第203話 ■「新たなる農業改革3」

「ピスト! そなた何をっ!」


 ピストから出された提案に、一番驚いたのはフォアンであった。

 侯爵の前であることを忘れたかのように立ち上がりピストに怒鳴りつけていた。


 以前にも言ったようにこの世界には特許という考えは存在しない。

 いわば儲かるのであればどんどん模倣する。それが当たり前なのである。


 だが、それでもたった一つだけ犯してはいけない領域があった。

 それは貴族自らが生産販売する商品について許可無く販売することである。


 物好きな貴族の中には、自らが企業を立ち上げるものがいるのは確かである。


 その多くが自らの領地で獲れる農産物や鉱石の販売……つまりは商人と同等の商品の販売である。

 それであれば貴族とは比べ物にならないほどの販路を持つ商人にとっては敵でもない。


 だが、貴族が新たに生産販売を開始した商品は例外である。

 かつて、とある貴族の企業が新規販売を始めた香料をとある商人が模倣し販売したことがあった。


 その事に激怒した貴族はその商人と属している商人連の領内での活動を一切禁止したのだ。

 さらにその貴族は近しい貴族達にも同様の対応を――謝礼金と共に――願い出た。


 それにより商売は壊滅的なダメージを受け、その商人と商人連は姿を消すことになったのである。

 その経験があるからこそ、商人達は貴族の開発したものに対しては一切手を出すことは無い。


 だがその一方で、商品はその貴族の独占販売となる。独占販売は得てして商品の市場価格を高騰させる。

 その結果、その商品は広く伝わることも無く、貴族達の嗜好品としての価値のみとなるのである。


 以前、エルから『リバーシ』というゲームのルールを買ったのもそれが原因である。

 それは貴族が生産した商品の権利を買ったことを意味し、それで初めて商人連として販売することが出来るのである。

 娯楽文化を全国に広く伝播したいエルとの思惑が合致したからこそである。


 今回もその時と同様、農機具の権利を商人連に売ってくれと言ったに等しい。

 だがあの時とは状況が異なる。


 リバーシはエルの方から権利を売ると打診があったのに対し、商人連から売ってくれと打診したのだ。

 それは本来、貴族と商人の立場からすれば考えられない暴挙。

 場合によっては、商人連の消滅すらしかねない事なのである。


 もちろんバルクスにとってピスト達の商人連は物資流通のかなめであるから直ちにということは無いだろう。

 けれど別の――ルーティント領で活動する同侯爵領内のライバルでもある商人連に段階的に権利委譲して、ピスト達の商人連を締め出すことすら可能なのだ。


 フォアンが驚きの声を上げるのも当然であった。

 それでも勝算があるからこそピストはその暴挙に出たのである。


 それを現すかのように向かいに座るアリスの顔は微笑を浮かべたまま。

 家族だからこそ分かる、それは賭けに勝ったという事だと。


「フォアン殿、どうぞ落ち着いてください。侯爵閣下からもお話があったようにこの場は忌憚無き意見を聞く場。

 ピスト殿の発言で商人連の立場が悪くなるようなことはございませんから」

「! これは、失礼しました」


 アリスの言葉に、フォアンはようやく侯爵の前であることを思い出したかのように席に座る。


「さて、ピスト殿のご意見ですが、残念ながら執務官としては許可することは出来ません。

 理由は幾つかありますが、最大の理由はバルクス候としてこれらの農機具を他領に対して販売するつもりが無いからです」

「つまりは、これらの農機具はバルクス候領内での独占としたい。そういう事ですかな?」


 ピストの問いにアリスは静かに頷く。


 だがその頷きは、ただの肯定を意味するだけではない。

 『さぁ、であれば父さんはどう踏み込んでくる?』という娘からの問いかけなのだ。


 『まったく、わが子ながら末恐ろしい』とピストは思いながらも、一方で執務官として力量を発揮する娘を誇りに思う感情が沸いて来る。

 これは不器用ながらも親子のやり取りの延長なのだ。


「それであれば……どうでしょう、侯爵閣下の生産・販売・修繕を我々商人連が代行するというのは?

 商人連で生産・販売・修繕を行い、その利益に対して何割かを侯爵閣下に納める。

 勿論、販売先は領内のみという条件付で、違反した商人には厳罰を課すと言うことにすればよろしいかと。

 侯爵閣下自体は権利をあくまでも貸し出しているだけですから商人連としても勝手に模倣することは出来ません」


 それにアリスは頷く。


「なるほど、それは侯爵閣下側にとっては願っても無い事。ですがそれでは商人連側のメリットが少ないのでは?

