副団長に問いかける。

 二人とも元は第二騎士団所属でルーティント領側で騎士団を再編するにあたり団長・副団長として所属を変更していた。

 両名とも三十代後半と騎士団内では中堅に位置しているが、将来有望な人材である。


「はっ。まず難民の数ですが日ごとに増えており我々が確認しているだけで四万二千人以上といったところです」

「四万二千……か」


 ルーティントの時も難民は発生したがそれでも五・六千人だった。あの時は内乱が原因で比較的影響の無い地方からの難民は無かった。

 けれど今回は種の生存に関わる危険ゆえにより多くの難民が発生している。

 こちらの状況を考えるとウェス要塞側にも同程度もしくはそれ以上の難民が発生していると考えていいだろう。

 そして今後も増えていく可能性もあるのだ。


 まったく、本来一領主が抱え込めるだけの問題じゃない。

 王国として動いてもらわなきゃいけない事案なのに中央に期待することが出来ない事に僕は深いため息を吐く。


「続いてボーデ領の状況ですが……詳細な情報となりますと……」

「状況が状況だ。通信網はズタボロだろうからそこを責めるつもりは無い。とりあえず入手した情報を出来るだけ報告してくれ」


 僕の言葉にガイアス団長は一礼すると横に控えたリカル副団長に目配せする。


「それでは私から。正直なところ悲惨といえるでしょう。ボーデ領は領土の広さに比べて騎士団は二つ。

 ピシャール要塞を抜かれた今となってはとても戦線を維持することは不可能でしょう。

 特に第二騎士団は魔物襲撃の初撃時に壊滅したという噂が出ておりますので」


「まさに蟻の一穴だな」

「こちらに逃げてきている避難民の九割は北方に住むものばかり。南方に住む住民は避難することも叶わずに……」


 それ以降の言葉――老若男女、貴賎きせんに関わらず魔物に殺され喰われただろう――をリカル副団長は口にはしない。

 魔物の脅威と常に背中合わせのバルクスにとっては分かりきった事実だからだ。


「そうか、上手く逃げることが出来ていれば良いがな」


 僕はそう口にする。口にすることで希望となるのだ。それがどれだけ低い可能性だったとしても……


「ガイアス団長。あなたの私見で構わないので魔物の第一波が到達するまでどれだけの猶予があると思いますか?」


 僕の横で報告を聞いていたリスティがガイアス団長に質問する。


「そうですね。幸運なことに今のところ魔物の襲撃は受けておらず、偵察部隊もかなり南のほうまで偵察を行いましたがいまだ発見できていません。

 おそらく未だに南方に留まっているのではないかと思われます」


 南方に何故留まっているのかは想像に難くは無い。いまだそこに豊富に食料があるということだ。

 その食料のおかげで北方のボーデ領民はこうして逃げてくることが出来ているのだから。


「魔物たちの……留まる理由がなくなった時、どのくらいと見る?」

「ウォーウルフ達であればここまで二週間といったところでしょうか? オークやゴブリンといった鈍足であればさらに倍

 ですが道々の食糧事情を考えれば一ヶ月以上はかかるかと」

「私の見立てでも第一波は後一月はかかる想定です。短い、ですがこの時間は貴重です。

 騎士団の方には申し訳ありませんが第一、第六、鉄竜騎士団からそれぞれ千人。合計三千人ほどアルーン要塞の要塞化の手伝いをして欲しいのです」

「……なるほど。少しでも防衛を整えたいということですな。了解しました。さっそく割当を行います」


「残りの六千人は難民の収容および警護を。後は状況が状況ですので可能性は低いと思いますが……」

「間諜の恐れがあるので難民の身元調査ですな。そういわれると思いまして勝手ながら出身地ごとに難民の待機場所を限定してある程度の身元調査は行っておりました」


「ありがとうございます。ガイアス団長。非常に助かります」

「いえいえ、ルーティントの際の経験がありましたからな」


 リスティの言葉にガイアス団長は笑う。

 そっか投降兵二万人の聴取を手伝ってもらったこともあったなと懐かしく思い出す。あの時は御大が年代物のお酒を賞品にしていたっけ。

 ここは御大の真似をしておくことにしよう。


「ガイアス団長。感謝を。後で褒美として第六騎士団にささやかながら美味しいお酒と食事を届けよう。深酒しない程度に楽しんでくれ」

「これは望外の御褒美でございますな。団員に代わりまして感謝を」


 そうガイアス団長は頭を下げる。


「現場のことは今後はリスティと騎士団に任せる。己が最善と思う事を尽くせ」

「はっ」


 僕の言葉にその場にいる団長・副団長は一礼する。


「さて、次は対外の話だが……アリス。はいつぐらいに接触してくると思う?」

「こちらはボーデ伯に間者を入れておりましたので最速で情報を手に入れることが出来ましたが、中央との距離を考えますと今時分にようやく情報が伝わったのではないかと」


 アリスの言葉に僕は心の中で『遅い』と呟く。

 生存者の救助を考えた場合、初動は早ければ早いほど良い。だが事件から一ヶ月でようやく初動開始だ。

 通信網の重要性というものを改めて思い知らされる。

 予算を考えると頭が痛いがその恩恵を考えればバルクス領内だけでも無線通信網の構築が急がれる。

 出征前の技術部との打ち合わせで最優先にしておいて正解だったな。


 ちなみに技術部で最優先事項としているのは無線通信、道路網整備、新型銃の開発だ。

 どれもこれも軍事技術に傾倒しているけれど前世の歴史においても兵器技術が最先端となりその派生技術が暮らしを楽にしたことは枚挙に暇が無い。

 この世界でも結果的にそうなるのは仕方が無いだろう。


 ……そうか、この世界には魔法があるんだから転送魔法みたいなものを考えてみるのも有りかもしれないな。

 帰郷したらクリスにでも相談してみよう。


「とすると二・三ヶ月後といったところか?」

「普通ならそうですが、かの方なら事の迅速性の重大さ、そして……バルクスの動きも予想してくるかと

 恐らく急使という形で一月ほどで接触してきます」

「それはこちらとしても無為に時間を過ごさなくていいからありがたいね。はてさて急使が早いか第一波が早いか……」


 そう呟く僕にアリスは苦笑いする。


「接触があり次第、一度会談を設けたいところです。その際には私とリスティ。それから……」

「もちろん私も行くよ! エル君の警護役でもあるんだから」


 アリスの言葉に、それまで大人しくしていたユスティが声を上げる。

 それにアリスは笑いながら口を開く。


「そうですね。恐らく可能性は低いでしょうが移動中に魔物に襲われる可能性もありますから……まぁもっとも……」


 そうアリスは僕の顔を見ながら言葉を濁す。

 なんですかね。僕を襲ってくるほうが不幸でしょうからとでも言いたそうなその表情は。


「うん、それじゃこれから数ヶ月。大変だとは思うけれどよろしく頼むよ」


 そう話す僕の言葉に皆は頷くのだった。

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