第240話 ■「失敗の先に……」

 近くに魔物の群れが存在することは理解していた。

 その群れがこちらに近づいてくる可能性が高いことも理解していた。


 だがその理解が実際の出来事となったとき、頼りになるのは経験であろう。

 そういった意味では、二百人にもなるその集団において自信を持って経験があるといえるのは一握りであった。


 とはいえ、二百人もただの素人というわけではない。

 バインズ・アルク・ルード軍令部長による血反吐を吐くほどの厳しい訓練に耐えてきた技術面で言えば精鋭である。

 ただ経験不足からくる不思議な感覚のずれが、本来であれば完勝できたであろう魔物との戦闘を混戦状態にしてしまっていた。


 不幸中の幸いであったのが、彼らが装備していた鋼鉄製の騎士鎧が下級魔物の攻撃を十分に防いでいたことである。

 せいぜいが打撲か切り傷。それも混戦にあっても冷静さを持つ一人であるベルの治癒魔法によって大事には至っていない。


「レッド君、ブルー君。まずは自兵の建て直しを」

「はいっ!」

「わかりましたっ!」


 ベルから出された指示にレッドとブルーが大声で答える。

 こんな混戦状態になりながらもベルは内心、良かったと考えていた。


 今襲撃してきている魔物は、ゴブリンやウォーウルフ。

 一般人であれば確かに脅威となるだろうが、十分な装備を整えた騎士であれば脅威になり得ない。

 まさにピクニックに行くが如しだ。だが今は地図を読み間違えたせいで軽く迷子になっている状況だろうか?

 もっと違う状況であれば一つのミスが致命傷となりうるなかで、リカバリーし易い今、大いに失敗できた事が重要なのだ。


 騎士たちも今こうして無様な状況になってはいるが、この経験を次に生かせばいいのだ。

 そしていずれ笑い話として後に入隊してくる後輩達に伝えればいい。


 レッドやブルーにとっても今回が初めて自分の命令で自分の部下を動かすという経験だ。

 大いに反省して後々一人前の指揮官になればいい。


 失敗は誰でもする。けれどそれを生かすか殺すかが重要なのだから。


「すごいね。ベルお義姉ちゃん。こんな状況でもすっごく冷静」

「うん、さすがベルお義姉さまだね」


 双子の義妹はベルに感嘆の声を上げながらも、接近してくる魔物をウォーターアローで正確に斃していく。


(ほんとに凄いのは二人なんだけどなぁ)


 ベルは内心でそう思いながらも二人に笑みで返す。


 アリシャもリリィも今回が初めての実戦のはずである。

 にも関わらず冷静に周りの状況が良く見えているのは、さすがエルの妹……いや、シュタリア家本来の気質なのだろうか?