 販売先を領内のみとした場合、販売可能な農機具の数は有限となりませんか?」


 バルクス領内と言うことは、現状で町村は四百ヵ所となる。

 今後、人口が増えることでその数を増やすこともあるだろうが、結局のところいずれは頭打ちになる。

 そうなるといずれは修繕だけが残り、フォアンが気にしていたランニングコストの問題が出てくるのである。


「それなのですが、貸出販売でどうだろうかと考えております」

「貸出?」


 ピストの言葉にエルが疑問の声を上げる。


「はい、今回お話いただいた農機具は収穫期は必要となりますが普段は必要の無い機具となります。

 そこで収穫前に貸し出して収穫が終わった後に農機具を全て引き取り次の収穫期までの間に保守を行うのです。

 これであれば、一括販売に比べれば一年あたりの収入は減るでしょうが継続的な収入が見込めます」

「それでは、農民達への負担が大きいのでは?」


 そう疑問を投げかけるアリスにピストは頷く。


「例えば農機具の耐久年数が二十年と考えた場合、一括販売の十五分の一程度で貸出を行います」

「つまりは、五年分は利子という考えですか?」

「はい、もちろん総額で考えますと農民は損をしておりますが、一度に全額を払うよりも十五年かけて少しずつ払う方が負担は少ないかと。

 さらには収穫前に一時金をいただき、収穫後にふところが温かくなった後で残金を頂ければさらに負担が減りましょう」


 つまりは、前者は分割払いという考え方だ。

 例えば百万円を一括で払うのは年収が決まっているから中々難しい。

 それが年に十一万円ずつを十年間払ってくださいであれば負担は減る。

 そして多めにもらっている一万円が利子となるわけである。


 そして後者の考え方は掛売かけうりの考え方だ。

 農民にとっては収入源である作物を収穫する前は、懐事情が厳しい。

 そこで一時金として収穫前に貰って、収穫後の懐事情が改善された後に残金を貰うということになる。

 元の世界でも千歯こぎの販売は、掛売が主流だったらしい。


 ピストの話を聞く感じだと悪くない提案に聞こえる。

 アリスにエルは視線を送ると、それに気付いたアリスは小さく頷く。

 どうやらアリスとしても満足いく内容だったようだ。


「ピストの言、中々に興味深い。細かい部分については執務長官と詰めて具体案を提示せよ」

「かしこまりました。エルスティア侯爵閣下」


 エルの言葉にピストとフォアンは頭を下げるのであった。


 ――――


「まったく、ピストよ肝を冷やしたぞ」


 侯爵家からの帰りの馬車の中、フォアンはピストに苦笑いと共に呟く。

 フォアン自身も四年以上に渡るこの定期的な侯爵との会合で、エルが感情的な暴発を起こす可能性が低いことは理解している。

 それでも、今回の提案は下手をすれば商人連の崩壊もありえる内容だったのだ。


 それにピストは苦笑いと共に口を開く。


「問題ありませんよフォアン、今回の内容はこちらがそう動かなければ、エルスティア様の中――いや、執務長官の中での商人連の評価は下がっていたでしょうからな」

「どういうことだ?」


「今回の話はそもそもが結論ありきでの話。その結論に商人連がたどり着けるかを試されたのです」

「あのおん……いや、アリストン執務長官にか?」


 『あの女』と言いかけて、ピストの娘であったことを思い出したのだろう。フォアンは言い直す。


「ええ、アリストンは執務に関しては父親である私から見ても優秀な執務官です。

 そして、父親であろうとも侯爵の為であれば不要と判断したならば容赦なく切り捨てるでしょうな」

 

 その分、自分自身を傷つけているだろうが、とピストは心の中で付け加える。


「なるほどの、であれば今回はピストに助けられたという事か」


 今までの彼女からの提案や指摘の鋭さを思い出したフォアンも納得したように頷く。


「さて、それよりもこれからの事を話しましょう。技師の準備や販路の確定。やるべき事はたくさんありますぞ」

「ああ、そうだな。これほどの長期的な商談は中々ないからな」


 そうお互いに言いあうと、二人は商人の顔に戻りこれからの仕事について話し始めるのであった。

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