第201話 ■「新たなる農業改革1」
「もっと農業生産効率を上げるものが欲しい?」
「はい、お兄様」
二月も終わりが近づいてきた頃、僕はアリィとリリィから相談を受けていた。
農試を二人にお願いしてから一月半ほど経つ中で二人にはある程度の役割分担が出来ていた。
双子とはいえ二人の性格は異なる。
社会性に富み活発で誰とでも友好的な関係を築けるアリシャ。
内向的だけれど物事を継続して行う事が出来る集中力が高いリリィ。
その性格を生かして農試での作業の傍ら二人は積極的に活動をしていた。
アリシャはエルスリード周辺の村落を訪問し農民の生活や声を直接見聞きする。
リリィもだけれどアリシャには貴族特有の、平民を見下すという思想は希薄である。
これは二人そのものの本質もあるだろうが、やはり父さんと母さんの教育の賜物であろう。
だからこそ貴族でありながらも農民の懐に入ることに抵抗もないし、そこに下心が無いからこそ農民たちも受け入れてくれる。
当主の座を譲り受けて改めて両親の治世の成果を思い知らされる。
さて、一方のリリィは僕が貸し出した農業に関する専門書を元に、今の技術レベル――近代農業は技術的にまだ難しい――にあわせた技術の調査を行う。
そしてお互いの意見や感想を話し合った結果として、こうして僕に相談してきたわけである。
……ほんと、こちらから何も言わなくても自発的に動いてくれる最愛にして優秀なる妹達である。
「兄さんは、収穫した小麦や大麦からどうやって粉が作られているか知っている?」
アリシャが僕に尋ねてくる。
「うーんと、
僕の答えにアリシャは笑う。
「さっすが、兄さん。大体正解だね。
実際には脱穀、
挽砕の前に調質っていう工程をしている場所もあったりするんだけどね」
「精選は、小麦や大麦以外の不純物……たとえば石ころとか麦わらを除く作業って事かな?」
「うん、そうだよ」
「それじゃ調質ってのは?」
「挽く前に小麦に水を加えて寝かす事なの。挽く頃には基本的には小麦って殆ど水分がなくなってカッチカチでしょ。
そのまま挽くと小麦の破片が飛び散っちゃうの。そうなると後から表皮と粉になる胚乳が細切れになって、後工程の篩いが難しくなるの。
だから水分を加えることで表皮を壊さずに胚乳部だけを取り出しやすくする作業なの」
「へー、そんな方法があるのか。勉強になるなぁ」
僕の純粋な感動に、アリシャは嬉しそうに笑う。
多分、彼女の中で兄に自分が教えることが出来たことが誇らしく思っているのだろう。
「でもね。ここ最近は収穫量が増えたのはいい事なんだけれど、逆に作業が増えちゃったんだって。
脱穀はね、
精選なんて家族総出で目視確認だし、挽砕も子供たちが石臼を使って挽いたり。
私も挽く作業を手伝わせてもらったけれど物凄い大変だったの」
「なるほどね。それで効率化か……」
「うん、このままだと作業量が増加して労働力不足を解消するためにまた子供の力がかなり必要になってくると思うの」
子供に教育を受けさせることが出来るように収穫量を増やしたのに、収穫量が増えたことで子供が再び労働力として必要となるのでは本末転倒だ。
「お兄様にお借りした本の中に、脱穀のための『千歯扱き』、精選のための『
アリシャの言葉に捕捉するようにリリィが話す。
千歯扱きとは、たくさんの歯を並べ、穀物を歯と歯の隙間に挟んで引くことにより脱穀する農具だ。
歯が多くあるから千歯扱き、千把扱く事ができるから千把扱きと呼ぶなどの説もある。
日本では元禄期……つまりは江戸時代の十七世紀に誕生したとされている。
回転式の足踏脱穀機が出現するまでの二百年に渡り愛用されていたらしい。
唐箕も風力により麦わらや実のない
これも日本では十七世紀くらいに中国から伝来したとされている。
実は現代のコンバインやハーベスタ等の農業機械の脱穀機にも選別機構として使用されているのだ。
風車や水車はそれぞれの動力(風力・水力)を利用して巨大な石臼を動かして挽砕を行っている。
この世界でも場所によっては風車や水車が使われている場所もあるらしいが、バルクス内にはない。
風車にしろ水車にしろ、製粉だけではなく灌漑にも使えるからいずれはとは考えていたけれどね。
「なるほど、たしかに農作業の効率化を図らないと労働力不足で収穫がいずれ頭打ちになりそうだな。
わかったよ、アリィ、リリィ。明日にでもベルとアリスを集めてそのあたりの話をしよう」
「ありがとう兄さん」
「ありがとうございます。お兄様」
僕の言葉に二人は嬉しそうに頭を下げる。
彼女たちなりに兄である僕の役に立てていることへの充実感にあふれた笑顔である。
「それじゃ、今日は仕事の話は終了かな?」
外を見るともうすぐ陽が地平線へと沈むくらいの時間である。
そろそろ夕食担当のメイドが僕たちに声をかけに来る頃だろう。
「それで、二人とも仕事のほうはどんな感じかな?」
「うん! とっても楽しいよ。今まで土いじりとか殆どしたことが無かったけど、毎日ちょっとずつ大きくなっていく植物を見るとなんだろ……生命ってすごいなって思うんだ。そんな経験をさせてくれた兄さんには感謝しかないよ」
「私もアリィと同じですね。それに加えてお兄様からお借りした本を眺めていると……やっぱりお兄様は別の世界の人だったんだなと思うけれど、でも今こうして私たちの目の前にいてくれる。それがとても嬉しいんです」
「アリィ……リリィ……ふたりともこっちに」
そう笑う二人に僕は手招きをする。
それに二人は嬉しそうにお互いの顔を見合わせると僕のところにやってきて……かつての頃のように僕の膝の上に座る。
そこは二人にとってお気に入りだった場所。
あの頃は羽のように軽かった重みも、今では年相応――それでも十分に軽いが――の重みを感じる。
二人も今年で十六歳。反抗期も無くあの頃から変わることのない親愛を向けてきてくれる最愛の妹達。
あの頃の幼さは薄れ、今では大人の女性へと毎日少しずつ近づいている。
もし兄妹でなければ恋に落ちていた自信すらある。
だが、いずれ二人も僕のもとを旅立っていくだろう……もちろん最大の壁としてどこの馬の骨ともわからん奴は認めないが。
ただそれまでは…………僕の最愛の妹であってくれることを願う。
「二人には、幸せになってもらわないとね」
「大丈夫だよ、今でも私達十分に幸せだもん」
「はい、こうしてお兄様の傍に居れる事、それは何よりも私たちにとっての幸せですから」
僕の呟きに二人は今日一番の笑顔を返すのであった。
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