第193話 ●「忌み鉱2」

「……では、エルスティア辺境候には魔法を軽視するつもりは無い……そう言いたいのですな?」

「ええ、勿論です。ボルス副司祭長殿」


 アリスは、笑顔のまま司祭服に身を包んだボルス副司祭長と名乗る男に言う。

 質素倹約を常とする司祭とは思えぬほどに丸々と太り今にも司祭服がはちきれそうである。

 その事からもアリスには彼の普段の堕落した生活を垣間見ることが出来る。


 もちろんそんな考えを顔に出すことすらないが……


「ですが、聞いたところによりますとなにやら『忌み鉱』を大量生産されているとか?」


 やはりその事を聞いてきたかとアリスは思う。


「それにつきましては簡単なことです。

 昨今、魔物から襲撃でルード要塞の魔稜の大森林側の城壁の修復が必要なのです。

 さらに魔稜の大森林の奥に防衛ラインを作成するのに大量の鉄が必要なのです」


 想定していた返答をアリスは返す。


「ふむ……」


 それにはアーグ教の司祭も強く言うことは出来ない。

 アーグ教にとっても魔物は忌むべき存在である。


 そして魔物に対しての防衛手段として鉄を使うことは彼らにとっても必要悪なのだ。

 さらには魔稜の大森林に人間種の影響圏を広げようとしているのだ。

 アーグ教としてもそれは悲願でもあるのだ。


 まぁ、防衛ラインを作るというのは本当だが城壁修復は真っ赤な嘘ではある。

 けれど、そんなことはアーグ教の司祭では分かるはずも無い。


 そもそもバルクス領はアーグ教の影響が限りなく低い。

 つまり彼ら自身の権力も無いに等しい。


 あくまでも鉄を大量に作っている情報をどこからか聞き真偽を確かめに来たのだろう。

 それにどうやらローザリアの情報までは入っていないようだ。


 だからこそアリスは、鉄を大量に作っていることは認めつつ正当性を――幾つかの嘘も交えつつ――訴えたのだ。

 さらにエルスティア様が魔法を軽視していないことを強調つけることにする。


 ……ごめんなさい。エルスティア様があまり嬉しく思っていない逸話を使わせてもらいます。と心で謝りながら。


「ボルス副司祭長殿は『アストロフォン殺し』という異名はご存知でしょうか?」

「ええ、勿論。たしか十年ほど前にガイエスブルクを襲うとした『アストロフォン』率いる数千の魔物を僅か数人で退けたとか。

 それを率いたのは学生。しかも魔法による攻撃でアストロフォンをたった一人で倒したと聞きます。

 いやはや、魔法の才あふれる素晴らしき人材ではございませんか」


 魔法で将級魔物を倒したという武勇伝は魔法を至上主義とする彼らにとっても耳障りが良いのだろう。

 少々興奮気味にボルス副司祭は語る。


 どうやらエル本人から聞いた話より伝聞の内にかなり誇張されているようだ。

 しかしだからこそ効果がある。


「その『アストロフォン殺し』がエルスティア辺境候だとしたら?」

「なんと。そんな。いや……まさか」


「お疑いなら王都に戻られた際に調べていただければお分かりいただけます」

「ふむ……そこまで自信を持っておられるのであれば真実なのでしょうな」


「それほどの魔法の才があるお方が魔法を軽視されると?」

「…………そうですな。どうやら今回は我々の早とちりだったようです」


 ボルスは頷きながら笑う。


「いえ、お分かりいただければ。こちらとしましてもそれ以上、言うことはありませんので……

 さて、申し訳ありません。現在重要な会議の途中でして……」

「おぉ、そうでしたか。そうとも知らず失礼した。

 それでは我々もお話をお聞きし納得がいきましたので失礼させていただきます。皆様にウズ様のご加護を……」


 そういうと、ボルス副司祭は傍に控えていた供二人と一緒に退出していく。

 アリスはその姿を見送った後、笑顔を崩し大きくため息を吐く。


 今回の件はアリスの失態である。

 クリスと話し合った際、奴ら――つまりはアーグ教が干渉してくる可能性は考慮できていた。

 けれど宗教が政治に口を出してくるという状況を知らないかも知れないエルスティア様にどう説明するかを考えているうちに起きてしまったのだ。


 今日、現れることを事前に知り得ていれば、何らかの対策は打てたかもしれないが、

 アーグ教がこちらの内情を深く知ることが出来ない一方でこちらもあちらの内情を掴むだけの手駒がいないのだ。

 

