第228話 ■「我が子の自由」
王国歴三百十三年九月十五日
それは普通の何でもない日になるはずだった。
誰もが恐れ、そして『そんなタイミングよくなんて……ねぇ』と冗談の一つとして雑談になっていた話。
しかし、誰もが実際に起こるわけがない。起こってほしくないと考えていたこと。
だが、それをあざ笑うかのようにそれは起こるのだった。
その悪夢の出来事、いや、実際にはとても御目出度い事だと後になれば笑い話になるだろう。
だが実際に自分が経験する立場になるとなれば話は別である。
そう、エルスティア・バルクス・シュタリアが敬愛する六人の妻たちが同日のほぼ同時刻に産気づいたのである。
「第一斑は、どんどんお湯を沸かしてっ!! 間に合わないようなら排熱水も使っていいから!」
「第二班、第三班は清潔な布をどんどん持ってきて! あっ、第四班は手が空き次第第一斑のサポートを!」
普段の侯爵家の落ち着いた風景とは一変してメイド達の大声が響き渡る。まさに戦場がごときである。
クリス達六人が同時期に身籠ったことで、同じ日もしくは連日の出産もあり得るという事で、人手が不足する事態を避けるため、ベテランのミーザを筆頭に出産経験者のメイド達の協力のもと早いうちから全てのメイドを動員することも考慮しての班分けが行われていた。
大多数のメイドは出産に立ち会ったこともない若年者ばかり、それでもこの数か月のベテランたちの研修によって十分な体制がとられたはずだった。
それでも流石に同じ日に六人が同時にと言うのは想像して……いや、冗談レベルで済んでほしいと願っていた。
前世でも出産は大変なのに、魔法の発展の障害として医療レベルが低いこの世界では、一人の出産でも大人数のサポートが必要となる。
何てったって魔法の一般魔法の中には、陣痛の痛みを抑えたり、分娩を促進するなんていうマニアックなものまである。
六人が身籠ったことが分かった後、魔力量の高いメイドの何人かがその魔法を勉強したほどだ。
最初に産気づいたのはベルだったが、その時はそれまでの準備のおかげで皆にもまだ余裕があった。
けれど、さらにメイリア、ユスティ、アリス、リスティと続くうちに戦場へと化していった。
最後に産気づいたクリスにいたっては、皆がみな乾いた笑いが出たほどである。
本人にとっては二度目という事で少しは余裕があるようで『元気な子をちゃちゃっと産んでくるわ』と親指を立てて運ばれていく姿はまことにかっこよかった。
――
さてこうして戦場になっている中でも僕にいたっては男子禁制という事で一歳五か月になった我が息子アルフの子守をしていた。
本当はお湯を沸かしたり布の準備といった少しでも手伝いになればとしたが、『メイド達が気を使うから』と母さんにやんわりと断られたのだ。
なので子守役のメイドも動員されているのでこうして子守をしているわけである。
さて、我が子アルフであるが、驚くほどに大人しい聞き分けのいい子である。
夜泣きもほとんどなかったし愚図ついたりといったことも少ない。もちろんお漏らしをした時には泣き叫ぶがそれ位であれば大人しい方である。
ここ最近は歩行が出来るようになったからか、屋敷内をうろうろすることが増えてきた。
そしてどうやら、ここ最近は書庫がお気に入りのようでそこで読めもしないだろう本を読んでいるマネをしているそうだ…………いや、読めてないよね?
その姿に母さんやファンナさん、そしてベテランのメイド達が口をそろえて言うのは、『手がかからない事も含めて僕の子供の頃にそっくり』だ。
ちょっと不安になったので、ある日皆がいないところで『こんにちわ』とか『ハロー』と日本語と英語で話しかけたりもした。
キョトンとした顔で返されたのでどうやら転生されてきたわけではないらしい。
そこで思い出したのが十五歳の時にお願いした『ギフト』の事だ。
『シュタリア一族について両親の才能を確実に引き継ぐことが出来る遺伝子』
つまりは僕とクリスの才能を……二人に確実に流れる『四賢公』の血を色濃く引き継いでいるのだ。
まぁ、才能だけでなく行動まで僕に似るというのはどうなんだろ? とも思うけれどもね。
……ふむ、物心がついたころに僕みたいに魔法を教えるのもいいかもしれないな。
「……で? 子供のほっぺをムニムニしながら何考えてるんだ?」
考え事をしていた僕にこちらも手持ち無沙汰なアインツが声をかけてくる。
どうやら考え事をしながらもアルフのやわらかほっぺをムニムニしていたらしい、一方のアルフも嬉しいらしくキャッキャッと笑っている。
「いやね、今後の子供たちの教育方針についてちょっと考えてたんだ……ってどうかした?」
その僕の言葉にアインツは微妙な笑いを浮かべる。
「いやなに、お前の事だからまた突飛もない教育方針なんじゃないかってな」
「失礼な、アルフに物心がついたころに興味があるようなら魔法を教えてあげるのもいいなって考えてただけだよ」
「世間一般的に言うとな、エル。それがそもそも突飛もないんだぜ」
「……またまたぁ」
「しかしまぁ、お前とクリスの血を引いているからなひょっとすれば物凄い才能の持ち主って事もあり得るのか」
そう言いながらアインツはアルフの鼻をつつく。
「何てったってバルクス家の次期当主だからね。とはいえ僕としては、生まれた時から当主になる事がほぼ決まっている分、自由が無いのだから、それ以外についてはこの子が望むように生きては欲しいけどね」
「へー、親してるんだな」
僕もだけれど貴族にとって跡を確実に継がせるために子を多く成すというのは義務である。
そして貴族として生まれた子供は幼くして跡を継ぐという義務により、生活面では平民に比べれば豊かな生活が送れるだろうが、その分、自由を失ってもいる。
貴族は生まれながらに貴族なのだから。
けれどここは辺境バルクスだ。その分中央に近い貴族に比べれば僅かばかりとはいえ自由がある。
それならば親である僕が、少しでもアルフ……ううん、今から産まれてくる子たちも含めて望むことを最大限受け入れてあげたいのだ。
そんな会話をしている僕たちの耳に新しい生命の泣き声が届くのであった。
――――
この時の事を、バルクス辺境候に仕える多くのメイド達が忘れられない事として残している。
午後二時十八分、ベルが次男ジーク・バルクス・シュタリアを出産。
午後三時五十六分、ユスティが長女フレア・バルクス・シュタリアを出産。
午後四時二十一分、メイリアが次女ルーテシア・バルクス・シュタリアを出産。
午後四時五十二分、リスティが三男エドワード・バルクス・シュタリアを出産。
午後五時十一分、クリスが三女シェリー・バルクス・シュタリアを出産。
午後五時三十分、アリスが四女ヘレン・バルクス・シュタリアを出産。
出産後は、侯爵家の廊下に死屍累々の如くメイド達が気絶するように眠りこける風景が広がったという。
あるメイドの書記には、メイドが気を失う直前、エルスティア・バルクス・シュタリアに対して
「この度の事は大変おめでたい事でありますが。お願いします、今後はもう少しご配慮いただければ」
と語ったと記されている。
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