 ベルからの指示で冷静さを取り戻せたのかレッドとブルーにより徐々に騎士の統制が取れ始めていく。

 こうなればもう問題ないだろう。


「あっ! 兄さん達だっ!」

「本当だ。お兄様達が戻ってきた」


 誰よりも早く最愛の兄を見つけた二人の声に、ベルは誰にも気付かれないように安堵のため息を吐くのであった。


 ――――


「いやぁ、見るも無残な状況だねぇ。レッド、ブルー」

「うぐっ」

「面目ありません……」


 襲撃してきた魔物を全滅させて、負傷者の治療を済ませた後、ユスティからのドストレートな評価にレッドとブルーは肩を落としながら謝罪する。

 僕の妻になる事で一つの騎士団に権力が集中するのを避けるために自ら引退したとはいえ、元鉄竜騎士団副団長の言葉は二人にとっては重い。


「ただ、軽傷者は出したものの重傷・死者はゼロ。うん、それは良くやったよ」

「「あ、ありがとうございます!」」


 うん、ちゃんと褒める部分は褒める。飴と鞭の使い方は上手いものである。


「今回の事は団長にとっても兵にとっても貴重な経験だったであろう。

 当面の間は、そなたら二騎士団を中心に領内の魔物掃討にて実戦経験を積んでもらう。

 そのさきがけとしてこれからも力を発揮してもらうぞ」

「かしこまりましたエルスティア様。この力、バルクスのために」


 僕の外向けモード――侯爵モード――の言葉に二人はうやうやしく頭をたれるのであった。


 ――――


 兵士達が捕獲したレーゲンアーペを輸送するための準備をしている様子を丘の上から眺めながら僕たちはベルが淹れてくれたお茶を飲んでいた。

 いやぁ、幾つになってもベルが淹れてくれたお茶が一番美味しく感じるものである。


「それで、今回の事はエルにとってはどんな感じだったの?」


 僕の横で同じくお茶を飲んでいたクリスが尋ねてくる。


「色々収穫ありかな。まずは大型魔物に対してのチェーンバインドの耐久性がある程度確認できた」

「そうね、ちょっとした足止めには十分って感じだったわね」


「次に睡眠魔法も魔物に対して効果がある事を確認できた。

 そして『ウォータープリズン』で魔物捕獲も出来る目処がたった」


 そう言いながら僕は、兵士達によって巨大な荷車の上に少しずつ上げられているレーゲンアーペを見る。


「けれど、やっぱり魔法を発動させるタイミングは難しそうよね」

「うーん、そこは仕方ないかなぁ。誘導性を付与するとどうしても魔力消費量が増えるからな。

 ここらへんが妥協点って感じだね」


 目標の終着点としては全町村に下水処理施設を完備することだ。そう考えた場合、必要になるレーゲンアーペは数え切れないだろう。

 それを毎回僕が捕まえていくなんて現実的ではない。


 そういった意味では、複数魔道士で作業が出来る魔力消費量に抑えた捕縛魔法『ウォータープリズン』は必須だ。

 その目処が立ったことこそが一番の収穫である。


「それと赤牙と青壁騎士団に実戦の難しさを肌で感じてもらえたのも良かったよ」


 僕が新しく作り出した三騎士団である鉄竜と赤牙と青壁の中で、鉄竜はかなりじっくりと時間をかけて訓練することが出来た。

 特にルーティント解放戦争で実戦を経験できたことも大きかっただろう。


 一方で赤牙と青壁はやや急造で作った部分がある。しかも設立後も領内の治安維持がメインで実戦を経験するタイミングが無かった。

 そこで百人ずつ。しかもいずれは幹部候補という騎士達に実戦、しかも乱戦にしてしまったという苦い経験をしてもらうことが出来た。

 これは将来的なところを考えた場合、かなり意味を持つことになるだろう。


「うんうん、今回は本当に良い事だらけだったねぇ」


 そう僕は笑うのだった。


 ――――


 エルやクリス達から少し離れた場所で騎士たちが作業する姿を見下ろしながら二人は立っていた。レッドとブルーである。

 だが、実際に部下達が作業する姿は頭には入ってきていない。二人の頭の中はただ悔しさだけが過ぎていく。


 ほんの少し前までは、自分達は出来ると思っていた。いずれはアインツ先輩も追い越してやる。そんな気概さえ溢れていた。

 ようやくエルから任せてもらえる騎士団が設立されて、さぁこれからだ。というところで躓いてしまった。


 今回の魔物との戦闘は、客観的に見ても無様以外の何者でもなかった。魔物が接近することに動揺した部下達を上手く指揮することが出来なかった。

 ベルからの指示が出るまで自分達もパニックになっていたと言わざるを得ない。


 正直、エルから叱責されて騎士団長を剥奪されることも覚悟していた。だがエルから激励されたのである。

 それは嬉しくはあったが、自分達は期待されていなかったのかと悪いほうに考えてしまう。


 そんな色々な感情が頭の中をグルグル回っていたのだ。


「まったく、二人揃って情けないわね」


 そんな彼らに背後から女性の声が投げかけられる。


「アリシャ様……リリィ様……」


 振り返った二人の前には、エルの妹にして本来、護衛をエルから任されたアリシャとリリィが立っていた。

 ところが結局は二人に部下達を助けてもらうという感じになってしまったので、正直顔を合わせづらかった。


「ブルー、君が騎士になりたいと思ったのは何でなのよ?」

「レッド、貴方がお兄様の騎士になりたいと思ったのは何故ですか?」


 アリシャはブルーに、リリィはレッドに問いかける。

 それは以前、農試の手伝いをしている時にも雑談の一つとして問いかけられたことがある質問。


「私は……魔物や戦争という理不尽な暴力で不幸になる人をなくしたい。だからこそ騎士になりました」

「おれ……私はこの世界から争いをなくしたい。エルスティア様ならそれが出来るだけの力をもっていると思ったから騎士になりました」


 それに二人はその時と同じ答えを告げる。それにアリシャとリリィは満足そうに頷く。


「ならばその夢のために反省しても悔やむなっ! 今回の失敗を糧にしろっ! そして……」

「そして次こそは、ちゃんと私たちを守ってくださいね」


 二人からの叱咤激励。それはレッドとブルーの心に浸みていく。


「はい、はいっ! 勿論です。次こそはお二方の剣となり盾となりましょう」


 レッドとブルーからの誓いの言葉にアリシャとリリィは


「期待しているよ。私達の


 そう笑顔で返すのであった。

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