「ふぅ、エルスティア様にちゃんと説明しないとな。理解してもらえるといいのだけれど……」


 そう呟きながらアリスはエル達が待つ執務室へと歩を進めるのであった。


 ――――


「……ベンド司祭」

「はっ」


 丸々と太った男――ボルス副司祭長は馬車の中で目の前に座るベンド司祭に声をかける。

 本来は六人ほどが乗っても余裕があるほどの広さがある馬車であるにもかかわらずボルスがいることで僅か三人で手狭に感じる。


 そのボルス副司祭長の雰囲気は先ほどと違い冷たさを感じる。

 先ほどまでの態度は彼の敬虔なるアーグ教司祭を見せるための営業モードと言っていい。


「先ほどの小娘が言っておった『アストロフォン殺し』が本当に辺境候の事なのかを調べろ」

「かしこまりました」

「こういった事は……うむ、『南方の黒獅子』であれば知っておろう。かの方の情報網に引っかからぬ情報なぞ無いだろうからな」


 たかだか一人の個人調査の事で――南方の黒獅子――つまりは貴族の最高位で第二位のファウント公爵の名を出すのが、アーグ教がどれだけ王国の中枢と繋がりがあるのかを暗に示す。

 ファウント公爵がアーグ教に対して少なくとも表面上は友好的で、王国随一といってもいい情報網を持つこともアーグ教にとっては都合がよかった。


「それでは王都に着き次第、ファウント公爵もしくは周辺の貴族から聞き取りを行います」


 そう返すベンドにボルスは一度頷くとすぐに興味を無くす。


「……まったく、このような辺鄙なところまでなぜ私ほどの男が来ねばならんのだ。田舎くさくてしょうがない」


 その口から零れるのは、不満の声。

 馬車の中まで外気が入ってくることが無いにも関わらず、懐から取り出したハンカチで鼻を押さえるような仕草までする。


 ボルスが普段活動しているのは王都もしくはその周辺の公爵領――つまりは中央のきらびやかで豪華な環境下だ。


 そこからわざわざ二月ほどかけてこの様な王国の端っこまで来させられたのだ。

 飯はまだ食えるものではあったが、それでも中央の豪勢な食事とは無縁。


 娯楽にいたっては『リバーシ』とかいうゲームはあった――中々に面白くはあった――が、彼が求める物――金と女だ――とはほぼ無縁であった。


 さらに言えば、バルクス領一帯はアーグ教の信者が恐ろしく少ない。

 それは普段であれば信者達による自分に対しての賞賛――決して自分個人に対するものではない――という名の甘美を一切受けることが出来ていないのだ。


 だからボルス副司祭長の中でバルクス領の民を『野蛮人』と位置づける。

 さっさとこんな所からはおさらばしたいのだ。


 ボルス副司祭長――

 アーグ教においては、上皇・法王・司祭長に次ぐ第四位という高位にあるにもかかわらず信仰心は一切無い。

 むしろかつては、窃盗・強姦・人殺しまで行っていた野盗くずれである。


 ある日、通りがかった一人の司祭から物品を奪おうと殺したことが転機となった。

 その司祭の懐にあったのは、一地方の司祭であったボルスに対して、長年の敬虔な行為が評価されての中央教会への召喚状だった。


 それを見た野盗くずれは天啓……いや、悪魔の囁きを受ける。

 その日一人の野盗は死に、一人の偽りの司祭が生まれたのである。


 あれから二十年。

 表面上は元の敬虔な司祭を演じ、裏では多くの悪どいことを行いながらここまで来たのである。

 供の二人も自分の手足のごとく動いてきた手駒である。


 供にエルスティアの事を調査するように命令したのも、敬虔なる司祭を演じるため。

 彼自身には全く興味も無い。 


 そんな彼にとってバルクス領の僅かに土の香りが漂う空気はあの頃――泥水をすすり生き長らえた野盗時代――を思い出させる。

 それがなによりボルスを苛立たせる。


「ふん、さっさと王都に帰って女を抱くぞ」


 そう司祭の口から発せられるはずも無い言葉を平然と放つ。

 それに、供二人は何時もの事のように頷くのであった。

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